朽木 元綱 1549〜1632
略歴
朽木氏は近江国高島郡朽木谷の豪族です。父・晴綱が1550年に戦死したため、わずか2歳で家督を継承することになります。
室町幕府の奉公衆を務めていましたが、1570年の朝倉攻めのとき、織田信長の朽木越えを助けて、その後は織田家の家臣となります。
信長没後は豊臣秀吉に仕え、1600年の関ヶ原の戦いでは、当初は大谷吉継に従って西軍に属しますが、小早川秀秋が東軍に寝返ったことに呼応して元綱も脇坂安治や小川祐忠、赤座直保とともに東軍に寝返り、なんとか、徳川家康から所領を安堵されるにとどまります。
元綱の死後、その遺領は朽木宣綱・稙綱ら3子に分割されてしまったために、朽木氏は大名の資格を失ってそれぞれ江戸幕府に仕える旗本として仕えます。
ですが末子の稙綱が、将軍徳川家光の信頼を受けて大名として取り立てられたために、嫡流の方よりも庶流のほうが家格が上回るという現象が起きました。
■朝倉攻めの信長朽木越えの時は最初敵対し浅井氏、朝倉氏組んで挟撃しようとしていましたが、説得され信長に味方します。この説得にあたったのが松永弾正久秀です。最終的に裏切りましたがこの時は、信長の命を救ったも同然です。なんか不思議な感じですね。
■朽木元綱も昨日の脇坂安治と同じく裏切りのイメージです。ですが見方を変えれば先見の明があったということです。
・当初浅井、朝倉と組もうとしてましたが、それより織田信長を選びます。
・本能寺の変後は明智光秀の誘いを断り、羽柴秀吉を選びます。
・関ヶ原ではやはりぎりぎり戦場でですが、徳川家康につきます。
戦場での寝返りのインパクトが強い為になんとなく卑怯な感じですが、戦国大名として乱世を生き抜いた見事な身のほどこし方だと思います!
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朽木元綱と言ってもたぶんあまりだれも知らない わたしも名前だけは知っているが 朽木越えは知らなかった。 戦国大名の身の処し方はまた現代を生きる知恵というか先見の明 ただ 信ずる者の為に死すのもまた生き方 死に方、
2006/5/7(日) 午前 9:15
確かにマイナー‥ですね。朽木元綱より朽木谷の方が有名ですし‥
2006/5/8(月) 午前 0:48
朽木元綱は室町幕府奉公衆繋がりで明智光秀と旧知の仲だったから朽木谷越えが実現したんですよね!朽木元綱と脇坂安治は関ヶ原後に家康から称賛されてるけど…便乗した小川祐忠と赤座直保は逆に家康と裏切りの約束をしていなかったんで裏切者として家康の逆鱗に触れ領地没収の上家名断絶の厳しい処分を受けてます……この処遇の違いの理由が未だにわかんないまるこでした… 脇坂安治だけが前持って家康に東軍への内通を意を伝えてるんですよ!!恐るべし“狸爺”…
2006/5/9(火) 午前 11:11
生きるか死ぬかの世界ですからね‥ 処遇の違いについて何か歴史の表に出てきていない密約があったんですかね?
2006/5/9(火) 午前 11:26
小川祐忠は基本的に先見の明が無いんですね!!関ヶ原の時点での寝返りも自発的では無かったし息子が石田三成色強過ぎたのも駄目だったんですね…TBしちゃいますw
2009/7/23(木) 午後 11:56
明智光秀の元で山崎の合戦に。
柴田勝豊の家老として仕えるも賤ヶ岳の戦いで秀吉側へ寝返り。
関ヶ原では西軍から東軍へ。
目立たないですけどこの人は裏切りの人生ですよね。
2009/7/25(土) 午後 1:33
最近はお忙しいんでしょうか?お体をお大事にして下さいませw赤座直保もUPしたんでTBしちゃいます…いつも申し訳ありません…
2009/9/18(金) 午後 4:48
朝早く夜帰宅後も育児の手伝いやらなんやらで気がつけば寝る時間‥
休日は長男の面倒を見ており時間がなかなか‥
慣れてくれば時間の使い方ももっと上手になると思うのでまた復帰しますよ!!
2009/9/18(金) 午後 8:10