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この年は三国志の主役の1人劉備が白帝城にて没します。 劉備は臨終に際して孔明に 「劉禅に才能がなければ君が自ら国政を担うべし」 と言葉を残してます。 この時後事を託した人物は孔明だけではなくもう1人いました。 李厳正方 ?〜234 坂口和澄氏によるとここで李厳を顧命の臣に任命したのは蜀政権の内部の問題としています。 蜀内部には常に荊州閥と益州閥の対立があり、孔明と李厳の両名に後事を託す事で両閥の均衡を図ろうとしたと言うのです。 確かに李厳は軍事に明るく中都護として軍事を統括し永安に駐屯します。 孔明の李厳に対する評価に下記の言があります。 「軍隊を適所に配して少しも滞ることがないのは、正方の性格によるものだ」 ですが李厳はこの両閥の均衡を保たせようとした劉備の期待に応える事ができませんでした。 その詳細またの機会に。 |
三国志年表
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劉備が死んでしまったんですね〜
この後 息子が・・・って実は詳しく知りません
蜀にも派閥があったんだ〜なんだか寂しいなぁ〜
2009/5/10(日) 午後 4:17 [ - ]
荊州閥と益州閥という2つの派閥から蜀という国家は成り立ってました。
蜀という国には元々基盤があってそこに劉備が配下を率いてやってきたのだからしょうがないですよね‥
2009/5/10(日) 午後 4:22
マーハルさん>こんばんわ。
一度、中国へ三国志の史跡めぐりしたいと思ってるんですが
密かな夢の一つです。
坂本龍馬に憧れて彼の足跡を色々行ったことはありますが、
さすがに中国は遠いです。
2009/5/10(日) 午後 10:34
同じく自分もそれが密かな夢です(笑)
『時間・資金・家族の理解』この三条件が揃わない限り難しいのかもしれませんがいずれ実現させたいと思っております。
いつになる事やら‥
2009/5/10(日) 午後 10:38