魏人物
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この将軍『演義』では本当にひどすぎる扱いです‥ 韓浩元嗣 ?〜? 中護軍・万歳亭侯『演義』では、かの「おバカ太守四傑(そんなんないですけど)」の下手したら筆頭にもあげられてしまいそうな韓玄の弟で黄忠のサクッと殺されています。たまたま同姓というだけでこの扱い!正式な『伝』はありませんが実際の韓浩は素晴らしい人物ですよ! 河内郡の人物ですが、韓浩の住む県には賊がよく出没していました。韓浩は仲間に呼びかけ県の護衛にあたります。河内太守の王匡は韓浩を従事に任命し、兵を与え董卓と孟津にて対戦させます。この時伯父杜陽を人質をとられ脅されますが韓浩は屈せずに戦いきります。(このときの韓浩は危機を乗り切るためのフリーの傭兵隊長みたいな扱いです) この話を聞いて韓浩に目をつけたのが袁術(こんなのに目をつけられるなんて危ない危ない!)でした。袁術は韓浩を騎都尉として取り立てようとしますが、この活躍を気にしていた人物がもう一人いました。 曹操配下の猛将夏侯惇です。 夏侯惇は早速韓浩に会い、その人物を高く評価して兵を与えて従軍させ陣営に加えるのです。 またこの時期棗祗(ソウシ)という人物と、 『屯田を開いて農業を振興するのが急務である』 と曹操に進言して、大いに評価され「護軍」に昇進します。 有名な『屯田制』の開始です。 世界史受験をされる方は魏の制度で『屯田制』と『九品中正法』は覚えておいたほうがいいですよ (九品中正法については以前少し記事でとりあげてます『陳羣の功績』) 韓浩は歴史的にみても意義のある事をしているのです。 193年呂布の配下の投降してくるのですが、そこで居直り夏侯惇を人質として財貨を要求してくるという事件がありました。この時軍中は大騒ぎになりますが、韓浩が人々を落ち着かせ、さらに韓浩は夏侯惇が人質とされている陣に行き、 『私は命を受けて賊を討つ者だ。一将軍の為に、お前達を大目に見るわけはない!』 と討ちかかり無事夏侯惇を救出します。これを聞いた曹操は韓浩のやり方は正しいと大いに褒めたのです。 207年曹操は烏丸討伐を計画します。領軍将軍史渙は道が遠いのに進入していくのは万全ではないと考え韓浩に呼びかけて曹操の計画を諌めようとします。ですが韓浩は 『今、兵の勢いは強く、武威は四海を覆っている。戦えば必ず勝ち、勝てば必ず占領し、意のままにならぬことはない。この時、天下の患いを取り除かなければ、又後の憂いとなろう。その上曹公は神のごとき武勇をお持ちであって、事を起こされる場合、何一つ手落ちがない。私と君が中軍の指揮官なのだから、中止を進言して兵の気勢を阻んではならない』 と烏丸討伐に向かい戦果をあげます。 215年の漢中の張魯攻撃の際も従軍し、張魯が降伏した後、 「韓浩は辺境を守るのに十分な機略を持っています。このまま漢中に留めて諸軍を監督させてはどうか」 と曹操に進言するものがいましたが、曹操は 『私にはどうしても護軍(韓浩)が必要だ』と答え鄴に引き連れて帰ります。韓浩が曹操に信任されている程がよくわかりますね。韓浩は生没年が不詳ですが、韓浩が亡くなると子の韓榮に後を継がせたそうです。 以上韓浩ですが、このように『演義』と『正史』で全く(ヒドイくらい)違うのです。
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