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キーンさん、ありがとう。
そして…、いらっしゃいませ。 http://livedoor.2.blogimg.jp/rerefa/imgs/5/9/59d414c3.jpg
http://www.rerefa.com/archives/65670808.html ドナルド・キーンさんは、世界的に とても高名な学者の方で、アメリカの日本文学研究者です。 日本文化を欧米へ紹介して数多くの業績を残し、2001年に記された 『明治天皇』 という著書 でもお聞き覚えの方も多いことと思います。 その世界の名士が、日本への永住、日本国籍取得を希望されているとのこと。 世界では、 「日本の小さな国で、原発事故が起こった。 聞けば、歴代最悪の事故だったチェルノブイリ事故と同じレベルの事故が起きている。 早く、自国に戻ってきなさい。 日本から退避しなさい」 と大使館を通じて 呼びかけている最中です。 氏はおっしゃいます。 「日本の国に対して今、自分が持っている意志を見せることが、意味をもつ」 と。 去るのではなく、こちらに来られるのだそうです。 キーンさんは、アメリカ人。 日本人ではありません。 ですが・・・、これから日本人になりたいそうです。 「愛する日本で余生を過ごす」ドナルド・キーンさん、半世紀の教員生活に幕 2011.4.27 産経 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/art11042709230001-n1.htm 日本文学研究で知られ、日本永住を決めている米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)は26日、ニューヨークの同大で最後の講義を行い、1950年代半ば以降、半世紀以上にわたる教員生活に幕を閉じた。
キーンさんは冒頭、参加した大学院生らに「愛する日本に移り、余生を過ごす。(東日本大震災や福島原発事故の発生で)多くの外国人が日本を離れる中、私の決断に驚いた人もいたが、『勇気をもらった』と言ってくれる人もいた。そうだといいなと思う」と心境を語った。
最後の講義では、日本の古典芸能の能について約1時間、歴史や、自らの若いころの学習経験などを話した。終了後、院生らから花束を受け取り、目に涙をため、感謝の言葉を述べた。
記者団に「もう学生たちに教えられなくなると思うと寂しくてつらい。でも、こんなに長く教えることができてうれしい」と日本語で話した。(共同) 「私は日本という女性と結婚」 ドナルド・キーン氏、永住へ帰化手続き 2011.4.17 産経 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110417/art11041711580005-n1.htm 日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)が日本に永住する意思を固め、日本に帰化する手続きを始めたことが15日分かった。関係者が明らかにした。関係者は「東日本大震災で大変心を痛め、被災者との連帯を示すために永住への思いが固くなったようだ」と話している。
キーンさんは1922年、ニューヨーク生まれ。学生時代に「源氏物語」の英訳を読み、日本文化に興味を抱いた。日米開戦後は海軍情報士官として、玉砕した日本兵の遺書を翻訳したり捕虜を尋問。復員後、英ケンブリッジ大、米コロンビア大、京都大で日本文学を学んだ。「日本文学の歴史」「百代の過客」「明治天皇」などの著作で知られる。
三島由紀夫とは京大留学中の54(昭和29)年に知り合って以来の友人で、三島作品の翻訳も行った。2008(平成20)年に文化勲章を受章した。
松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅をし、英訳も出版。東北大(仙台市)で半年間、講義したこともある。それだけに、被災地の状況を心配している。平泉の中尊寺は難を逃れたが、何度も訪れた松島や多賀城など芭蕉ゆかりの地は大きな打撃を受けた…。
キーンさんはこれまで1年の半分ほどを東京都北区の自宅で過ごしてきたが、26日にコロンビア大で最終講義を迎えることもあり、日本に永住することを決めた。周囲に「日本が大好きだから」などと説明しているという。
「危機だからこそ」 法務省は15日、震災直後の3月12日から4月8日までの4週間に日本から出国した外国人は延べ53万1000人で、このうち発生後1週間では24万4000人だったと発表した。震災発生前の1週間は14万人だった。
震災と福島第1原発事故を受けて、各国が一時的な出国検討を勧告したり、被災地からの帰国支援を実施したことが影響した。
NHKのインタビューに応じたキーンさんは「日本は危ないからと、(外資系の)会社が日本にいる社員を呼び戻したり、野球の外国人選手が辞めたりしているが、そういうときに、私の日本に対する信念を見せるのは意味がある」と語った。
「私は自分の感謝のしるしとして、日本の国籍をいただきたいと思う」とし、夏までに日本国籍を取得する考えだ。
独身を通してきたキーンさんは「私は『日本』という女性と結婚した。
日本人は大変優秀な国民だ。現在は一瞬打撃を受けたが、未来は以前よりも立派になると私は信じる」と、新たな祖国になる日本の復活を信じている。
励ますため…ドナルド・キーン氏 日本永住へ 2011年4月27日 11:13 日テレニュース24 http://news24.jp/articles/2011/04/27/10181731.html http://sankei.jp.msn.com/images/news/110417/art11041711580005-p2.jpg
http://sankei.jp.msn.com/life/photos/110417/art11041711580005-p2.htm 大和魂を見たような気が いたしました http://livedoor.2.blogimg.jp/laba_q/imgs/a/f/afe24b64.jpg http://labaq.com/archives/51472256.html
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感謝
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我が家の近くの桜並木、満開です。
並木の下では、毎年屋台が出て、お花見が行われていますが、
昨日は、大勢の人が、お花見していました。
先週は、ちゃぼも中学校の入学式を迎え、中学一年生となりました。
今日から、お友達と、登校しています。
これから、どんな中学校生活を送るのでしょうか。
ちゃぼはいろいろ不安や楽しみがあると思いますが、
たまりんは、我が子が中学一年生になるのは3回目なので、
ま〜〜〜〜ったく緊張感がありません。
今年は、中学一年生のちゃぼより、高校3年生のふみと
中学3年生のももの(お金の)方が心配です。
ふみは、志望校など、決まっているそうです。理系の大学であることは
間違いないのですが、国公立を希望してほしいです。
来年の今頃は、明るい話題を提供したいな〜と思っています。
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昨日は、ちゃぼの小学校の卒業式でした。 昨日は計画停電は行われず、午前9時30分より始まりました。
式が始まる前に、待っている間に、地震が起き、ちょっと揺れましたが、
無事に収まり、時間通りに行われました。
今回は、たまおも式に参加しました。たまおはめったに子供の入学式や
卒業式には行きませんが、ちゃぼの保育所修了式(卒園式)には出ました。
今回は、子供3人全員が小学校卒業となり、これが最後なので、卒業式に
出ました。子供達それぞれ6年間、親は11年間、小学校にお世話になりました。
今回の卒業式は、親は小学校最後であると同時に、いろいろ
記憶に残る卒業式になりました。無事に式を迎えられて、
本当に、良かったです。
式が終わり、帰宅してから、たまおは車で仕事に行きました。
たまりんが家にいたら、たまおから電話がかかってきました。
たまお「ガソリン、入れられたぞ〜。並ばずにいれられたぞ。」とのこと。
ガソリンが入れられるなら、いつも給油でお世話になっている
スタンドでも大丈夫かもと思い、たまりん、早速いつも給油している
スタンドに電話しました(行ってから、ガソリンが完売とか店が閉まっていたら
無駄足になるし、ガソリンがもったいないため)。
たまりん「そちらでは、ガソリンは、大丈夫ですか?」
店員「大丈夫です!!」
たまりん「これから、給油しに行きます〜〜〜〜〜〜。」
ということで、それからすぐに、そこのスタンドに給油に行きました。
満タンにガソリンを入れ、帰宅しました。
ありがたや〜〜〜〜、ありがたや〜〜〜〜〜〜。
せっかく給油できたので、これからも無駄遣いせず、
ありがたく感謝して、使わせていただきます。
お店にパンや牛乳は並んでいますが、
これからは、無駄に買わず、食べ物だけでなく
他の物にも沢山感謝して、過ごそうと思います。
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江頭2:50、自らトラックを運転して救援物資配送 かっこよすぎます。
まるで伊達直人のようです。
これが真の芸人だと思いました。
純粋に一個人として行われたものである為、本人の意思を尊重して情報を拡散しないで欲しいと訴えた。
ということですのでこのことは皆さんの胸の内にそっとしまっておいてあげてください。
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そういえば、昨日3/17は、
結婚記念日でした〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
しかし、昨日は、そんなこと、すっかり忘れていました。
たまおも忘れていました。
今日になって、しかも今頃、思い出しました〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
最近は、震災、計画停電、原発、明日のご飯のことで頭がいっぱいで、
自分のことなど後回し・・・。 たまりんがいつも通っている
整骨院が3/17が6周年記念日と書いてあるのをみて、
思い出した次第。昨日も、夜に余震があり、そっちに
気をとられていました。
1991年3月17日に結婚披露宴を行いました。
その2年1ヵ月後にふみが生まれ、
さらにその3年4ヵ月後にももが生まれ
さらにさらにその2年1ヶ月後にちゃぼが生まれました。
結婚して20年経ちました〜〜〜〜〜〜〜。
これからも、のんきに、元気に生きよう〜♪
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