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明日退院
結核で入院していた母親が明日やっと退院できることになりました。
思えば、1月は肺炎で入院、3月は転倒で左大腿骨と左手首を骨折、5月に退院後老健へ
7月結核発症、府立、呼吸器、アレルギー病院へ入院、そして明日無事退院といいたいところですが
前に入っていた老健へ、この間5キロ位は体重が落ちただろう、やせ細ってしまった。
歩くどころか立つのもままならない状態に、本人も大変だろうが、介護する方も大変だ。
私も、心身ともにくたびれ果てている。
生まれて、老いて、死に行くとは実に大変なことだ。
先日もNHK特集で報じられ話題になっているらしい「老人破産」 歳がいき、みるべき資産も家族もない老後が
現実のものになってきた、少子高齢化社会。
多少の資産があろうとも、お金が痒い背中をかいてくれないし、風呂にも入れてくれない、有料の施設にしても
他人に面倒をみてもらうにしても、なかなか思うようにはならないだろう。
施設や病院に見に行けば、ふそく(不満、愚痴)ばかりを言う母親
私は「そんな話は聞きたくない」と相手にならない母親にすれば、愚痴話を「うん、うん」と言って聞いてやれば
納得(自己満足)するのだろうが、そんなことを言えるのも支える者があってのことだと、こっちも思う。
ふそくを言うより、その歳まで、いろんな人の助けを受けて生きながらえせていることに感謝するべきだ。
まだ続くのだろうが、最後の日まで母親は私が何とか頑張って支えて行きたい。
元の老健に入れるようになったのだが一旦、家に連れてきて散髪をしてやろう。
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医療,介護
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今度は結核そして厄介払い 2
昨日は、保健所へ行って来た。
何年ぶりかの飲食業の営業許可書の更新と検便、そして母親の結核に関する書類の提出
三つ位の用事を一か所で済ますと何となく満足感がある(段取りよく行った)
検便の受け付けは二階、二週間ほど前に更新手続きをしていた営業許可書を一階の窓口でもらった、そしてその人に病院からもらって来た、種類の提出先を尋ねると「隣の窓口です」と、言いながら担当者を呼んでくれた。
余談ながら、以前はお高くとまって偉そうにしていた、保健所も随分変わった。
保健師と言う若い女性の担当者が人が対応してくれた。
病院からもらって来た、封筒の中にCD一枚とA4の紙が一枚入っている、CDには画像データ等が入っていたようだ、そして紙はカルテの様なものだった。37条の2と言う記述もある。
これを観てハッキリ結核であることと、どう言う種類なのかと言うことを確認し投薬のクスリの指定や医療費負担の補助も出る様である。
割にきめ細かい対応と補助をしているようだ。結核と言えば昔なら不治の病で伝染病でもあり
蔓延すれば国自体が大変なことになるので昔から、法定伝染病やら、防疫やら色々制度も変わりながらも現在では感染症予防法に基づいて対応されているようだ。
その法律に37条に結核の事が書いてあるのだろう (詳細は省略)
37条では配菌の恐れがあるものは隔離をするようになっているらしい。そして、37条の2配菌の
恐れが無い、或いは極めて少ない場合は、入院(隔離)ではなく通院投薬でも可能。
そのようになっているらしい。
そして、今回の老健での経緯も色々話したら親身になって聞いてくれた。
これらの事を色々聞いて行くなかで、今回老健がした対応が段々見えて来た。
母親は以前から微熱が出たり収まったりしていて、血液検査で炎症反応も出ていた、どこかに何かあるのかと思っていたところ、先週木曜日、若い看護士からの電話があったのだ。苑の方ではすでに、タンの培養で陽性反応があり、もう一つの検査でも陽性だったので、結核であることを100%確信していた。 結核患者が出れば医療機関は保健所に届けでする義務がある。
そこで苑では系列(徳州会病院)で検査をしたようだが、届けで義務が無いので専門機関である
府立の呼吸器アレルギーセンターを受診させ、そこで結核であることを確認させ、届けでさせて入院(隔離)させる段取りで、苑としてはこの段階で退所処置を取るため、出て行く者に説明や
親切な対応をする必要も無い、要するにさっさと放りだせばそれで厄介払いが出来ると思ったこと、確信を得た。
それならなぜ苑の方は最初からハッキリと入院(隔離)ですと言わず、専門病院で受診してくれ、そして多分入院することになると思いますと曖昧な言い方をしたのか。
37条の2に該当する場合は入院ではなく、通院・投薬治療も可能だからだ、ただその場合でも
老健から通院・治療をさせられないので、このような場合、入院させるようである。
結局、苑は病院へ受診しに行けば、そのまま入院する流れになることを熟知していたので
いまさら、説明をする必要も無く、荷物だけ早く引き取らせ、金銭の清算をさせれば、
ハイそれで、一丁上がり、と言うつもりだったのだろう。
しかし、みなさん老健施設とはどんな施設ですか?
介護保険とはどんな制度なのですか?
「母親は自分はどこも悪くないのに何でここに居るのか」
昨日話しを聞いてくれた保健師の上司の人が、母親が入院した、その日、病院に居合わせ面接し、そんなことを言っていたと
教えてくれた。
何も知らされず、突然部屋を変えられ、翌日は病院へ連れて行かれ、入院(隔離)自分の身に何が起こったのか、家族や本人の不安や苦痛を、奴らは少しでも考えたことがあるか。
ますます許せん
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今度は結核そして厄介払い
木曜日の午後、母の入所している老健から悠長な物言いの若輩者からの電話が入った。
質問する度に 「ちょっと待ってください」 そんなことが3〜4回続いた、全く要領をえない
結局のところ母親は施設内の検査で結核に掛かっているらしいとの事だった
そこで、大阪府の呼吸器アレルギーセンターで受診をしてもらいたいとの事だった。
当然、家人の付き添いがいる私は無理、別居中の嫁さんに予定を聞き、金曜日に行ってもらうことになった。
それからまた事務方から電話が入った、
「多分そのまま入院になると思いので苑である必要な物を持って行って下さい。清算もしていってください」
「判りました、それじゃー病院の帰りに残りの荷物を引き取り、清算もその時させてもらいます」 突然に藪から棒な話しで驚き、戸惑ったが、仕方がない。 何もなく帰ってくる可能性はないのか? 退院後の介護相談など、今後はどうしたらいいのか? それでも何の説明や今後の対応も話されず疑問は残った。
翌日(金曜日)の午後電話が入った、病院では検出されていないが、苑で行なった培養検査と
もう一つの検査で陽性反応がでているので入院して主に投薬治療を行っていくとの事だった。
そしてその時、嫁さん曰く
「苑行った時、滅茶苦茶、腹がたった、主人が聞いたらタダで済ましませんよ」と捨て台詞をはいて来たらしい。
一体何事なのか、朝、苑へ身支度もあるので少し早目に行ったが、なかなか部屋に案内してくれない。そしてようやく案内されたのが、いつもの部屋ではなく、二階の個室、昨夜の内に隔離
していたらしい。もちろんそんなことの連絡は一切ない、出て行ったらそれで終わり、清算を済ませば厄介払いが出来て、一丁上がり後は関係無いと言ワンばかりだ。
ようやく病院へ行く身支度を始めたら、ついて来ていた看護士の婆が、
「これもあれもみんな持って行って」と
入りきれないカンパに押しこんで来たらしい。
そして「昨夜は○○さんのお陰で大変やった」嫌味を言ったらしい。
それにはさすがの嫁さんも切れたようで、後から来た主任の看護士に
「こんな事を主人が知ったらタダではすみせんよ」と言ったそうだ。 言いだしたらきかない、そんな私に嫌気がさして出て行った嫁さんだが、嫁さんも世間に出て控え目にしていれば
なんでも済む位に思っていたのだろうが、世の中はそうもいかないと言うことを思い知っただろう。
入院の手続きヒアリングを終へ、荷物の引き取りと、清算をしようと思い苑の方に寄った。
清算をしようと会計へ行くと、すでに郵送したと言う。 「そうですか」
それなら荷物を引き取りに部屋に行こうとして、詰め所による年配の介護士が同行し部屋に
行こうとすると、廊下の向こうの方から、「荷物は二階や!」と言う声がした
いつもの部屋のペットも荷物も空っぽだつた。
「そうか、出て行く厄介者の荷物はどこかよそに移したんやなー」と感じた
我慢して、二階へついて行った、そこで看護士の主任が出てきて、母親が移った個室の部屋に
連れていかれた。
私は、その時は未だ、事情がよく呑み込めていなかった。 身の回りの荷物が雑然と置いてあった。白々しく看護士の主任がタンスの引き出しを一つ一つ開け、「もう何もありませんね」
そして「奥さんは何か言われてましたか?」と2から3度尋ねて来た。
「いや別になんか荷物をみんな持って行くようにとか・・・」 数か月して無事退院出来れば、またお世話にならなければならないかもしれないと、本当は言わぬつもりだった、
我慢するつもりだったが、嫁さんの話し、苑へ来てからの対応、そしてこの主任の対応、
何も聞いていないと言えば、知らん顔をして済まそうと思っているのかと、
そんなことを思った瞬間、もう我慢の糸が切れた。
「今から病院へ行く者に荷物を全部持って行けとはどう言うことや」
「汚い物、汚染でもされている物のように、そんなに厄介払いをしたいのか」
こうなったら誰が何と言うと、もう私は止まらない。
その辺にある、母親の荷物を二階の網戸の付いていた部屋の窓から、網戸を突き破り
みんな放り投げた。「そんなに邪魔ならみんなゴミとして処分しろ、ただし私物やから、このままでは済まさんぞ!」
ついに、こんな羽目になったが、 もう後へは引かん とことんやる!
続き
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来てくれ!
昨夜、老健の母親から電話
一昨日(日曜日)に行ったところで、その夜にも電話で、「○○買って来てくれ」
各日ぐらいに行っているのにわざわざ電話して来なくても
そして昨夜は何の用か判らない 「とにかく来てくれ」
集団生活は苦手な母親
病院そして老健、ソロソロ限界かなーと気になっていた。
老健に夜8時頃に着いた。
私の顔を見れば安堵した様子だが
「何を話そうと思ったか、思い出せないが、もうこれで終わりや、死ぬようや」と繰り返し話す
思い込みが激しい、言い出したら聞かない、母親には軽いうつ病がある。
聞いていて返事に窮する、 正直言って、こちらの神経までボロボロ、クタクタになる。
私は以前から親として考えていたことがある、子供に最後に教えられるのは死に様か
見苦しくない様に、潔くありたいと、ずっと考えて来た。
生きとし生けるものにとって必ず終わりが来る。
その時をどうむかえるか?
宗教で悟りをひらくか、 哲学を学ぶか、 刹那的に生きるか、
いずれにせよ死は避ける事は出来ない、秦の始皇帝ですら不老不死の妙薬を世界中に探させたが、あろうはずもない。
格差社会となった現代でも、唯一平等なのは寿命だと言いたいが、金で永遠の命が買える時代が来るかもしれない、いずれにせよ、大多数の人にとって平等におとずれる。
正直、ブログの話題にはしたくなかったが、一人一人がやはり考えなくてはならない。
「ココ(老健)に居るのは、家に帰るためのリハビリや」
「だからいつも頑張って足を動かすように言ってるんや」
もうこのままここで、息絶えるしまうものと思いこんでいたようだが、
その一言で気を取り直したようで「それでよう判った」と納得
「おそくに悪かったなー もう帰ってくれ」
安物の服でも買って行けば、気もまぎれるだろうと思って、今日も買って来た。
正直、母親のところへ行くのは気が重い、また何を言いだすのだろうと考え込んでしまう。
介護する方も、される方もみんなこんなものなのか?
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