魏が誇る名将!!三国志の世界でも個人的に好きな将軍の上位に来ている人物
張遼文遠 165〜222 前将軍/晋陽侯
非の打ち所のない将軍です。一般的にこの将軍に似合う言葉は沢山ある感じですね。
武勇・智謀・忠義‥このようなイメージが多いのでは‥それゆえ人気も高い将軍と思われます。
■略歴
武勇に優れていたために最初 丁原に召され従事となります。
丁原が殺された後は 董卓に使えます。
董卓が 呂布に殺されると呂布の部下となります。
198年に呂布が 曹操に斬られると曹操に降伏します。
この降伏するまでの呂布軍での張遼の活躍、降伏した歳の潔い姿は実は演義の創作だそうです。
そしてこの後の活躍は有名な所です。
張遼は222年に病死。「演義」では丁奉の矢を受けて戦死してますがこれも創作です。
■なぜ忠義に薄いのかというと‥
忠義に対して疑いを持つのは生涯の内容よりも曹操に使えるまでの行動です。
張遼は史実では4人の主君を仰いでいます。丁原・董卓・呂布・曹操。これだけなら張遼自体古くから活躍している人物なので他にもある話しですが、使え方が疑問です。なぜなら
『前の主君はその時使えている主君が(直接的でない人物もいますが)殺害しているのです』
普通 忠義の気持ちがあれば1度や2度ならばそうゆう状況に陥る事があったとしても3度も繰り返す事はしないでしょう‥(使える期間がさほど長くないのも問題でしょうけど‥)きっと曹操が弱小勢力ですぐに潰されていたら同じような事を繰り返していたんだと思います。
張遼は自分が働ける場所があれば前の主君がどうゆう死に方をしようと関係なかったのでしょう‥どちらかというと 忠義とか 侠とはまるで関係ない超現実主義だったのだと思います。
好きな将軍ですが冷静に見るとそんな感じですかね‥
ちなみに‥
息子の張虎は偏将軍まで昇進します。
張虎は楽進の子、楽綝と共に行動するシーンが多いのですがこれもまた創作です‥
演義では名将の息子なのにダメ将軍なイメージですがなかなかの人物だったようですよ。
張虎のあとは子の張統が継いだそうです。
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張遼は好きな武将ですが、確かにこういう見方もできますね。ま、戦国時代と一緒で忠義がどうこうという時代ではなかったのかもしれませんが。
2006/10/1(日) 午前 0:31 [ ake*hi1*820*0* ]
好きな人物なので角度を変えて見て見たらこんな感じになりました。劉備・関羽・張飛のような侠ではなく、実力主義の曹操にはうってつけの人物だったんでしょうね!!
2006/10/1(日) 午前 1:53