『字』ってありますよね。仲達とか孔明とか孟徳とかっていうやつです。
これは基本的には成人(この当時の成人が何歳なのかはわかりませんが‥)する時につけるもので、二文字で、兄弟がいる場合には年長から順に、『伯』、『仲』、『叔』、『李(季)』を使用し、その後は『幼』の字が使用されました(例外も多々ありますよっていうか例外だらけかもしれませんが‥)。
夏侯淵の息子を見るとそれがよくわかります。
一般的には4人が知られています。覇、威、恵、和の4人です。
『演義』では
長男『夏侯覇仲權(権)』
次男『夏侯威季權』
三男『夏侯惠稚權』
四男『夏侯和義權』
です。
これでは基本的な字の付け方にそぐわないのです?
そうです!
実際は7人なのです(正史に記載されているだけで)
長男
夏侯衡 ? 〜 ? 安寧亭侯
『魏書夏侯淵伝』の末にその名が記されているだけで字の記載はありませんが伯の字を使用していたものと思われます。
次男
夏侯覇『仲』權 202?〜261? 博昌亭侯(魏) 車騎将軍(蜀)
三男
夏侯稱『叔』權 ? 〜 ? 関内侯
18歳にて夭折したと正史には記されています。
四男
夏侯威『季』權 204?〜 259? 兗州刺史
五男
夏侯榮『幼』權 207〜219
聡明であったが漢中にて13歳で戦死。
六男
夏侯惠稚權 207?〜243? 楽安太守
七男
夏侯和義權 207?〜269? 湘国左司馬
六男以降の字の付け方については勉強不足です‥スイマセン‥でも五男まではきっちりしているので六男には『稚』七男には『義』だったのかも。そして皆『權』との組み合わせなので長男、夏侯衡は『伯權』の可能性大?
とにかく夏侯淵の息子達はだいたいどの資料でも共通して出来がよかったようです。偉大な一族だなぁ!
ちなみに司馬懿の兄弟も同じような『字』です。長男、司馬朗『伯』達、次男、司馬懿『仲』達、三男、司馬孚『叔』達‥
こうして見てみるのも面白いかもしれませんね!
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諸葛兄弟はまるっきりの例外ですね(^m^)・・・以前読んだ本では、三国志当時「字」は本人がつけたとかいてありましたが、本当なんでしょうか・・・ 夏侯淵の息子達の中ではやっぱり蜀に亡命した長男さんを応援しちゃいます。
2006/5/12(金) 午前 0:47
あ、夏侯覇は正史では次男坊でしたね〜!上記訂正しま〜す!
2006/5/12(金) 午前 0:54
基本的に字は、父または貴人によってつけられるのですが、関羽のように字を変えてしまう事もあるので(元は『長生』です)もしかして皆違うの字があったのかもしれませんね!
2006/5/12(金) 午前 1:14
あれ?惇に養子に出された夏侯ボウは?
2006/5/12(金) 午前 2:15 [ jomox ]
正史では夏侯惇の次男です。 演義では淵の子で惇の養子になったとされています。夏侯一族はグチャグチャですね!
2006/5/12(金) 午前 2:21
[[ 追加記事!! ]] やはり六男は『稚』七男には『義』のようです!
2006/5/17(水) 午前 0:14
日本の「太郎→次郎」「一郎→二郎」みたいなもんですよね〜。
あと「孟」も長男なんですよね??孟起とか孟徳も長男ですもんね?
全然飛びますが、義経は9男ってことなんでしょうか??
2007/6/2(土) 午前 0:33
そんな感じですね。
『孟』の字に関しては勉強不足でして未確認です‥
義経は源義朝の9男ですよ。仮名も九郎です。
2007/6/2(土) 午後 0:19
正室の子か側室の子かで違うと宮城谷の小説で書かれていた気がします。
確か「孟」は側室から生まれた、その武将の一番目の子供ということだったかと。
曹操はオヤジは宦官ですものね。そうすると馬超も側室の子なのでは?
オヤジと弟が都にいるのに西涼で勝手に反乱を起こしたのは、彼が側室の子で、正室一家(鉄・休含む)とは仲が悪かったから、と仮に仮説を建てるとそこで一つの物語が生まれます。
三国志は想像力を刺激する色々な情報が含まれていて本当、面白いですよね。
中国は奥が深い...また中国に行きたくなってきました(笑)
2007/6/2(土) 午後 4:54
なるほど〜
そう考えると面白いものですね。これで馬休や馬鉄の字が後世に記録として残っていれば判明しそうなものだったんですけどね。
でもそれが分からないから想像する楽しみがあるのかもしれないですね。
2007/6/2(土) 午後 6:20