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赤壁後に力を蓄えた劉備がその野望の為に動き出します。 数年かけて劉備は蜀を乗っ取ります。 それまでの君主劉璋は降伏後、公安に移されるという事は有名な話ですね。 そしてその後の劉璋の一族は‥ 父と違い武将としての能力があった長男の劉循は、成都に滞まり劉備の家臣となりその後も蜀の為に活躍したそうです(どうのような活躍だったのか詳細は不明ですが‥) そして劉璋は次男の劉闡と供に公安に移されます。 その後219年に関羽が殺され、荊州が呉に奪われた際、劉璋はそのまま孫権に帰順してしまいその家臣となってしまいます。 その性格のせいもあるのでしょうけどなんだか劉禅と重なって見えてしまいます。 そして間もなく病死‥寂しい晩年です‥ 一方、劉璋と供に行動した次男の劉闡は、父の死後跡を継ぎ益州刺史・御史中丞を歴任。
父と違い孫権にも信頼されていたようで、交州刺史も兼ねて広東付近に赴任されたりもしています。 ですがその数年後に病に罹り、間もなく自邸で死去したそうです。 |
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知らなかった・・・・
劉璋って呉に行ったんですね。
でも何もできなかったんだろうな。
2008/2/24(日) 午後 6:38
本当に何も出来なかったと思いますよ!!
晩年は劉氏としての名前だけで生きていたんでしょうね‥
2008/2/24(日) 午後 8:07
せんごくさんお久しぶりです^^☆
劉璋も確か三国志シリーズでは悲惨なパラメータでしたよね(笑)
呉に行ったというのは俺も初耳でした、ありがとうございます^^
2008/2/27(水) 午後 7:29 [ プラス ]
φ(゚□゚*(゚□゚*)φメモメモ
そ〜なのですか〜。知りませんでした。
なかなかその後どうなったんだろう・・この武将は
って人いますよね。(興味がない人物に対しては忘れてる
ことが多いのですけど(笑))
2008/2/27(水) 午後 7:34 [ - ]
プラスさんへ!
一時期は劉一族という事で魅力が高かったような気がするのですが、基本的にしょぼいパラメータですよね。
所詮三国鼎立の脇役の1人ですからその後に興味も普通わかないですよね〜
2008/2/27(水) 午後 10:00
曹さんへ!
本当にその興味がわかない人物の1人ですよね。この人‥
演義で韓玄の首を差し出した鞏志 なんかもそんな1人ですね。
2008/2/27(水) 午後 10:08