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毛利両川の「吉川元春」は熊谷信直の娘を嫁として迎えています。
それを使者として来た毛利家家臣児玉就忠に伝えた時「呆然として大いに驚き」と常山紀談に記されています。なぜなら信直の娘の醜さは類がなく、必ず後に後悔することになると思われたからで、就忠は諌めたそうです。
ということですが、戦国時代の美人の基準ってどこにあったんでしょうね?某の娘は大変美人で側室に望むとかありますけど、もしかしたら現代の基準でいうとものありえないくらいすごいヒドイ顔だったのかも‥
逆に醜女と言われる女性が現代だったら物凄いモテるのかも‥
化粧の仕方もいろいろあったと思います。いつの時代からの風習かはよくわかりませんが「お歯黒」なんてものも現代の美的センスからするととんでもないものですから。
女性の事ではありませんが、いろんな武将の肖像画やらがありますが、実際の顔とは随分かけ離れていたでしょうしね。吉川元春も実際はこんな顔ではなかったはずですし。これだとただのトッチャン坊やですよ。

「海外日本人奴隷」

日本人が海外で奴隷になってるってあまりピンと来ませんが‥実際戦国の世にありました(国内での売り買いはよくありますが)
豊臣秀吉が島津討伐の為に1587年3月に九州に上陸し南下する最中に見聞したことの中に、ポルトガル商人によって日本人が奴隷として海外に売られているという事がありました。
諸大名が戦った相手の兵士は元より、女、子供まで捕えてポルトガル人に売渡すのです。(もしかしたらキリスト教義によって自ら行く者もいたかもしれませんが)しかし‥
手足を鎖に繋がれて‥惨劇ですね‥
主な行き先はインドが多かったようですが、ポルトガルにも連れて行かれ、さらに転売されそこからヨーロッパ各地、果てはアルゼンチンにも送られていたとの事‥
大村純忠らがローマへ派遣した少年使節団がヨーロッパの各地で労働に使われている日本人のみじめな姿を多数目撃しています。
豊臣秀吉は、日本人が奴隷として売られている事を知り、全国の諸大名に対して日本人奴隷売買禁止の命令を発し、日本人が奴隷として海外へ送られる事がなくなるのです。
ただ豊臣秀吉の場合は義憤からの禁止令ではなくて、自国民達が自分の許可なく海外に売られている権力を越権した行為への怒りからの禁止令だと思うのですが‥
今回は戦国武将等ではなく庶民の事について書いてみました。

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福島正則

『賤ヶ岳七本槍』筆頭。
伊予今治12万石の大名へ。
尾張清洲24万石の大名へ。
『関ヶ原の合戦』東軍先鋒。
関ヶ原後、安芸広島・備後鞆2州49万8千石の広島城主へ。
輝かしい経歴から一転、幕府にとっての要注意人物へ‥

福島正則 1561〜1624

その後は無断修築(実際正則は2ヶ月前から修復願いを出してましたけど‥)により信州川中島4万5千石に減封。
そして63歳で病没。

人生のグラフで言えば綺麗な山型といった感じでしょうかね。

それにしてもなんだかこの人物の人生は悲哀を感じさせます‥
秀吉に取り立てられ、その存在感の強さにより上手く家康に使われてしまった「不器用であり誠実である生き方」がそう感じさせるのかもしれません。

(人と人との関わりとしての)政治的な感覚は他の大名に比べて弱かったと思います。
弱かったというよりダメな部類に入るでしょうかね。
(ちなみに行政面ではなかなかの手腕を発揮してますよ)

そんな福島正則ですが、非常に人想いではなかったかというエピソードがあります。
宇喜多秀家との話です。

関ヶ原後の話ですが、上方の酒を江戸の福島屋敷に海路で運ぶ途中強風で航路がそれ船は八丈島へ辿り着きます。
八丈島にはかつての五大老宇喜田秀家が流刑されてきておりました。
島の住人からその話を聞いた福島正則の家臣はそれを不憫に思い、酒樽を2つ秀家の為においていくのです。
この事を家臣は福島家の江戸屋敷にて(恐る恐る)報告すると正則はこの家臣の行動を褒めるのです。
その後、八丈島付近を通る際、正則は秀家に品物を届けるようになったのです。
この時の正則の言葉として
「何もせずに帰ったら福島家の面目が潰れる‥云々‥」
という言葉が残されており、いかにも正則らしい面子にこだわった感がありますが、その言葉の裏には共に秀吉に大恩を受けた者同士として何かしてあげたかったという想いがあったように思います。


そして三成憎しという行動に代表されるように直情型であり、家康の側近達には余り好かれていなかったようですが、実際はなかなかの好人物だったのではないかと思います。
あれだけ仕える人物を変えた可児才蔵はその生涯を福島家で終えてますし、広島城明け渡しの際、家臣達は籠城して徳川に抗戦しようとまで言ってますから。

惜しむらくはもう少し政治的に動ければ違ったのかなぁと。
でもそうなると福島正則という人物の魅力は減ってしまうのかもしれませんね。

※2009年5月19日改訂

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「人は生まれたからには死ぬのは当然で、短命であっても惜しいとは思わないが、志を十分に果たせなかったのが残念だ」

周瑜が死に臨んで孫権に当てた手紙の一部です。
この手紙からすると周瑜は最後まで意識が正常である程度慢性の疾患があったものと考えられるそうです。

周瑜は酒と音楽をこよなく愛した人物であり、どれだけ酔っていても曲の演奏の間違えは見逃さなかったと伝えられてます。
この時代の酒の飲み方は中途半端ではなく、孫権は「釣台(チョウダイ)」という宴会場を作り宴会を開き大酒を飲み、家臣が酔いつぶれると、水をかけてはまた酒を飲ませていたとの事。
そうでなくとも周瑜はとにかく酒を飲んだようです。

こうゆう状況なので若くして肝臓病を患っていたものは多かったに違いないのです。

また肝臓病といえば長江流域は先日も書いたのですが、「住血吸虫」という寄生虫による病気の多発地帯でもあり、この病気は時間をかけて進行し肝硬変をおこし吐血し死に至るという恐ろしいものだそうです。

酒の飲みすぎでも肝硬変になることがあるうえに、長江流域の住血吸虫による肝硬変の多発地帯とあればなおさら肝臓の寿命が短くなります。

以上の事から周瑜の寿命は肝臓病に関係している可能性が高いと思われるとの事。

そういえば魯粛も呂蒙も呉の人物で早死にの武将って多いかも‥

※参考文献『サバイバル三国志/若林利光著』

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