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最近友人に教えてもらった携帯オンラインゲーム『サムライキングダム』 面白くてはまっております。 ゲームの概要は下記の通り。 最初に、自分の所属する軍団(毛利・長宗我部・織田・伊達・武田・上杉)を選びます。 次に自分の職業(侍・槍使い・弓使い・軍師・忍者)や性別を選びます。 選んだ、軍団や職業で装備できるアイテムや戦術、レベルアップ時のパラメータアップが違い、個人の好きなように能力を変化させる事ができるのです。 プレイヤーは戦術やアイテムを駆使しながら他の軍に所属するプレイヤーと対戦し経験値を稼ぎレベルアップします。 レベルアプに伴い能力や階級があがり、所属する軍の天下統一に貢献することが目標です。 また同じ軍団に属する仲間には『支援』というコマンドで能力を支援し有利に戦いをすすめさせたりする事も可能です。 入会料等はかからないので興味のある方は是非やってみて下さい。 紹介URLを貼ってみましたが、上手くリンクしないようです。
運営会社にも確認してみましたがブログの種類によってはリンクしないとの事ですので、興味ある方はサムライキングダムで検索してみて下さい。 |
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本日仕事で結城市へ行ったのですが城獲りの対象城に結城城があった為、仕事帰りに結城城跡へ寄ってきました。 結城城は大掾政光の四男朝光が結城郡の地頭職に補任され、当地に城を築いたのが始まりです。 その後、室町時代まで結城氏が引き続き拠りますが、小田原の役後に徳川家康の次男秀康を養子として迎え、関ヶ原の戦いの後秀康が越前に移封となると、結城の地は一時天領となり、結城城も廃城となったとの事。 1700年に水野家宗家筋の水野勝長が能登より1万8千石で封じられ、以後明治維新まで水野氏10代がこの地を治め1703年には結城城の再興が許され、築城が開始されます。 その後の戊辰戦争の際に佐幕派が城を占拠した為に官軍の攻撃を受けて城の建物は多くが焼失し落城後に廃城となってしまいました。 現在城域は公園および宅地として開発されてしまっているので、若干の空堀や水堀の跡が残るのみで遺構の保存状態は必ずしも良くないです。 なのでそれほどの感動や感慨深いものを感じる事はありませんでした‥
ここは1回行けば十分です。 |
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畿内に大地震が起き、余震が数ヶ月続きます。 現在でいうM 6.5〜7.0。 多くの死者を出しますがこの自身で被害を受けたのが方広寺の大仏‥ この地震ためこの大仏の首が落ちるのです。 首が落ちるなんて縁起でもない‥ そんな大仏だった為かこの大仏は災難続きだったようです。 1602年:焼失 1662年:地震にて破損 1798年:落雷にて焼失 1973年:失火により焼失‥ う〜んこの大仏こんな運命だったんですかね‥ ちなみに今日は「ぶるーたすお前もか」で有名なユリウス・カエサルの誕生日でもあります。
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昨日今年度のドイツGPがニュルブルクリンクサーキットにて開催されました。 優勝したのは苦労人マーク・ウェーバー。 見事ポールトゥウィンの初優勝です! 2002年に弱小ミナルディからF1デビュー、その後ジャガー⇒ウィリアムズと渡り歩き2007年より現在のチームであるレッド・ブルに所属します。 ジャガー時代から将来を嘱望されていたもののなかなか芽が出ず初優勝までに132戦を要しました。 (132戦目の初ポール、初優勝はともに歴代で一番遅い記録です) ここに来てブラウンGPに勝るとも劣らないマシンを手に入れたウェーバー。 ベッテルにはまだまだ先があるので、もしレッド・ブルのどちらかのドライバーがタイトルを獲るなら今年はウェーバーに獲らせてあげたいですね。 ずっと不幸が続いていたバトンにもドライバーズタイトルは獲らせてあげたいですが‥
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高山右近は父友照の影響もあり12歳でキリスト教の洗礼を受けています。 ※画像は高山右近です。 そんな右近の洗礼のきっかけとなる人物が‥ このロレンソ了斎は、キリスト教に対し好意的でなかった松永久秀が、宗論のためにヴィレラという宣教師を奈良に招いた際にヴィレラの代理として奈良に赴く事となります。 そしてロレンソは理路整然と仏僧を論破するのです。 その論議の審査の為にその場に居合わせたのが右近の父、高山友照。 感心した高山友照は自らの城にロレンソを招きさらに教えを請うのです。 こうした経緯で高山友照は息子高山右近や家臣などと共にヴィレラから洗礼を受ける事になります。 このように高山親子がキリシタンとなるきっかけとなったロレンソ了斎は元々琵琶法師として生計を立てていました。 そんな了斎がキリシタンとなったきっかけは‥ 1551年に訪れた山口の街でたどたどしい日本語を話す男の声が聞こえてきました。 その声の主はかの有名なフランシスコ・ザビエル。 ザビエルの話を聞いていくうちに了斎は話の内容に不思議な魅力を感じるようになっていくのです。 キリスト教についてのさらに深い説明を聞いた了斎はザビエルの手によって洗礼を授けられ、ここにロレンソという洗礼名を受けます。 ザビエル帰国後もロレンソはイエズス会の宣教師たちを助けて働き、1559年に京に入ったロレンソはもう1人の宣教師と共に将軍足利義輝、三好長慶という当時の京都のビック2に直接謁見し、キリスト教布教許可の制札を受けます。 1569年には織田信長から布教の許可を得てフロイスと共に信長の面前で反キリシタンの論客であった朝山日乗と議論を行い論破します。 ロレンソはその後1587年の伴天連追放令を受けて九州へと移り、1592年に長崎で没しますがその死にフロイスは深く悲しむのです。 一介の琵琶法師から戦国期にここまで各方面に様々な影響を与えたロレンソ了斎。 個人的には無神論者ですがこの功績は凄いものがありますね。 このロレンソ了斎に関しては長崎文献社より出版物があるようなので読んでみようかと思っております。
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