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切腹する前に、妻、5歳の長女、4歳の侍女、3歳の長男、2歳の次男、を刺殺するという悲劇を味合わされた戦国武将。 時に23歳。戦国の習いとはいえこの時どんな心境だったんでしょうね‥ とはいえ自業自得です。 別所氏は守護大名赤松氏の庶流として代々三木城主を努めた家柄。 当時の長治の時代、織田信長の上洛に際して加勢し、中国征伐では先鋒を依頼されるも毛利氏に組して反抗します。 2年に及ぶ籠城戦の末、将兵の助命を条件に一族と共に自刃しますがその時に長治が刺殺したのが先述した家族達。 何故この若い大名は信長に反抗したのでしょうか。 一番有力な説は別所氏が卑賤の身の秀吉を軽視してその指揮下に従うのを嫌がった為と言われています。 (反旗を翻した理由は協調関係にあった毛利氏に応じた為など諸説あり) 時代が読めないのは名族の弱点。 この時若干21歳の長治は時代を読む前に一族をまとめ切れていない状態でした。 これではどうしようもないですね。 こうして長治は秀吉の攻撃を受けます。一時は荒木村重などの離反により撃退するものの、再度に秀吉に包囲されます。この時秀吉が取った策が有名な「三木の干殺し」 22ヶ月もの間、耐えますが結局将兵の助命を条件に長治と弟友之は自刃し果てるのです。 一般的なイメージとしては2年もの間「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めにも屈せず耐えしのいたものの、城兵の命と引替えに切腹したという義将のような感じなんですかね? 個人的にはただ先見の明がなかった古い思考(時代)の人物というイメージです‥
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戦国人物
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別所長治の従兄弟をTBしちゃいますw
2009/5/26(火) 午前 1:44
最近の記事ですね〜
また訪問させて頂きますね!!
2009/5/26(火) 午後 10:45
自己責任とは、いうものの、、、。厳しいなぁ。
2009/5/27(水) 午前 2:12 [ zen*o*hara6* ]
責任というのが現在とは違うほどの重さがありますよね。
大勢の命がかかってますから。
この時代は信長〜秀吉〜家康という流れを読めなかった人は長治のような結果を迎えている事が殆どです。
手厳しいようですがやはり敗者ですね‥
2009/5/27(水) 午後 9:29