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孫家三代に仕えていて呉の四姓(朱家は朱桓の一族かもしれませんが‥)のうちの1人なのにイマイチ目立たない人物です。 さてこの朱治ですが、黄蓋や程普などと並び孫堅以来の宿将です。 しかし演義での出番がほぼない為、名前は知られていてもイマイチ目立たず、イマイチ何をしていたのかわかりません‥ という事で主な経歴は‥ 188年(朱治22歳)‥孫堅の部下となり長沙等三郡の賊討伐に参加し功を挙げる 191年(朱治25歳)‥黄巾残党の討伐に参加 195年(朱治29歳)‥許貢を破る 196年(朱治30歳)‥孫権を孝廉に推挙 202年(朱治36歳)‥呉郡太守・行扶義将軍に任命される 208年(朱治42歳)‥四方巡警使として赤壁の戦いに参加 222年(朱治56歳)‥異民族討伐などの功が認められヒ陵侯に任じられる 223年(朱治57歳)‥安国将軍に任じられる 224年(朱治58歳)‥死去 経歴だけみると余りパッとしませんがこの人は呉にとって重要な事をしております。 それは袁術の下にいた孫策に対し、袁術から兵を借りて江東に基盤を持ち、機を見て袁術から独立すべきことを進言した事です。 この進言がなければ孫策の台頭も遅れその後の孫家の発展もなかったかもしれないですしね。 その呉南方の異民族対策へと活躍の場を移します。 呉の将軍には呂岱をはじめ何人か異民族対策で南方の地に駐屯する人物がいますが、その任に就いた人物は魏や呉とは余り関係ない場所での任務の為、後年の演義では極端に出番が減ってしまいます。 しょうがないですが残念な話ですよね。
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呉人物
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確かに目立たない方ですね。^^
がんばれ朱治!呉にはあなたが欠かせない人だぞ!^^
2009/5/17(日) 午後 5:54 [ sen*ok*hom*50 ]
やはり目立たないですよね‥
知名度は呉の人物の中でもそこそこあると思うんですが、
これといって目立つ功績もないですからね〜
2009/5/17(日) 午後 6:55