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‥ろくな人物じゃないですね。 劉表の人を見る目に疑問符がつきます。江夏太守に任命してますし‥ 208年、孫権が江夏郡に攻めて来たとき、その猛攻にあって落城。 黄祖は逃亡し、孫権配下の騎兵である馮則に首を斬られ死亡します。三国志演義では、甘寧に斬られている事になってますけど。 劉表の元に送られてきた禰衡を黄祖に紹介したのが、黄祖の息子である黄射。 章陵太守として父黄祖とともに劉表に仕えます。 『後漢書禰衡伝』において禰衡と友人として交際していた事が記されてます。 199年に廬江太守劉勲が孫策に攻められ黄祖に救援を求めてくると黄祖は、黄射を援軍として送ります。 ですが、劉勲は孫策に撃破され黄射は退却。 孫権の代、黄射は数千人を率いて柴桑県を攻撃しますが徐盛が僅か200人の兵で黄射を迎撃(後に周瑜も援軍として駆けつけてます)。黄射は大敗してしまいます。 黄射はその後、歴史から姿を消してしまい生死・行方は不明となっているようです。 しかしこの親子‥ 残っている記録において殆どいいところがありません。 まだ黄射は禰衡と交わりを結ぶべる位ですからよほどの好人物だったのかもしれませんが、物凄いお人好しだった可能性もあります。 本当に劉表配下は優秀な文官を有していますが、ろくな武官がいないもんです。
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後漢人物
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一応、黄忠・魏延・ブンペイとかいましたけどね…
孫一族を9年も防いだっていう面は優秀だったのでしょうけどね…
2008/11/9(日) 午後 7:14
黄祖親子にばかり目が行っていて黄忠たちの事をすっかり忘れてました‥
2008/11/9(日) 午後 8:08