先に、織田信長の子供について記事を書きました。コメントを頂いた中でフィギュアスケートの織田信成選手の先祖は?という質問がありましたので答えました。
織田信成選手の先祖は七男「織田信高」で17代前になります
しかしその織田信高について1行ちょいしか書いてないのでもう少し詳しく記事にします。
生母は側室の「お鍋の方」で信長との間に3人の子供をもうけその年長が信高です。
他2人は娘「於振」と八男「信吉」
幼名は「小洞丸」で明らかに兄信秀の幼名「大洞丸」と対で適当に付けられたものと思われます‥
本能寺の変の時、信高は12歳で美濃にいて氏家行広に養われていましたが、後に共に宇都宮に蟄居します。
何故氏家氏のもとに預けられていたかは不明です(諸説有)
※氏家行広は氏家卜全死後、後を継いだ氏家直重の弟です。
元服したのは天正11年頃で、藤十郎信高と名乗ります。そして間もなく佐々成政の娘を嫁に迎えます。
21歳の時(天正19年)に近江国神崎郡山上内山田村で1060石を得て豊臣秀吉の直臣に取り立てられる事になります。
更に文禄4年に1000石の加増を受けて合わせて2060石の所領を得ます。
関ヶ原の合戦では、弟信貞(九男)と相談して徳川家康に参じるもすでに合戦は終了していて、旗本として2060石を安堵されたにとどまるのです。その2年後の慶長7年(1602年)に32歳で病没します。そのわずか1年前に生まれていたのが、嫡男長十郎高重で家督の相続が認められました。孫の信倉の代の享保13年に毛並みのよさが認められ高家に昇格します。
あまり知られていませんがこれが信高の生涯です。兄達と比べると波乱もなく穏やかな人生ですが織田信長の血を現在まで残した功績は大きいと思います。(次男信雄の血など他にも残ってはいますけどね)
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「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」という信長の句をヒネって織田信成クンは某テレビ番組の取材で「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と詠んで話題となってたみたいですよw信成クンの母でコーチを務める憲子サンは夫信義サンの実家に仏花を届ける際うっかり桔梗を送っちゃったっていう挿話もあるんですよ!! アハハハ!!
2006/6/3(土) 午前 1:27
現代っ子な感じですがそれでよいような気がしてしまいます。お母さんも世が世なら討ち首ものですがなかなかきつめのシャレが効いていて面白いですね!!
2006/6/3(土) 午前 1:35