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豊臣家存続の可能性

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須藤茂樹という方が豊臣家存続の可能性について書いたモノがあります。
本文を要約すると‥
豊臣家存続の可能性を示す発言を伊達政宗が今井宗薫に宛てた手紙の中に見る事ができる。

「おおよそ私達の願いは秀頼様が幼少の間は江戸か伏見で家康様の側に置き成人したならばその時は家康様の判断次第で取り立てる事が出来るだろう。いかに太閤様の嫡男であっても日本の国政を執り行うべき器でないと家康様が判断したなら2〜3カ国を与えればよい。このまま大阪に置いておいたら'''世のいたずらもの'''が出てきて秀頼様を主人と仰いで担ぎ出し謀反をおこしかねない。そのもの達の為に何も存じない秀頼様が腹を切らなければいけなくなり、そうなれば太閤様の亡魂もうかばれまい」

煎本増夫氏によれば家康は元々豊臣家を潰すつもりは無く今川、織田などと言った高家のような形で豊臣家を残すことを考えていたのではないかと言うのである。

確かにすこしでも早く豊臣方が家康の指示に従っていれば徳川配下で豊臣家は残ったのではないか。

政宗のいう「世のいたずらもの」すなわち淀殿と大野治長たちが拒絶し続けるので結果としては豊臣家は存続しなかったが、何度かチャンスはあったのであり淀殿と側近に時代の流れを見抜く力がなかったと言える。

豊臣家は「制外の家」として特別視されてきていたが、参勤、淀殿を人質とする、大阪を出て国替えに応じるなどをしていれば千姫の婿の家として別格の地位を与えられていたのではないかと考えると同時に「制外の家」の存在は徳川政権を磐石なものとするためには認める事ができなかったのである。

その意味では豊臣家を滅亡させるしか道はなかったのである。
結局滅亡させるしかなかったのが存続の可能性があったのかよく分からないのですが‥

家康という人物から推測する限りでは豊臣家を残すという考えは皆無だったと思いますが皆様どう思いますか?

参考図書:歴史読本2002年7月号『豊臣vs徳川 30年戦争』

閉じる コメント(12)

清正や正則といった連中が徳川に反旗を翻さぬために、懐柔策として、豊臣家を存続させる作戦はあったかもしれませんね。
弱体化してから潰せばいいという考え方です。
ただ、家康は高齢だったのであせっていた部分はあったかも。

2009/5/21(木) 午後 11:09 [ tenkai ]

こんばんわ。
家康がいた限りは滅亡は免れなかったでしょうね。
秀吉の子かどうかもわからないのに。

2009/5/21(木) 午後 11:14 ヒロ

大坂の陣直前までに豊臣恩顧の有力大名はほぼ亡くなっているか骨抜きにされてますよね…まるこも豊臣家を残すという考えは皆無だったと思います…

2009/5/21(木) 午後 11:19 まるこ

残すつもりは無いと思います

将来の禍根を断つ為に 少なくとも男系の血統は残すつもりはないと思います

豊臣家が生き残れるとしたら 政権を公式に家康に禅譲する事です

秀頼と庶出男子は出家

娘に家康の選んだ婿とりして名跡だけ残す

淀は江戸で人質は当然

領地は万石以下 官位は返上

あとは毒殺に注意すれば なんとかなるかなぁ

もしくは 領地も無しで 譜代のどこかに預かりかなぁ(;^_^A

禅譲儀式を毎年恒例行事にすれば 残るかなぁ(;^_^A

それでも暗殺が心配です(;^_^A

2009/5/21(木) 午後 11:21 [ - ]

天海さんへ!
加藤、福島両家は確かに家康にとっては邪魔であり少し対応を間違えればどうなるかわからない火薬庫みたいなもんですよね。
また逆に清正や正則が存在していたから1615年まで豊臣家が存在出来たのかもしれないですね。
家康は高齢ではあったものの自分の代で決着をつけたかったでしょうし。

2009/5/22(金) 午前 6:51 マーハル

ヒロさんへ!
『豊臣家』という名前が家康にとっては邪魔だったんでしょうね。
徳川政権の前が偶然豊臣だったから滅ぼされ織田氏は残りましたが徳川の前が織田だったら同じように潰していたのではないかと思います。

2009/5/22(金) 午前 6:58 マーハル

まるこさんへ!
福島、加藤のように豊臣恩顧の大名の中でも秀吉色の強かった家は悲惨ですよね。
表だっていなくても福島、加藤のような想いをもっていた人物は他にもいたでしょうから豊臣のシンボル、名前は絶対残したくなかったでしょうね。
いつ豊臣家における山中鹿介が表れるかわからないですしね。

2009/5/22(金) 午前 7:06 マーハル

媛さんへ!
豊家が存続する為にそれらの条件が最低限必要だと思いますがそれでも家康の事ですから難癖つけてどうにか滅ぼしちゃったような気がします(笑)
それを奇跡的に掻い潜っても毒殺及び暗殺。
ん〜やはり無理ですね…

2009/5/22(金) 午前 7:14 マーハル

おトラは昔の大河ドラマ見て、「秀頼は三成の子」と解釈しましたが、実は秀頼、身長192センチでございます。「大野治長の子」ではないかとも言われておりまする。その時歴史が動いたの推論ですが、淀殿は「茶々」であり、妹の江与の方は三大将軍家光の母。茶々は浅井長政の血を残したかったのでは?とのこと。ですので江与の方が浅井の血を繋げたので、秀頼滅びようとも、浅井の血は絶えず。どこまでホントかはわかりませんが☆

2009/5/22(金) 午後 6:41 おトラ

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家康自身は豊臣家を存続させる考えは無かったでしょう。
寡婦と遺児に手を掛けるのは、武将としての矜持が
許さなかったでしょうし、豊臣家の断絶は自分の仕事
ではなく老いて死んだ後、治世が磐石に固まった
(家の断絶であって滅亡が希望ではない。)
幕府高官達の仕事と考えていたのではと思います。
しかし思いの外長生きしてしまった事と、
成長した秀頼とマダマダ不甲斐なく見える将軍家
を比べた時、辛抱辛抱で生きてきた家康が、
最後に汚れ仕事を自分で行おうと決心したのでは
ないでしょうか。その意味では初めから
秀頼の殺害を決めていたわけではないでしょう。

2009/5/22(金) 午後 10:19 [ - ]

おトラさんへ!
秀頼が大男であったのは有名な話ですよね。
父親も大野長治説、石田三成説などなど‥

淀殿が浅井の血を残したかったという話もよく聞きますが淀殿がこだわったのはあくまで秀頼と豊臣の名前だったと思っております。

2009/5/23(土) 午前 11:48 マーハル

クロコダイルさんへ!
秀頼と家康が会見した際に秀頼が立派に見えて‥
という話は有名ですよね。
自分は家康という人物から考えるに自分の仕事の総仕上げとして豊臣家を倒す事を考えていたのではないかと思います。秀頼の遺児国松丸も結局処刑されていますし。
将来の禍根を自分が築きあげた体制に残す事は心残りであったと思うのです。
時代が違い立場が違いますが自分の長男を切腹させているくらいの人物ですからそのくらいの事は考えていたのではないかと‥
真相は分からないですけどね‥

2009/5/23(土) 午後 1:19 マーハル


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