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歴史関係の情報を2つほど見つけました。 大阪城と小田原城と、どちらも城絡みのニュースです。 大阪城の石垣切り出し場跡地から刻印の石 細川氏の家紋か 江戸時代の大阪城再建の際に使った石垣切り出し場の跡地がある兵庫県芦屋市で、豊前小倉藩・細川氏の家紋に似た刻印のある石が見つかり、同市教育委員会が26日、発表した。 これまでの石垣調査で、細川氏が担当した個所から平仮名で「あしや」と刻まれた石が多数見つかっているが、産地については現在の芦屋市のほか、細川氏の所領に近い福岡県芦屋町とする説があった。 同市教委は「芦屋市産を決定づける重要な証拠」としている。 見つかった石は花崗岩で幅約1.7m、高さ約1.2m、重さ約3t。 岩肌に、直径20センチの円形に9つの丸い点が刻まれていた。 細川家の家紋「九曜紋」の変形型とみられ、同家の採石場であることを示す「傍示石」の可能性が高いという。 再建工事は元和6(1620)年から約10年間、西日本の大名が請け負った。 6月26日21時18分配信 産経新聞 まだまだ様々な発見があるものですね。 これから先も色々な新発見が続いていくんでしょうね。 小田原城跡:国指定史跡、馬出門桝形の復元進む 土塀の塗り込みなど公開
国指定史跡の「小田原城跡」で、二の丸を守る重要な門だった「馬出門桝形(うまだしもんますがた)」の復元整備が進んでいる。完成予定の来春には137年ぶりに、正規の登城ルート「大手筋」の主要部分が復活、江戸時代の姿がよみがえる。 28日は完成後は見る機会がない土塀の塗り込みなどを公開する現場見学会があり、市民ら約100人が参加した。 馬出門桝形は「馬出門」(幅4.7m、高さ6.2m)、「内冠木(かぶらき)門」(幅3.6m、高さ5.4m)と石垣、土塀の総称。 二つの門は大きな切り妻屋根に小屋根を設けた「高麗門」様式を取り入れ、古い写真を解析したり、同じ様式の江戸城田安門などを参考に復元する。 小田原城は戦国時代に中世最大規模の城郭として発展、江戸時代以降は天守閣や櫓、石垣、水堀を備える関東では数少ない近世城郭だった。馬出門は天守閣などとともに1872年に売却解体され、関東大震災で石垣がほぼ全壊した。 震災後の復旧事業で今の城址公園の原型ができた。 天守閣や常盤木門に続き、97年には本丸へ通じる「銅門」が復元されている。 来春には、横浜地裁小田原支部付近にあった三の丸大手門から馬出門、銅門、常盤木門を経て天守閣に至る大手筋がほぼ整うことになる。市文化財課は「これまで以上に江戸時代の雰囲気を体感できる」と話す。 見学会では、土壁が塗られる前と、実際に壁塗りをしている様子が見られ、文化財課の塚田順正課長は「桝形の構造や伝統工法で作られている様子が良く分かるタイミングで公開した」と話した。 建築技術などを熱心に質問する参加者もいた。 6月29日12時1分配信 毎日新聞 |
私的戦国時代
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戦国時代の事で自分の意見やら考えやらを述べています。
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昨日仕事で姫路へ出張してきました。 新幹線を降り改札へ向かう途中に姫路城の模型?が設置されていたのですが見事な出来栄え。 何度か姫路へは行った事があるのですがこんなものが置いてあるなんて知りませんでした。 模型はかなり大きく城全体が構成されています。 姫路へ行かれた際は姫路城はもちろんですがこの模型も見てみてはいかがでしょうか? 城へは仕事の都合上行けませんでした‥ |
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全国を600の地区に分けて現在地をGPSにて通知し国を支配していくタイプのゲームです。 これがなかなか面白くついつい仕事で移動中などでも位置送信。 支配した国の数で称号も変化していきます。 現在21ヶ国制覇で称号は足軽大将。 ちなみにここまでの道のりは‥ もののふ⇒小物⇒小物組頭⇒小物頭⇒足軽⇒足軽組頭⇒足軽大将 さらに1日1問のクイズがあり正解するとコバンがもらえます。 使い道はまだよくわかりません(戦争に必要という事はわかっているんですけど) 友達に紹介という形で4人に紹介したところ皆登録し日々領地拡大にいそしんでおります。 興味のある方はこちらから
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3月4日付の奈良版朝日新聞朝刊紙上にて先行紹介されていたようです。 「嶋左近の出身地である奈良県平群町において、左近の公認イメージキャラクターが誕生!!」 平群町では愛称を募集していたようです。 ※現在応募期間は過ぎております 嶋左近は嶋左近という固有名詞(?)としてのイメージが強いのですが、どんな愛称になるんでしょうかね。 そういえばこのキャラクターの愛称は「せんとくん」だそうです‥キャラクターのせいか安易な感じ‥
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