私的世界史

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孫子の兵法書

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戦国時代にも三国志にもよく出てくる『孫子の兵法書』
三国志の呉の孫堅は孫子の末裔なんておっしゃっていますが(これはウソですよ)‥
この『孫子』。著者は『孫武』であるという説と『孫臏』であるという説が過去にありました。
すでに判明していますが現在よくしられている『孫子の兵法書』は『孫武』のものです。
それまでは孫武を架空の人物であるとする意見もあったようですけど。

1972年に山東省の前漢代の墓から(後日『銀雀山漢墓』と名づけられました)多数の竹簡が発見されそこに2種類の兵法関係のものがありました。
ひとつは現在の『孫子(魏武注孫子)』と同じ物でもう一つは全く知られていない兵法書。
解読によりこれが孫臏の言葉やそれに関する記録をまとめたものである事が分かり『孫臏兵法』と名づけられました。

孫武 ?〜?
姓は孫、名は武、斉の出身と伝えられています。孫子は尊称。紀元前5世紀前後に呉王・闔廬(こうりょ)によって招かれ活躍しました。
孫臏 ?〜?
中国戦国時代の斉の人物。兵家の代表的人物の一人。孫武の子孫であると言われ、孫武と同じく孫子と呼ばれています。元の名は孫濱。魏(戦国時代)の龐涓に才能を妬まれ、謀られて両足切断の刑および(『臏』という字は足切りという意味)額に罪人の印である黥(刺青)を入れる刑に処せられてしまいます。

それにしても今から2500年近く前のものが未だに愛読されているって凄いことですよね。

追伸:ここで発見されたものはこの他に『六韜』『尉繚子』などが含まれていました。
『六韜』『尉繚子』等は、唐宋以降に書かれたものであると疑われていたそうですが、前漢前期に既に書かれていたことも判明されたそうです。

ドイツ土産‥

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先日旅行代理店に勤めている元同じ職場の後輩から画像の土産をもらったのですが‥
13世紀くらいのヨーロッパの兵士ですかね‥

海外旅行にいく知人に
「土産何がいいですか?」
と言われるとたいがい
『置物がいい』
と答えるのです。行く機会のない所のものであれば金額オーバーしてもいいものがあればお金は出すから民族的なものをお願いするのです。先日会って渡された時に
「トイザラスで探しまくりましたよ!!」
と自身満々に彼は言ってました。土産なので文句は言えないのですが、
『それなら日本でも売ってるんじゃ‥』
まぁ好意で買ってきてくれたので‥

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戦国時代の話ではないのですが‥
日本史の教科書の中でもっとも有名なものの一つである武将の肖像画ですね。
源氏の棟梁『源頼朝』さんです。多分自分と同じ年代の人はそれを疑う余地はありません。
つい先日までは自分もそうでした‥

先日深夜テレビ(フジ)を何気なく見ていると福井アナと及川奈央が司会で回答者に浅草キッド、ケンドーコバヤシ、清水ミチコ(だったと思う)。そして歴史学者らしい人がなにやら歴史の話をしています。
『皆さんこれは誰だか分かりますか』みたいな感じで源頼朝の肖像画をだしているのです。皆『源頼朝!』などと言っているのですが、その歴史学者は
『いや実は‥』
なんて言っているのです。
えっ??源頼朝でしょ!!


最近の研究で、この頼朝の肖像画の人物が、実は頼朝ではないことが明らかにされてきているそうです‥2000年2月6日付けの朝日新聞の『名画日本史』のコーナーで取り上げられたみたいでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが全く知りませんでした。
じゃこれ誰なの?
実はこの人物は、足利尊氏の弟の

足利直義(あしかがただよし)

だそうです。誰?
肖像画を保管している神護寺の見解では、定説どおり『源頼朝として伝承されている』という説をとっているそうですが‥
もしかしたら結構知られている事だったのかもしれませんがはずかしながらこの事は知りませんでした。


他にも頼朝と同じくらい有名な武将で足利幕府を開いた足利尊氏だと私たちが教えられてきた足利尊氏の例の騎馬武者像も実は尊氏ではないと‥。
それでは、これはいったい誰?
それは、足利家の執事職であった高師直の息子の

高師詮

である可能性が高いと言う事です。11年前からは『足利尊氏』で、最近では『騎馬武者像』として使用されているようです。


じゃ尊氏の肖像画はどれなんだ?
それは平重盛の肖像画と言われている物だそうです‥
※パソコン壊れて画像データが飛びました!!
これがそうなのですが、足利直義のものと向かい合わせになり正面から見て左を向いているほうが位が高いらしいのです。


もう何がなんだかわからん‥一体自分達が習ってきた事って‥こうなると、もしかしたらアノ人やコノ人も実は違う人でした。なんて可能性も沢山ありますよね〜


さらに番組では衝撃的な事が‥
おそらく日本国民であれば絶対に知っている歴史年号の覚え方

『1192造ろう鎌倉幕府』

鎌倉幕府ができたのは1192年。これはそこら辺のオバチャンでも知ってる。
でも、これが最近の研究では違うというのです!!国家レベルでこの間違いはヤバイのではないでしょうか
これにも以前から諸説あったらしく、
1180年説‥頼朝が平家追討のため配流先の伊豆国で挙兵する・侍所の設置
1183年説‥源頼朝が寿永宣旨を受け、東国支配権を獲得
1185年説‥守護・地頭を置く事を許可される・平家が滅亡する
1190年説‥頼朝が右近衛大将(律令制における武官の最高位)に任じられる
1192年説‥源頼朝が征夷大将軍に就任
1221年説…承久の乱で後鳥羽上皇方を破る(全国特に西国掌握の完了、朝廷の掌握)
など様々だったそうですが、最近の見解では年数を定めると

1185年鎌倉幕府成立

がもっとも有力だそうですが、鎌倉幕府というものは、ある一時期をもって成立したと見るのではなくて、徐々に数段階を経て成立したとする見解もあるそうです。

まだまだ謎だらけですね歴史って‥

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「カプリ島 お土産」

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自宅用に買ったカプリ島のお土産です。
一つは陶器でレモンを模ったものです。なんとなく地中海のイメージが漂っているので飾る場所も決めずに購入しました。
もう一つは青の洞窟の寄木細工です。こうゆう工芸品は好きなんです。これも飾る場所は決めずに買いました。20ユーロ(3000円弱)くらいだったような気がします。他にも数種類あったのですがカプリ島ならやはりこれしかないでしょという事で。
【※パソコン修理の為画像データが飛んでおります‥すみません‥】                
結局2つともトイレに飾ってあります‥
けちらないで寄木細工の方は3つくらい買ってこればなんとなくお洒落な飾り方ができたのになぁといまさら後悔しているのです‥

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細い小道を抜けるとテラスのような場所にたどり着きました。
抜けるような青空に最高の展望です。
そこから眼を下ろすとこれがまた海の色が綺麗なんです。
エメラルドグリーンなコバルトブルーな感じで、空も、海もここからの眺めは最高でした。
こんな邸宅を持っていたなんて‥なんて羨ましい!!

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