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証言 「兵士たちの戦争」
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2007/06/001.pdf#search='証言%20兵士たちの戦争
静岡第34連隊2000キロに及び大行軍、規模においても日本陸軍最大の作戦
本土防衛の絶対防衛圏死守の為、フィリピンバレテ峠の攻防
武器,弾薬無く、信じ難いが竹槍、急造の刀で毎夜、一個小隊(40名程度)が夜襲ほとんど生還する者
ほとんどなし。食料の補給もなく、栄養失調マラリア、赤痢かかり病死多数、人肉を食ったようです。
岡山第10連隊約3000名中生存帰還220名
107連隊のソ連侵攻に備えて終戦を知らされず8月25日まで交戦。
すでに関東軍主力,火力は南方へ転戦、満足な武器もなく、一回の戦闘でほぼ壊滅状態。
喉が渇き、チョロチョロ音のする方を見たとき、それは真っ赤な水が流れていた。
雨のような砲撃の中、泣き叫び「おかあさーん」と叫びながら死んでった。
終戦後もシベリア抑留。
マニラ市街戦は現地住民を巻き込んでの戦闘
地元住民を巻き込んでの壮絶な白兵戦。
一緒に話していた者が砲撃、爆発の瞬間、頭が壁に吹っ飛びグシャグシャになっていた。
日本兵戦死16,000名 米兵戦死1,000名 現地住民120,000人死亡
私の父親もシベリアや抑留。その送られる貨車の中から日本の婦女子が乱暴されるところを見たらしい。
日本軍も基本的に現地調達をする為。同様の略奪、暴行をしたようです。
証言や史実を検証してみる時
補給もなく現地調達の中で、飢餓、伝染病などにより病死、精神論による無理無謀な作戦で
多くの日本人の命が虫けらのように扱われなくなっていった。
中国大陸でも東南アジア、マニラなど邦人はもとより多くの民間人が犠牲になっている。
一般兵の多くは徴兵であり、郷土兵で編成され、残された家族,親族の為に逆らうことや逃亡することもできず、死んで逝った。無事帰還した人たちも、死んで逝った戦友に対し自責の念も持ちながら生きている。誰一人として、また戦うとか言う人はいない。言葉では語りつくせない、経験した者でしかわからない体験をしてきている。
このような時代を思うとき、当初は戦勝気分でちょうちん行列など国民も浮かれ、戦争の本質や
世界の事情、日本の国力など考えることもなく、戦意高揚の情報操作に浮かれ、時流に流される
「ムード的ファシズム」に心酔していった。
他国が意に沿わないからと言って武力に訴えるのであれば、相当の覚悟が必要です。
覚悟もなしに、吠えるのは私は大嫌いです。
いろんな話を聞けば聞くほど、その上にたって覚悟があるとは軽々しく言えない。
大東亜戦争が東南アジア諸国の解放などの戦争ではない。
今で言う日本の国益、資源確保の南下政策であり、欧米に対する覇権争いです。
時代の趨勢であったことは事実であるが、このことを肯定すればまた、多くの人の命が無駄に失われることを繰り返す。
いくら米国が大国でも、大義なき争いには勝てないことは、戦後幾度も経験してきている。
戦後、日本人は自由な時代の中で過去に類をみないほどの高度成長を成し遂げ、
日本人の優越性や誇りを持ち、卑屈にもなっていないし、名誉も失っていない。
一方豊かさの中で拝金主義の横行や、自由主義の中で荒廃する精神は、自虐史観によるものではない。
人間社会の持つ、断ち切れないエゴでり、民主主義の中で新しい秩序を構築していたなければならない。
人間は、世代が変わろうとも同じ過ちを犯さないように努力していかなければならないと思う。
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