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これだけ有名な戦いですが、未だにはっきりとした場所は判明していないようです。 以下Wikipediaより抜粋より抜粋した記事です。 赤壁の古戦場と伝えられる場所は、長江沿いに数カ所存在し有名なものは二箇所ある。 ■湖北省蒲圻市西南の長江南岸に位置する赤壁山である。ここは実際の古戦場として現在最も有力視され、「三国赤壁」と呼ばれている。 ■北宋の文人蘇軾(蘇東坡)が名作「赤壁の賦」を書いたことで有名な偽の赤壁である。こちらは湖北省黄州市西北の長江北岸の赤鼻山を指し「東坡赤壁」と呼ばれる。 この地は実際の戦場ではなかったのだが、晩唐の詩人杜牧が詩に詠んだことから赤壁の古戦場と見なされるようになり、蘇軾の作品によって、実際の古戦場以上に有名になってしまった。 この戦いの結果 ■孫権‥豪族の連合政権である国をまとめる ■劉備‥自前の領土を獲得→益州攻略の足がかり ■曹操‥南下政策の停滞 この戦いをもって歴史の流れは大きく変わります。
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周ユ(漢字すみません;_;)の天下二分の計って、孔明の三分の計と比べるとどうだったんでしょう??
あのまま彼が病死しなかったら、魏vs呉だったのかな〜と思います。
2008/1/31(木) 午後 10:27 [ プラス ]
周瑜の力量をもってしたら可能だったのかもしれないですが、いかんせん呉の国力を考えると‥
甘寧も孫権に仕える際に同じような事を言っているので、孫権も実現可能と思ったのでしょうね。
2008/1/31(木) 午後 10:40
無双だと甘寧ってただの喧嘩バカなのに……実際は智勇兼備だったのかも知れませんね^^
やっぱり周瑜(ありがとうございます)でも国力差の前には屈するしかなかったんですか……魏の強大さがよく伝わります、ありがとうございました☆
2008/2/8(金) 午後 9:56 [ プラス ]
甘寧は素性は良くない人物のようですし、学があったようには思えないのですが、天性の何かがあったのかもしれないですね。
周瑜が実際生きていれば国力の差を埋める何かをやってのけたかもしれないですけどね。
2008/2/8(金) 午後 10:07