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九州では、大友・龍造寺・島津が有名な為に名前は聞いた事があるけど‥ などという大名家が多く存在します。 この楢柴肩衡、もともと博多の豪商島井宗室の所有する名器でしたが、無理矢理これを奪い、 秀吉の九州征伐では島津側についた際、秀吉に降伏の証として献上した茶器です。 この種長、朝鮮遠征では2500人もの朝鮮人の鼻をそぎ落とすという事もしています‥ 関ヶ原では当初西軍につくものの、戦後すぐの9月17日に東軍に寝返り家康より所領を安堵されてもいます‥ これだけですと日和見主義のいけすかない人物ですが、小大名だからしょうがありません。 しかも秋月家は名族なので路頭に迷うわけにもいかないのです。 名族‥? 先祖を辿ると、なんと漢の高祖(B.C.256〜B.C.195)に辿りつくというのです!! 簡単な系図にするとこんな感じです。 画像とあわせて見てみてください。 高祖(B.C.256〜B.C.195)−‥−霊帝(167〜189)−■−■−阿智王(日本へ帰化)−東漢掬(やまとのあやのつか)−4代略−大蔵広隅(6世紀)−8代略−大蔵春実(10世紀)−6代略−秋月種雄(13世紀)−15代略−秋月種長(16世紀)−9代略−秋月種繁(20世紀)−‥ ※若干違う所があっても突っ込まないで下さい‥ これが事実ならば物凄い事です!! 名族中の名族ではないですか!! ですが残念ながら‥実際には漢王朝の流れを汲むというのは奈良時代に権威付けされたもののようです。 しかし、東漢掬という人物までは遡れるようでして(大蔵広隅より先は怪しい感じもするのですけど)、いずれにしても立派な名族である事には間違いありません。 また、秋月氏からは傑物も生まれています。 種長の7代後の人物で、J・F・ケネディが日本で一番尊敬する政治家として名を挙げた 江戸時代屈指の名君、上杉鷹山です。 という事で秋月氏について簡単に紹介しました。
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戦国ミニ知識・小話
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戦国時代のちょっとした事について述べています。
今日は何があった日?という記事は正確には旧暦で作成しなければならないと思うのですが、旧暦の馴染みが薄いのと面倒?なので西暦にて作成しておりますのでご了承下さい。
今日は何があった日?という記事は正確には旧暦で作成しなければならないと思うのですが、旧暦の馴染みが薄いのと面倒?なので西暦にて作成しておりますのでご了承下さい。
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この時代の常人では出来ない事をやってのけた事件です。 もし仮に同じ事が出来る人物といえば信長くらいですかね。 (賢いのでやらないと思いますけど‥) 同日に爆死したのも大仏殿を焼いた祟りだなんていわれてますよね。 本人がこの時代には珍しく現実主義者なのでそんな事まるで考えてなかったでしょうけどね。 この時代では異端児的な人物ですがそこが魅力的な所でもあります。 なんだか憎めないんですよね〜 |
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この日、真田幸村・大助父子が紀州九度山を脱出、大坂城に向かいます。 よく知られる逸話として、幸村は百姓たちに日頃世話になっているお礼と称して屋敷に招き、 酒を振る舞って酔わせ、百姓たちが酔いつぶれて寝込んだ隙に、彼らが乗ってきた馬を奪って 九度山を脱出したというものがありますね。 いずれにせよ、真田親子が九度山を脱出した事によって大阪の陣は劇的なものへ変わっていきます。 ※画像は三光神社にある「真田の抜穴」と言われるものです
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伊達政宗もある食べ物について禁止令を出したという逸話が残っています。 『はっと汁』『ずんだはっと』と言われる食べ物です。 ただ禁止令を出した理由が食べたらあまりにもおいしいから‥ 『はっと汁』 宮城の地粉を使ったすいとん(はっと)にネギと揚げのみが入った素朴な汁。 名前も政宗が食べることを「ご法度」としたことから「はっと」とついたエピソードがあります。 『ずんだはっと』 その「はっと」にゆでた枝豆をすりつぶして砂糖と塩で味付けした「ずんだ」を混ぜたもの。 「ずんだ」の語源には諸説あるものの、豆を打つ=豆打(ずだ)が変化して「ずんだ」となった説が有名。他に、伊達政宗が出陣の際、陣太刀(じんたとう)で枝豆を砕いて食したことから、陣太刀が変化して「ずんだ」になったという説もあるそうです。 なんだか政宗らしいエピソードですね。
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