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この合戦、物凄く有名ですが解明されていない事が多々ありますね。 1.義元の尾張侵攻の理由は上洛or尾張侵攻? ⇒現在は尾張侵攻説の方が有力なようです。 2.信長の攻撃方法は迂回攻撃or正面攻撃? ⇒現在は正面攻撃説の方が有力なようです。 3.場所は桶狭間or田楽狭間? ⇒定かではないようです。 4.実際の両軍の兵数は? ⇒記述によって様々で定かではないようです。 この合戦に関しては調べだしたらきりがないですね‥
という事で余り深く調べる事もせずに新しい資料やら説の登場を待っております。 |
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まるこが敬愛する今川義元公の命日です…(-人-)
2009/5/19(火) 午後 11:46
ちなみに…この5年後の永禄8年(1565年)5月19日に13代室町幕府征夷大将軍足利義輝が松永久秀らの襲撃を受けて享年30歳で死去しています…
2009/5/19(火) 午後 11:48
織田信長が歴史の表舞台へ躍り出るきっかけ。
桶狭間の歴史的意義はそのように思っていますが義元好きのまるこさんは全然違うんでしょうね〜(笑)
2009/5/19(火) 午後 11:55
松永久秀は本当に痛快なジジイですよね。
この人なんだかんだで結構好きなんです。
ちょいと調べたら39年後の同日に長宗我部元親が伏見で病死してました。
2009/5/19(火) 午後 11:58
この85年後の正保2年(1645年)に宮本武蔵、その80年後の享保10年(1725年)に新井白石が…そんでその70年後の寛政7年(1795年)には長谷川平蔵が亡くなってます…
2009/5/20(水) 午前 7:34
こりゃ有名人物の命日ラッシュです。
他にも当然こういった日(年は違えど同じ月日生まれやら命日)があるんでしょうけどこの日はビックネーム揃いですね〜
2009/5/20(水) 午前 7:39
義元が油断していたのかどうかも疑問ですよね。地元民の接待を受けていたという説もありますが。
2009/5/20(水) 午後 10:42 [ tenkai ]
迂回どころか奇襲じゃない
真っ向勝負で勝利説もあります
今川は まさか織田信長が そんなことするとは思わず
対応が後手後手に なって負けた らしい(;^_^A
でも どうなんだろう
にわかには信じられないですね
2009/5/20(水) 午後 11:19 [ - ]
天海さんへ!
そんな説もあったんですね〜知らなかったです。
多分誰もが義元が勝つと思っていたでしょうからいち早く取り入る為には接待接待って感じだったのかもしれないですね。
2009/5/20(水) 午後 11:39
媛さんへ!
どこまでが本当でどこからが脚色なのか?
はたまたどんな真実が隠されているのか?
謎が多い合戦ですが、この時代の事なので信用に足る資料がまだまだ潜んでいそうな気はしますね〜
2009/5/20(水) 午後 11:43
NHKによると、この辺は江戸時代から観光に来る人が
絶えなくてほぼ観光地と化していたとしています。
もしそうなら、新資料が飛び出すよりも今まで
資料館などで飾られていた資料の解釈の変化で、
新説や違った見方が出てくるかもしれないですね。
2009/5/21(木) 午後 8:21 [ - ]
やぁこんばんは。桶狭間ですが、実は今川方が攻め落とした城が、尾張にあって、尾張軍に退路を断たれ、包囲されている城を今川義元が援軍を出したと聞きます。(小和田哲夫?)当時の今川にはまだ上洛の気はなかったのように聞きました。今川も決して左うちわじゃなかったようですね。駿河・遠江・三河。それでも尾張と戦うは決して気楽な戦いじゃなかったように思いまする☆
2009/5/21(木) 午後 8:36
クロコダイルさんへ!
確かに今までの資料は見直す価値はありそうですね。
ちょっとした解釈の違いや見落としていたものがあるかもしれないですし。
今まで学者さんたちが散々やってきてはいるかと思いますがそれでも信玄や頼朝などの肖像画と同じように新たな発見がある可能性はありますよね。
2009/5/22(金) 午前 6:25
おトラさんへ!
小和田氏(?)の説は何かで読んだ事があるような…
上洛の意思が無いのは道中の有力者に対し発した文書が一通も無いというのが大きな理由だとこれも何かで読みました。
義元自身は優れた人物だったと思うので、一体この戦いがどのように展開されて義元が首を取られるに至ったのかはなかなか興味深いところです。
2009/5/22(金) 午前 6:35