|
『甲陽軍鑑』によれば追い詰められた勝頼主従は華々しく戦って討死を遂げたと記されていますが、実際はそうでなかった事が津田小平次という人物の自記に記されているようです。 その様子とは‥ 逃亡し披露困憊となっていた武田勝頼は具足櫃の上に腰掛けていたところ、福島正則の家臣伊藤伊右衛門永光に一刀のもと簡単に討ちとられたとの事。 そしてその首は織田信忠のもとに届けられるのですが‥ なんと余りにも多くの大将首が運ばれたため、勝頼の首が分からなくなってしまうという珍事が起きます。 さらに当初は別の首が勝頼のものとされるのですが、勝頼の首の斬口に伊藤伊右衛門永光の馬の毛がついていた為やっと判別できたとの事。 織田陣営の中に勝頼の顔を知っている者はいなかったんでしょうかね? さらにその首実験の時の事が『常山紀談』に記されているのですが‥ 「勝頼の首を、滝川が士 滝川荘左衛門といふ使番に持たせて、信長に見せ思せば、さまざまに罵りて、杖にて二つつきて後、足にて蹴られけり」 ん〜これが事実であれば信長という人物って‥
|
戦国ミニ知識・小話
[ リスト ]




たくさんあったらわからなくなっちゃうんですね〜〜
馬の毛でわかるのもすごい^^
2009/3/15(日) 午前 10:51
疑問だらけの首実験です。
こんなアバウトな調べ方だったならもしかしたら違う人物の首が勝頼のものと断定されてもおかしくないですよね。
2009/3/15(日) 午前 11:50
ありすぎでわからなくなるとは・・・。
アバウト過ぎな首実検ですな。
2009/3/15(日) 午後 0:31 [ sen*ok*hom*50 ]
本当にアバウトですよね‥
こんな感じの首実験では様々な間違いも起こって当然です。
名のある人物の首が間違えられてしまうっていうのも寂しい話ですね‥
2009/3/15(日) 午後 1:15