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最近甲府やら長野やらと武田氏に関係した所に行く事が多く、武田氏関係の本をよく読むようになりました。 以前「武田二十四将の最後」という記事を作り全員を紹介しようと思っていたのですが中途半端で終わっていたので、少し続きを。 今回は 武田四名臣としても有名な人物ですね。 元々は教来石(きょらいいし)氏を名乗っていますが、信玄の父信虎時代に馬場氏の名跡を継いで、 馬場民部少輔を称し、後に信玄より 「鬼美濃と呼ばれた原美濃守虎胤の武名にあやかるように」 という事で美濃守の官途を与えたとの事。 有名な人物だけあって様々なエピソードや言葉が残っています。 武田3代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加し、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったということから「不死身の馬場美濃」「不死身の鬼美濃」と評されている。 ※参考文献「戦国武心伝/学研」
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戦国人物
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長篠の戦いで、信玄古参の武将たちが、勝頼に失望してたくさん死んでいったって何かで読みました。
討死にするのと、屈辱を受けながら生き延びるのと……どちらが正しいのか、俺には答えが出せません。でも、なんだか悲しいですね。
2007/9/8(土) 午後 6:39 [ プラス ]
武田家臣は3代に仕えた武将が多いですからいくら主君がダメでも武田家を見捨てる事はできなかったんでしょうね。
っていうか勝頼がダメというより信玄が時代の傑物だったから勝頼がダメに見られてしまうので勝頼もかわいそうな感じですよね。
2007/9/9(日) 午前 0:09
「山道紋は敵無し」ですね。有能な武将が多く討ち死にした長篠の戦いはなんとなく寂しいですね。
2007/9/10(月) 午前 1:05 [ tak**o12*0 ]
ほぼ自殺行為に近い討ち死にの仕方ですからね‥
歴戦の猛者の死に方としては寂しい限りです。
2007/9/10(月) 午後 1:16