戦国人物

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馬場信春

最近甲府やら長野やらと武田氏に関係した所に行く事が多く、武田氏関係の本をよく読むようになりました。

以前「武田二十四将の最後」という記事を作り全員を紹介しようと思っていたのですが中途半端で終わっていたので、少し続きを。

今回は

馬場美濃守信春 1515〜1575


武田四名臣としても有名な人物ですね。
元々は教来石(きょらいいし)氏を名乗っていますが、信玄の父信虎時代に馬場氏の名跡を継いで、
馬場民部少輔を称し、後に信玄より
「鬼美濃と呼ばれた原美濃守虎胤の武名にあやかるように」
という事で美濃守の官途を与えたとの事。

有名な人物だけあって様々なエピソードや言葉が残っています。

駿河侵攻の際、信玄が今川氏真の屋敷より宝物を奪うよう命じた時、

「滅びゆく敵の宝物を奪い取る事など、恥知らずな武将のする事である」

と部下を諭し、宝物をすべて火中に投じさせます。

三方ヶ原合戦の際も、

「敗れたとはいえ、三河武士は全て武田方に向かって倒れており、逃げようとする者がいなかった」

と信玄に対し伝えるなどという一面も。

長篠の戦いでは不利を勝頼に進言するも聞き入れられず、

「これが最後の一戦」

との覚悟で奮戦し討ち死にを遂げます。

太田牛一は「信長公記」の中に

「中でも馬場美濃守、手前の働き比類なし」

とその奮戦振りを書き留めています。

武田3代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加し、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったということから「不死身の馬場美濃」「不死身の鬼美濃」と評されている。

※参考文献「戦国武心伝/学研」

閉じる コメント(4)

長篠の戦いで、信玄古参の武将たちが、勝頼に失望してたくさん死んでいったって何かで読みました。
討死にするのと、屈辱を受けながら生き延びるのと……どちらが正しいのか、俺には答えが出せません。でも、なんだか悲しいですね。

2007/9/8(土) 午後 6:39 [ プラス ]

武田家臣は3代に仕えた武将が多いですからいくら主君がダメでも武田家を見捨てる事はできなかったんでしょうね。
っていうか勝頼がダメというより信玄が時代の傑物だったから勝頼がダメに見られてしまうので勝頼もかわいそうな感じですよね。

2007/9/9(日) 午前 0:09 マーハル

顔アイコン

「山道紋は敵無し」ですね。有能な武将が多く討ち死にした長篠の戦いはなんとなく寂しいですね。

2007/9/10(月) 午前 1:05 [ tak**o12*0 ]

ほぼ自殺行為に近い討ち死にの仕方ですからね‥
歴戦の猛者の死に方としては寂しい限りです。

2007/9/10(月) 午後 1:16 マーハル


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