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蜀書に伝のある人物でも相当マイナーな人物です。 父李仁は尹黙とともに荊州に遊学して司馬徽・宋忠に学びます。 李譔は父の学問を継承し、また尹黙に師事して書物の説く道理の研究にあたり、五経・諸子百家を全て読了し、算術・卜筮・医薬・弩・ばね仕掛けのからくりに至るまで自分の物とします。 この時代のダ・ヴィンチのような人物ですね。 はじめ益州書佐・尚書令史となり、238年劉璿が皇太子に立てられると太子庶子となります。 さらに中散大夫や右中郎将に転じますが、劉璿は李譔の該博な知識を愛し、なおも近侍させたそうです。 しかし世間からは尊敬されなかったそうです。理由は酒脱で冗談が好きな性格であったためとの事ですが、それくらいの方が親しみが持てていいような気がするんですけどね‥ この時代ではそうもいかないんでしょう‥孔明亡き後の大変な時期でもありますし。 というような人物なのですが、なぜこの人物に独立した伝があるのでしょうか?
もっと載せるべき人物がいるはずだと思うんですけどねぇ‥ |
蜀人物
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蜀の場合、呉壱や費観など本来立項されるべき人物も
資料が少ないらしく、季漢輔臣賛で何とかどんな人だったか
わかる・・・というパターンも多いですからね・・・。
2008/1/18(金) 午前 2:36 [ jir*_*abu*o_*006 ]
確かに呉壱なんかはちゃんとした伝があってもおかしくないですよね。
やはりなぜ李譔がって感じです‥
2008/1/19(土) 午後 0:52
蜀書における学者の列伝の中の一つ。
別に何の違和感もない。
2008/1/24(木) 午後 2:51 [ a ]
そうゆう人物を集めた書に載ってますが、他の人物に比べると‥
と感じてしまいます。
2008/1/24(木) 午後 9:46