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2007年05月01日
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曹仁・司馬懿に属して出陣する事が多い将軍。この時代では珍しい姓なのでちょいと三国志を読んでいたらなんとなく覚えている人も多いかと思います。演義でもなんでも余り活躍の場がなく名前のインパクトだけが先行している感じのする人物です。 蒼天航路では関羽にサクっと斬られますが、実は結構長生きです。 はじめ部曲の将校として曹仁に属し、ともに江陵の守備にあたります。 208年(建安13年)冬、周瑜が攻め寄せた際、牛金は曹仁の命を受けて迎え撃ちます。 しかし周瑜は牛金が寡兵の為あっさり包囲。 これを見た曹仁は、わずか数十騎を率いて城を飛び出して包囲網に突入し牛金を救出。 さらに包囲網のなかに取り残されていた牛金の部下を曹仁は再度突入し救い出します。 この時の牛金は、はっきり言って殆どいい所なしです。 231年(太和4年)3月に、諸葛亮が祁山に進出すると、曹叡は司馬懿に命じて討伐させます。 この時牛金も司馬懿に属して出陣していますが、さほど目立つ活躍はしてません。 235年(青龍3年)、馬岱が国境地帯を侵犯。司馬懿は牛金を派遣して迎撃させます。 牛金は馬岱を敗走させ、千人余りの首級を挙げます(ようやく活躍) 238年(景初2年)、司馬懿は牛金らを率いて歩騎四万人をもって遼東の公孫淵を討伐。 この前後牛金の官職は後将軍に昇ります。 きっと歴史に残っていない所で地道に活躍してたに違いありません。 晋書元帝紀にある話になかなか面白い話があります。 『初,玄石圖有「牛繼馬後」,故宣帝深忌牛氏,遂爲二,共一口,以貯酒焉,帝先飲佳者,而以毒酒鴆其將牛金。而恭王妃夏侯氏竟通小吏牛氏而生元帝,亦有符云』 という文ですが、 玄石図(金徳の晋が土徳の魏に代わる権威付けとして作られた)というものがあり、その石の表面に「馬の後を継ぐのは牛である」という言葉が浮かび上がっていて、司馬懿はこの事から牛氏を恨んでいました。そこで毒を飲ませて牛金を殺してしまいます。 しかし牛氏は牛氏でも牛金が後を継ぐのではなく、司馬懿の曾孫である司馬覲の時代、 妃である夏侯銅環が生んだ司馬睿(東晋の初代皇帝)の父親が実は牛氏(小役人で密通により誕生)だったのです。 最期までなんだか哀れな人物です‥
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鐘会小話のところで少し触れましたが、諸葛一族はロバが好きなのでしょうか?そんな小話です。 とっさに閃いたのかどうかは定かではありませんが、この時すでに諸葛恪の驢馬の話は知られていたんでしょうね。 諸葛恢‥諸葛誕の孫 ※東晋の時代の話ですが、魏の書庫に分類してます。
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子供の頃の聡明な話は諸葛恪の話が有名ですが、鐘会にもこうゆう話があります。 トンチが効いているというのでしょうか? ですが皆様ご存知の通り2人とも最期は決して良いものではありませんでした。 こうゆう人物達は、上り詰めてもどこかで道がずれてしまうようですね。 賢いにこしたことはないですが、余りにも子供が賢すぎるのもちと心配になる話です。
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