孫堅長沙郡の賊区星(オウセイ)の反乱を平定孫堅はこの年区星とそれに呼応した零陵郡の周朝(シュウチョウ)・桂陽郡の郭石(カクセキ)の数万の反乱軍を破り烏程侯に封じられます。ちなみに区星・周朝・郭石ともに『呉書』に登場してます。 |
三国志年表
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この年目立つ出来事は余りありません‥ 江夏で暴動が起き太守が殺害されるという事件が起きていますが三国志の世界に大きく関ってくるものではありません‥ 全然関係ないのですが、カラカラ浴場で有名なローマ皇帝のカラカラ帝がこの年に生まれてます‥
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【改訂】 最近三国志に興味を持った人の為に‥ 前からやってみようと思っていたのですが書庫を増設してみました。 よく知っている方にはもの足りないと思いますが‥ では‥ 三国志とは中国の後漢(25年〜220年)末期から三国時代(220年〜280年)にかけて群雄割拠していた時代の興亡史の通称です。 一般的に三国志の世界は184年に起きた『黄巾の乱』を始まりとする書物が多いようなのでそこからはじめます。また『演義』『正史』にこだわらず有名な場面もなるべく抜粋しますので突っ込みはナシで‥ 『演義』とか『正史』につきましてはコチラの記事を 『読物としての「三国志」の成り立ち』 184年2月『黄巾の乱』張角(チョウカク)ら太平道(タイヘイドウ)の信者が黄巾を付けて中国各地で一斉蜂起します。この黄巾から取って黄巾の乱と呼ばれています。【黄巾の乱】 黄巾の乱(こうきんのらん)は、中国後漢末期の184年に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。反乱のため黄巾賊と呼ばれる。この農民反乱は後漢が滅亡し三国時代に移る一つの契機となった。『wikipediaより』関連記事「黄巾の乱の背景」 劉備・関羽(カンウ)・張飛(チョウヒ)桃園にて義兄弟の契りを結ぶ「我ら三人生まれた時は違えども死す時は同じ日、同じ時間、同じ場所を願わん!!」こうして3人は黄巾の乱討伐に義勇軍として参戦していくのです。 首謀者張角の病死を機に黄巾の乱は収束に向かいますがこの時に活躍したのが曹操(29歳)・劉備(23歳)・孫堅(ソンケン29歳‥孫権の父)・関羽(生年不詳)・張飛(生年不詳)という現在でも名前を知られる英雄達です。三国志の幕明けです。 三国志を知る方向け‥この年羌族を率いた韓遂らが涼州などに進攻
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