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東北太平洋沖大地震
出来事
[ mim*m15**500*11 ]
2015/1/9(金) 午前 5:24
はじめましてですね
コメント書いたけど迷惑じゃなかったでしょうか?
ブログ凄く感銘をうけちゃいました(o´∀`o)
あ、こんな価値観もあるんだってびっくりしたり、共感できたりして
マーハルさんの更新を期待して待ってるファンです(o≧∀≦)o
見てるだけじゃなくて、私の気持ちをちゃんとしっかり書いておきますね!
マーハルさんのブログに救われたところがいっぱいあったので感謝しちゃってる自分がいます。尊敬しちゃう存在にもなってるんです\(○^ω^○)/
こんな素敵なブログを書いてらっしゃるマーハルさんは凄く素敵な人なんだと思って…
実は色々相談したいことがあって…私の連絡先を載せておきました(〃´∀`)
ayundamon@i.softbank.jp
すいません勝手にこんなコメントのせて。削除してもらって全然かまいませんので気になさらず
一応首を長くして待っていますね(゜ー゜*)
「海外日本人奴隷」
私的戦国時代
[ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
2013/7/10(水) 午後 9:14
1549年、フランシスコ・ザビエルが来日しました。表向きはキリスト教の伝道でした。
裏では「黄金の国ジパング」掠奪が狙いでした。ザビエルはローマ法王の僧兵であり、同時にポルトガルの東方植民地における軍隊と官吏とに対する命令の全権を持っていたのです。
スペイン・ポルトガルはキリスト教宣教師たちが尖兵となって潜入し、工作を行い、軍隊を引き入れ、人民殺戮、財宝収奪、奴隷貿易を行い、植民地占領を行っていました。日本にもその魔の手が伸びてきたわけです。
豊臣秀吉は当初はキリスト教を禁止しておらず、交流を深めていました。日本に潜入した宣教師は対日諜報員、対日工作員として、日本の内情を探り、日本は武勇の国なので武力による侵略は無理だと判断します。
イエズス会、ドン・ロドリゴとフランシスコ会、フライ・ルイス・ソテロらが、スペイン国王に送った上書
「殿下(スペイン国王)を日本の君主とすることは望ましい。しかし、日本には住民が多く、城郭も堅固であるため、軍隊の力による侵入は無理であるから、福音を宣伝する方策をもって日本の国民が殿下に悦びいさんで臣事するように仕向けるほかなし」
元親以下の長宗我部一族で気になる人物が‥
戦国人物
2011/7/1(金) 午後 10:37
元親以下の長宗我部一族で気になる人物が‥
戦国人物
[ poi*a*inu*ew ]
2011/6/26(日) 午後 1:29
元親以下の長宗我部一族で気になる人物が‥
戦国人物
[ poi*a*inu*ew ]
2011/6/26(日) 午後 1:19
少々、異議があります。
例えば真田幸村の子孫は嫡男の幸直(大介)以外は
普通に奥羽に行って子孫を残してます。
次男 片倉守信
大阪の陣のあと姉が嫁いでいる伊達家の片倉重綱を頼り、その一族となり仙台藩士として生涯をまっとうする。
三男 三好幸信
幸村の死後二ヵ月後に誕生。姉が嫁いでいる出羽国の岩倉氏の家臣になる。
長女 阿梅(片倉重長継室)、
次女 あくり(蒲生郷喜室)、
三女 なほ(岩城宣隆室)、
四女 阿昌蒲(片倉定広室)、
五女 おかね(石川貞清室)
幸村の嫡男を除く二人の男子と五人の女子がこんなに堂々と子孫を残しているわけです。、
家康は豊臣の血を絶やすために秀頼の長男を殺し娘を寺に入れたくらいで、
関が原、大阪の陣で西軍、豊臣方についた諸将の子孫に対しては非常に甘かったようです。
例外として長宗我部盛親の子孫だけは根絶やしにされてますが、それは土佐山内家が勝手にやったことです。
大阪の陣のさいに多くの長宗我部系家臣が大阪の盛親に走った以上はそうせざるおえなかったのです。



