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坂本城の秀満は防戦する一方で明智家所有の刀や茶器などの名物が失われることを恐れ、一つずつ目録を作って堀秀政の家老直政に送り届けます。 そして光秀や自分の妻子を刺し殺した後、城に火を放って自刃するのですが‥ 安土城では秀満退去後すぐに織田信雄が入ります。 ですが信雄は安土城に火を放ち、この日天守は焼失してしまうのです(異説あり) 人物の器の違いが出ている話ですね‥ |
戦国ミニ知識・小話
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戦国時代のちょっとした事について述べています。
今日は何があった日?という記事は正確には旧暦で作成しなければならないと思うのですが、旧暦の馴染みが薄いのと面倒?なので西暦にて作成しておりますのでご了承下さい。
今日は何があった日?という記事は正確には旧暦で作成しなければならないと思うのですが、旧暦の馴染みが薄いのと面倒?なので西暦にて作成しておりますのでご了承下さい。
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斎藤義龍が対立していた父道三を長良川畔に破り、道三は討死。享年63歳。 道三は義龍に家督を譲って隠居し、義竜は稲葉山城に入りますが、道三は機会を見て義龍を廃嫡し、実子に後を嗣がせようと画策を始めます。 1555年4月15日、義龍は異母弟で道三が偏愛していた龍重・龍定兄弟を稲葉山城に招いて謀殺、父に対して義絶を宣告。 この挙に道三は激怒、急ぎ兵を集めて義龍に対抗します。 両者は長良川を挟んで南北に対峙し戦いが開始されますが、義龍方には17500の兵が集まったのに対し、道三方には2700の兵しか集まりません。 このため兵数に圧倒された道三は敗れ、一旦北野城へと逃げ込みます。 翌1556年年の4月18日になって道三は再び出陣、義龍勢と長良川の中州で激戦が開始されます。 兵力に劣る道三勢は奮闘しますが、主だった将士が次々と討たれ、この日再び敗走。 しかし追撃してきた義龍勢に追いつかれ、道三は首を取られました‥ |
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家の周りはすでに桜も散ってしまいました。 もっと楽しみたいのですが短いものですねぇ‥ そして逆に短いからこそこの季節が待ち遠しくもあるんでしょうね。 そんな感じで久々に家紋についての記事なのですが、桜の花を家紋とした大名家は殆どありません。 有名大名家では細川家が忠興の代より有名な『九曜紋』の他に桜を使用していました。 理由は簡単な事で桜の花のようにすぐに散ることから家の繁栄を願う武家において縁起が悪いという事からだそうです。 縁起を気にしたこの時代の人達ならではの考え方ですね。 同じように縁起を担いでいたために余り使用されなかった家紋に椿があります。
理由は花が落ちる様子が首が落ちる様子に似ていることからだそうです。 |
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明日から仕事始まりという人も多いのかもしれないですけど、もう少しゆっくりしたいというのが本音ですよね。 幸いな事に明日も休みなのでもう少し年始休みが続きます。 旧暦だと12月になります。 年の瀬や年明け早々に戦をしかけていく(山中鹿之介の話などが有名ですよね)というのは、 日本人の習慣的に非常に有効な手段だったでしょうね。 年末年始くらいゆっくりしたいですから‥
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子(鼠)年という事で、鼠といえば信長よりその容姿から禿鼠といわれた豊臣秀吉が思い出されます。 という事で戦国時代の十二支に関する異名を持った人物を少し調べてみました。 『禿鼠』‥豊臣秀吉 『武田の猛牛』‥秋山信友 『越後の虎』‥上杉謙信 『兎』‥ 『独眼竜』‥伊達政宗 『美濃の蝮』‥斉藤道三 『馬』‥ 『羊』‥ 『猿』‥豊臣秀吉 『津軽の梟雄』‥津軽為信 『犬』‥前田利家 『猪』‥ 竜、虎なんかは他にも沢山いますね。 やはり兎とかは弱そうだからいないのでしょうか。 猪なんかはいてもよさそうなんですけど猪武者というイメージがあるからでしょうかね。 (猪武者という言葉がこの時代にあったのかどうかは定かではないですけど) 兎・馬・羊・猪に該当する人物がいたら教えてください。 十二支に関係ない動物では 『肥前の熊』‥龍造寺隆信 『羽州の狐』‥最上義光 『狸親父』‥徳川家康 なんてのもありました。
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