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何気に魏では結構重臣です。 曹芳の時代には、張遼・楽進・徐晃らと魏の功臣19人として曹操の霊廟の前に祀られている位ですから! ですが朱霊は正式な『伝』を持っていないのです。 『魏書徐晃伝』の末に92字の記述と『魏書』『九州春秋』にわずかに顔をだすだけです‥ 初め袁紹の家臣でした。 公孫瓚と袁紹が争っている時朱霊の家族は袁紹の人質となっていて、公孫瓚はこれを元に朱霊を誘いますが、朱霊は、涙ながらに 『丈夫(男)が一度、人の部下になったからにはどうして家を顧みられようか』 と言い放ち力戦をします。 当然の結果ですが朱霊の家族は全員殺されてしまいます。 193年に朱霊にとっての運命の出会いがあります。 陶謙を攻めている曹操への援軍として朱霊は曹操と共に戦い、 『私は多くの人を見てきたが曹公に及ぶものはいない!これこそ真の明主である!!今遇えたからには他に行くべきところがあろうか!』 と言って袁紹の元に帰らずに曹操に仕えるのです。 202年に曹操は朱霊に許南を守らせますがここで朱霊は失敗を犯し、于禁に兵権を奪われ、自らも于禁の部下となりますが(『于禁伝』には「曹操は常に朱霊を恨み‥」という箇所がありどうやら朱霊は曹操に嫌われていたらしいのです)、再び任用されます。 208年朱霊は張遼・于禁・張郃・李典らとともに一軍を率いて荊州進攻の一軍を担います。 211年の涼州討伐にも朱霊は参戦しています。 220年曹丕が帝位に就くと朱霊の多年の功績を賞して高唐侯に封じられます。 228年曹休が周魴の計にかかった際には朱霊は賈逵らと共に曹休の危機を救います。 この後朱霊は亡くなった後『威侯』と謚されたとあるだけで、ぱったりとどの資料からも姿を消してしまいます。
曹操に嫌われていたから正式な伝が残らなかったのでしょうか?ですが曹操の霊廟の前に祀られている位なので正式な『朱霊伝』を残してあげてもよかったんじゃないですかね‥? |
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曹操に誤解され、曹丕に嫌われた于禁ですら伝かあるのですからねえ・・・
2006/5/20(土) 午前 1:28
こんなに、どうして博学なんですか。
2006/5/20(土) 午前 1:28 [ tan*y*shi*35 ]
于禁と朱霊では将軍としての格が違ったという事で‥
2006/5/20(土) 午前 1:30
taneyoshi135さんへ! コメントありがとうございます!!よく本を読んでいるので‥でもインドア派ではないですよ!!
2006/5/20(土) 午前 1:31
すごく詳しくてビックリしました(ノ´▽`)ノオオオオッ♪ファンにもなりました゜+.(・∀・).+゜魏軍にはあまり詳しくないので参考になります。嫌われ者は蚊帳の外ということなんでしょうか!?
2006/5/20(土) 午後 1:00
ありがとうございます!マイナー系を扱う事が多いですが楽しみにしていてくださいね!
2006/5/20(土) 午後 11:43