セイジの暮らし

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「連帯」発足30年に想う!
 
8月31日を持って当局より合法的な組合として認められ「自主管理労組・連帯」が誕生した。
その後は東欧諸国に大きな影響を与え、やがてベルリンの壁崩壊、東西冷戦の終結へと導いたと言っても過言ではない。
当時、ポーランド・グダニスク、レーニン造船所から送られてくるストの映像は、
少なからず若い私に衝撃を与えた。
 
みんな武力で鎮圧されるのではないかとか、当局がしなければソ連が出て来るのではないか、
など、遠い異国の事とは言えハラハラ・ドキドキしながら見たいたのを、いまだに忘れられない。
 
しかし、30年経った今、連帯に携わった者たちは、どうなったのか「連帯」自身はどうなったのか。
 
昨日、またまた新聞記事を目にした。
 
30周年の式典はバラバラ、組織も変貌、多くの亜流を別れ権力闘争を繰り返しているようだ。
 
「連帯」発祥の意義は何だったのか、今の様な時代の中でこそもう一度考え直してみなければならない。
私は、コミュニストも強欲な資本主義も嫌いだ、多少の損や得があってもいいと思う。
私のコミュニスト嫌いは、若い頃国鉄関係の職場で、当時労働組合の傍若無人ぶりを目の当たりにしてきたからだ、JRに代わる時の豹変ぶりも知っている。
彼らは身の安泰な時は、地主の様な振る舞いをし、身が危うくなると手先のように迎合した。
彼らの唱えてきたことなどすべてが、虚構だったと言うことか。
 
行政や政府も同じことだ、これらはすべて権力の象徴でしかない、今行われている民主党党首選もおなじだ。国家や国民の事を思い、政治に携わっている政治家や官僚がどれほどいるのか
今の日本の状況をみるとおりだ。
 
所詮、権力の座とは取った時から腐敗が始まるとはよく言ったものだ。
 
もう民主党にも、ましたや管にも小沢にも期待していない。
小沢ごときは悪の極みのように感じる。
中には政治にはカネがかかるとか、必要悪だとか、知った風なことを言う者もいるが
悪事を働く者が、どうして貧しい下々の事に心を砕くことが出来るだろうか
苦しみをともに共有した者でなければ、苦しみは解らない。
 
当時先頭に立って戦った、ワレサも今は、「連帯」を脱退し式典にも参加しなかったそうだ。
人間のすることはこんなものなのか。
 
連帯の精神とは何だったのか、ワレサは言う。
たとえば一人で持ちあげれない石があれば、一緒に持ちあげてくれと声をかけると、
助けてくれる人が現れる。これが「連帯」の精神だ。
世界にはまだまだ重い石に苦しんでいる人々がいる。
そして、連帯の精神も生きている。

龍馬伝(半平太死す)

龍馬伝(半平太死す)
 
今夜、武市半平太が三文字切り切腹して果てた。
切腹の作法としてはあるが今までに三文字切腹を成し遂げた者は武市以外にないと言われている。
 
幕末に数多登場してくる人物の中で、半平太はそれ程、有名ではないが、
もし生きていたら歴史が変わったかもしれない、人物であったことは間違いないと思う。
 
人となりはウキペディアを参考に
・言説さわやかで人格も高潔にして誠実、武士道仁義を重んじていた。
・見た目は色白・美形・堂々たる体格
・剣の腕も一流で教養もあり、指導者としての資質を十二分に持ち合わせていた。
・芸術方面では南画の腕もあった。
 
武市夫妻に子が授からないことを心配した吉村虎太郎が、富子に七去を説いて実家へ帰らせ、その留守に若い娘を女中として送り込んだが、武市は次々と送り込まれた娘たちに手をつけず、吉村の計略に気づいて、吉村を叱りつけた。
 
なんとも世の奥さんたちのご主人が半平太の様な夫であれば、涙を流して喜ぶであろう。
同性の私も憧れる人物だ。
 
以前にも紹介したが、幕末の四賢侯と称された山内容堂にして、死なしたことを後悔せしめた。
 
武市の人格を評する言葉が残っている
「一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった」
「人望は西郷、政治は大久保、木戸(桂)に匹敵する人材」
 
どうしても今の時代と比較してしまうが、
龍馬をはじめ西郷などこんな人物が、国難に際して、現れてこない事が平成の不幸だ。

攘夷決行 2

攘夷決行 2
 
「龍馬伝」より、急先鋒の攘夷派、武市半平太率いる土佐勤皇党は失速。
策におぼれたのか、時代を見る目が無かったのか。
 
維新の混乱、見えない方向性、混沌とした時代、なんだか現代にも通じるような
 
何が必要なんでしょう ?
 
政治家たちは、政権の座に汲々として、日本の将来像を示すことが出来ていないように感じる。
 
そして、有権者も一挙手一投足に言及して本質を見失っているような気がする。
 
例えば、ごく普通に小沢の疑問に対し、多くの国民が疑問を持っているが、
ある者は検察を攻撃、検察審議会が起訴相当を出せばやらせのように攻撃
検察も過去に、疑問を持たれるようなことがあったにせよ、だから今回(することすべて)も
悪意があるかのような予断を持った論調には同意できない。
 
小沢がいて政権交代しても、このていたらく、選挙目当ての客寄せパンダを仕立てることばかりに汲々としている、彼に何を期待しているのか。
彼が真に日本の指導者なら、きちんと方向性を示し、裁判でも堂々と受けて立ち、疑念を晴らすべきだ。
参議院選をはじめ、日本の政治はこれからまだまだ混迷するだろう。
与野党、攻守が変わっても言ってることは全く変わらない、政治の内容も全く変わっていない。
ある意味、現実とかい離したきれい事を言い連ねるあまり、自民党時代より混乱し悪くなったような気もする。
 
何が正しかったのかは、後世の結果を見なければならない。
 
今政治に問われているのは、明確な方向性とその指針だと思う。
 
武市も切腹させられるが、後になり容堂は、武市を死なせたことを後悔したとか。
維新後の日本を造り出した薩長土肥の中でも薩長に比べ土佐の活躍は見劣りする。
 
武市率いる土佐勤皇党が、あの時点で正しかったのかどうかは解からないが、一つの時代を
リードしたことだけは確かだ。
 
 

憲法記念日に考える

(ちょっと遅ればせながら)憲法記念日に考える
 
与えられたものだから改憲,自主憲法をとは思わない。しかし現状に合っているかどうかを、年に一度はぐらいは検証し、どうあるべきか議論するいい機会だと思う。
そして、特に基地問題で揺れる今、9条を原文と現状から考察したい。
 
さて9条原文から
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争
   武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
あくまでも自ら国家間の紛争の解決手段として国権の発動たる戦争と、
これの目的を達成する戦力は持たないことは当然です。
そして戦争をしないのですから、交戦権は当然ない。
(なお交戦権とは戦争法の交戦規程など言われ、武器の使用規定などをさすようです。)
9条に関し改憲,護憲派双方共、自らは他国を侵略戦争はしないと言う点において、ほぼ異論が無いのではないでしょうか。
 
日本と他国の国家間による紛争が起こった場合、武力による解決を望む者はいないだろう。
各種国際機関や国際世論、外交交渉などで解決の方法を探ることが、9条の精神そのものであり話し合いによる解決の努力を当然しなければなりません。
 
しかし、問題は万が一、一方的に侵略を受けたり、テロ行為を受けたらどうするのか、そして侵略の危険性に対し備える必要はないのか、と言う点に
付いて、議論をしなければならない思う。
 
9条もこの点(侵略を受けた場合)について、想定していないように思う。
 
私は、自衛のための自衛隊は合憲であり、その戦力を保持することは、紛争解決の為の戦力には当たらないと考えます。
その場合、武器使用の規定など、自衛の為の交戦規程を明文化する必要があるのではないか、その結果憲法解釈による既成事実の積み上げと言うようなことも、防げるのではないかと考えます。
そしてそのことは、戦争を放棄し、平和を希求することと、自らを守ることとは矛盾しないと思います。
 
この点について、非武装を唱える人たちはどう思うのか聞きたい。
 
なお
問題解決は武力ではなく外交交渉でと言いながら、北朝鮮による拉致問題に対しても、「拉致家族はもう少し控え目にしてくれたら」と言う人や
我が国領海に意味なく、外国戦艦が近づいても問題視せず、問題視や懸念を表明したと言って逆に自国政府を非難する、戦争を放棄し紛争は外交交渉や国際世論に訴えることで紛争解決を図るのであれば、このようなことに、
なぜもっと抗議しないのか、あまりにも自虐的かつ、隷属的な、ことなかれ主義では、およそ独立国家の国民(主権者)とは思えない、このような人たちの考えには同意できない。

祝!ブログ開設3年

祝!ブログ開設3年
 
誰も言ってくれないので、自分で言うのもなんですが、4月の29日でブログ開設丸3年
昨日より4年目へ突入、しかし昨日は、なれない日本酒を飲み、酔いどれて、フラフラになってしまいました。 今日も頭がフラフラしています。
普段は、ビールばかりですが、胃の調子が悪かったので冷たいビールより、かん酒(ヒレがあればヒレ酒)を飲んでいましたが、やっぱり酒はアルコール度数が高いだけあってビールとはよい方も違いますね。
こんなんで車の運転は絶対ダメ、事故するの当たり前です。
 
さて、3年前当時の統一地方選挙が終わり、選挙運動、応援していた方が惨敗でした。
正直、選挙に大義などありません、如何に票をとるか、ただその一点だけです。
その為なら、陰でのネガテブキャンペーンなど、何でもありです。
 
今、小沢に対する待望論や擁護をする人たちが結構いますが、彼らは選挙に勝つための政策をしているのであって、国の将来を憂う政策本位での選挙をしている訳ではありません。
 
そのいい証拠が、待望した政権交代、そして選挙公約をどれほど実行できたか。
基地は国外へ移すことが約束ではなかったのか。(私は最初から出来るとは思っていなかった)
出来ない、空手形をどれだけ切ったか、それはすべて選挙に勝つためだけです。
その先鋒が小沢そのものです。彼の卓越した経験や手腕に期待する人も多いようですが
これ見よがしに自らの権力を誇示するかのように中国へ大挙して行ったり、権力の虜となった者に私は何の期待もしていません。
 
それ以上に政権を取れば、自民党同様の行政擁護、行政改革刷新など政、官のもたれ合いは続いています。
政権(権力)を取った時から、権力の座を守ることしか考えていません。
そのことは、すべに多くの国民も気づいています。
 
しかし、これに代わる自民党は、かつて行ってきた所業からすでに資格(信頼)を失っています。
生まれ変わった自民党でなければ、国民の支持は得られないでしょう。
 
私は、誰かにどこかに加担するのではなく、自らの考えと言葉で行動したいと思い、ブログを書き始めました。
未だ力不足の為、なんらの発信力もありませんが、既存の政党の宣伝マンにあるつもりもありません。
 
最近、つくづく思うことは、変革の力は、ホリエモンの様な人間ではなく、戦後の日本や、韓国
そして、バーリンホォーに象徴される今の中国など、徒手空拳の若い力の台頭が絶対不可欠です。
 
唯一次代を担う徒手空拳の旗手の可能性を感じるのは湯浅ぐらいかもしれないが、
変革を成し遂げる、パワーにイマイチ欠ける様な気がする。
 
私にはその先駆けとなる知識と行動力、人望がないが細々とでも誰かに加担することなく
自らの経験と判断でこれからも行動していきたい。
 
 
今の日本には、徒手空拳の行動家がいない !

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