松永弾正久秀
正直あまりいいイメージはない方のほうが多いかと思います。
■主家の三好家を滅ぼす
■将軍足利義輝殺害
■東大寺大仏殿焼き討ち
■信長に2度背く
■「平蜘蛛の釜」を抱いて信貴山城で爆死。
■梟雄、下克上という言葉が最高に似合う人物
■茶人として一流の文化人でもある
■「多聞櫓」など築城の名人
こんな感じが松永久秀を表すものでしょうか?
ルイス・フロイスは久秀をこう称しています。
「すぐれた人物であり、知識も持ち、賢明であり、統治の才を備えた人物である」
多角的な見方が出来て面白い人物ですね。
非常に現実主義者でもありました。大仏を焼く時も、
「木と銅で出来た大仏を焼いたからといって何の神罰があろう」
って。
また、信長に攻められいよいよという時、空に赤い星が現れた。人々はこれを神仏の怒りと考え、久秀の滅亡を予告するものとして「弾正星」と呼んだ。城に火がかかる時、家臣の一人が弾正星のとおり滅びる事になったというと久秀は、
「星が現れたのは偶然に過ぎない。星というものは自然の理に従っているのだ」
とも。少し生まれるのが早すぎたんですかね。人物としては好き嫌いではなく魅力的です。
また別の一面もあり「備前老人物語」にある有名な話では、松永久秀は125歳まで生きると公言していました。願望ではなく、合理主義精神の武将です。実験をしていました。1年の寿命といわれる鈴虫の命をどこまで延ばせるか、飼って試してみて様々な方法を駆使して3年生かした。鈴虫でもそれ位できるのだから人間も養生次第で長寿を保てると考えたのです。(鈴虫と人を一緒にはしないでほしいけど‥)
久秀は茶人としてだけでなく、連歌もよくする武将でもありました。その血を受け継いだのが、孫の松永貞徳です。貞徳は久秀のただ一人生き残った息子永種の子です。貞徳は和歌と連歌を学び、秀吉の祐筆を努めますが次第に歌人としての才能を発揮し、江戸期になると俳諧を志し、貞門俳諧という一派をなします。
梟雄であり文化人でもある。松永久秀は知れば知るほど奥の深い武将ですよ。
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個人的には許すわけにはいかない人物ですね。
2006/4/23(日) 午後 7:24
松永久秀に対して個人的に何かあったんですか? たしかにやってきた事自体は許されざる行為が多い武将ですけどね‥
2006/4/23(日) 午後 10:17
まるこの大好きな武将のひとりです!!是非太河ドラマにしてほしい御仁です!平蜘蛛茶釜と一緒に爆死したと言うのが一般的だけど…実は生き延びて千利休の養子で茶道三千家の祖となった千少庵と同一人物って説もありますよね!
2006/4/24(月) 午前 0:01
松永久秀は、煮ても焼いても食えないところが好きです。
2006/4/24(月) 午前 2:05 [ 鳳山 ]
大河ドラマにすると濃さそうですねぇ‥でもおもしろそうです!! 千少庵=松永久秀説は天海=明智光秀説みたいなもんですかね。
2006/4/24(月) 午前 3:03
『千少庵=松永久秀』説は昔久秀が所持していたとされる門外不出の茶器が千家に伝わっている辺りから出てるんですよ!その他にもいろいろあって正直以外と有力みたいなんですよw
2006/4/24(月) 午後 11:28
千少庵が久秀の子供という説もありますよね? 千家に養子に入っているのと出自が明らかではありませんし。
2006/4/25(火) 午前 1:28