
JYOJYOさんとのコラボ、今回は幼稚園の先生と園児という設定で
園児は先生が大好き!という縛りでのショートショートの競作です。
「デンジャラス・ラブ」
朝の6時に電話で起こされた。
「白河さん、あなた一体何をやっているの!」
ベッドの中で手にした携帯から聞こえてきたのは園長先生の声。
特徴的な少し低めのハスキーボイスは怒気を含んでいた。
え?わたしが、何か…?マズイことした…?
ぼんやりした頭を叱咤する様に、素早くベッドに半身を起こす。
押し殺した様な、切迫感をにじませた声に血の気が引いた。
「あ、あの…、わたし、何か、しましたか?!」
心当たりはないが、寝ボケ気味だった頭のギアが一気に入った。
何ぶんにもわたしは、まだ大学を出て3年目の新米幼稚園教諭だから、
知らないうちにえらいヘマをやってしまった可能性は否定できない。
以前にもあったっけ。
久しぶりに園を訪れていたモモ組の
逢崎環(あいさきたまき)ちゃんのお母さんに、
「お二人目ですか?楽しみですねぇー」
挨拶代りにそう声をかけた。いや、うっかり言ってしまった。
だって本気でそう思ったから。祝福の気持ちを込めてのことだった。
でも違った。妊娠なんかじゃなかったのだ。
半年前に会った時にくびれていた彼女のウエストが、
あんな風に丸く膨らんでいれば誰でもそう思うはず。ところが…、
環ちゃんママの顔がみるみる青ざめて、
ひどい…。と一声絞り出して、なぜか泣き出してしまった。
後で園長先生からひどく叱られた。それもそのはず。
下手すれば名誉毀損で訴えられる。それほどのミスだった。
逢崎家ではご主人がリストラに遭い、奥さんは精神的に落ち込み、
過食症になり急速に太った。やっとの事で気持ちが落ちつきはじめ、
環ちゃんママは前向きにダイエットに取り組み始めた。
まさにその矢先のことだったらしい。
周囲が腫れ物にさわる様に逢崎さんに気を遣っていたことを、
わたしは知らなかった。それを知ったのはあくまで事後だ。
わたしは、心の病が原因の薬で急速に太り、悩んだ挙句、
ようやくケアに取り組み始めた彼女のお腹を見て、妊婦呼ばわりしたのだ。
わたしは年長のスミレ組の担当だから、
年少のモモ組の細かな情報には疎かった。
でもそのことが結果としては幼稚園にとっての
死活問題になりかねない事態を招いた。
訴訟にでもなって黒いレッテルを貼られれば、
ただでさえ少子化の進むいま、
小規模の私立幼稚園など簡単に潰されてしまうだろう。
謝罪をして、幸いにも大事に至らずに済んだけれど。
「なぜ滝山信二くんに暴行を加えたの?!」
園長先生の言葉が、脳にグサリと突き刺さった。
えっ?……。暴、行…?わたしが?園児に?
「園長先生、ま、待ってください。それって何…?わたし暴行なんて決して…」
どうなってるんだか、さっぱり分からない!
信二くんに?わたしが暴行?そんな…!
「とぼけても駄目です。動画が何よりの証拠ですから!」
動画?まさか…!ネットか何かに?わたしの動画が?……!!
暴行…!!
大変なことが起きているらしい。
環ちゃんママ事件どころじゃない。それって犯罪じゃない。そんなバカな!
電話じゃよく分からない。
混乱する頭を必死に落ち着かせようとするが、
どうにも心の動揺が止まらない。動悸も高まる。
ともかく何が起きているのか確かめなくては!
「すみません。と、とにかくすぐに行きます!」
ことの重大さにパニックになりそうだったが、
ともかく状況を知ること、確かめることが先決だ。そう考えた。
電話を切って化粧もそこそこにアパートを飛び出した。
わたしの住む東京郊外のN市はかつてのベッドタウン。
大規模な団地が立ち並び、若い人や子供たちで賑わった街も、
今や人も建物も老朽化の一途を辿っている。
高度成長時代を過ぎた頃から統廃合を繰り返し、教育施設も減少。
居住人口も横ばいから減少に転じてから久しい。
幼稚園まではアパートから徒歩15分ほどの距離だ。
歩いて職場に向かう道すがら、わたしは一生懸命に頭を巡らせた。
しかし“暴行”という言葉の重さが不安を掻き立てる。
冷静になれないし、どうにも思考が定まらない。
滝山信二くん。シンちゃんをわたしが暴行?………。
どう考えても思い当たる事実はない。
他の子よりもシンちゃんは、わたしに対してむしろ従順で素直な子だ。
とてもなついてくれているし、好かれていると思っていた。
わたしもあまり怒ったことはないし、それなりに優しく接してきたつもりだ。
毎日の集団降園の時だって、彼はいつも先頭を歩くわたしと手を繋ぎたがった。
そんな子に誰が暴行を?
彼に手を上げたことなどない。わたしは体罰など賛成できないし、
ましてや自分でそれを実行するなどもっての外だ。
半ば走るような早足だったから、ものの10分後には、
わたしは幼稚園の教諭室に居た。
園長と副園長と主幹教諭の3人が、一様に腕組みをした
険しい顔でわたしを迎えた。
主幹の佐々木先生がデスク上のパソコンを指差す。
「白河さん、これ。もちろん覚えがあるでしょう?」
モニターの静止画面に『呆れた園児イジメ』の文字がある。
何これ?!
わたしは早くなる動悸に胸を押さえながら視線を向けた。
「とんでもないことをしてくれたわね、白河先生」
普段はとても穏やかな副園長が、低い声を出す。
佐々木先生がYouTubeの再生アイコンをクリックし、動画が始まった。
『なかよし幼稚園』と書かれた看板のアップ。
そして集団降園の様子が映し出される。
園の外から取られた映像だ。わたしを先頭に、
園児服を着た30人余りの子供たちが後に続き、門から出てくる。
徐々にズーミングされ、わたしの顔が大きくなる。
明らかにわたしを主な被写体にした映し方のように思えた。
毎日繰り返される集団降園のシーンだから、
特に何か問題があるとは思えないが…。
わたしの顔からカメラが下がり、男の子の顔に移る。
滝山信二くんだ。いつも通り園児たちの先頭に居て、
わたしを見上げながらニコニコと笑いかけている。
そしてこれもいつものことで、シンちゃんが右手を上げて
わたしの手を掴もうとする。手を繋いでくれといつもせがまれる。
ここひと月ほどではごく日常的な出来事だ。
ただ、余りにも頻繁なので、少し戸惑いもある。
他の子に、シンちゃんだけ特別扱いしていると思われては困る。
思い出した。これはつい一週間ほど前。
シンちゃんの隣を歩く森山菜々子ちゃんがマスクをしている。
すると先週の月曜日以降のことだ。
それまでなかった花粉症の症状が出たらしく、
あの日から菜々子ちゃんはずっとマスクをするようになった。
カメラがわたしの少し呆れたように眉をひそめる表情を捉えた。
次の瞬間、カメラが動き、
わたしの体が動く不鮮明にブレた画面になる。
わたしが何か急激な動きをした風に揺れる画面。
そして驚いたようにゆがむシンちゃんの顔が現れる。
同時にまるで突き飛ばされでもしたように後ずさる様子。
なぜか小刻みに動くカメラのフレームは、
まるで突発的な事故か事件でも起きたかのように、
緊迫した雰囲気を殊更に強調しているかに見えた。
自分の服装から、おそらく先週の水曜日のことだろう。
記憶が徐々に鮮明になる。
シンちゃんが何か言いながら手を繋ごうとしてきた時、
わたしはさすがにそろそろたしなめるべきだと思った。
「今日はダメ」小さく言って、
人差し指と中指を揃えて、彼の手の甲を軽くペシッと叩いた。
もちろん痛みを感じない程度の力で。
場面は変わり、シンちゃんがカメラに向かって喋っている。
どこだろう?集団降園は終わり、
彼の家の近くの小さな公園のような場所か?
どうしたの?何があったの?
撮影者の男がシンちゃんに向かって語りかけている。
手持ちのカメラだからフレームが安定していない。
白河先生がね、ぶったんだ!
手をつなごうとしたら、ぶったんだ。
どうしてそんなことを?
知らない。知らないけど、ぶった。僕が嫌いなんだ。
先生はいつもそんなことをするの?
うん。いつもぶつよ。ぼくは好きなのに…。手を繋ぎたいだけなのに…。
言いながらシンちゃんが涙ぐんでいる。
ひどいことするんだね、かわいそうに。
画面が歩き去るシンちゃんの後ろ姿を映し出す。
カメラがすごすごと肩を落として歩いていく園児を追う映像に、
字幕の文字が上から下に流れていく。
小さな子供にとっては、ちょっとした暴力でも
ひどい心の傷になることがある。
取るに足らない日常の一コマにも、大人の心無い行為が潜んでいる。
親の知らない場所であなたの子供も傷つけられているかもしれない。
あなたのお子さんは大丈夫ですか?
映像が終わると、3人の先生たちがわたしを睨みつけた。
怒りの滲んだ険しい表情だ。
「いえ…。違います!ぶっただなんて、そんなじゃ…」
6つの、蔑むような、敵意を持った目がわたしに据えられる。
「何を言っても言い訳でしかありません。証拠がこうして…」
園長先生の冷たい声がわたしを射抜き、心が折れる。
巧妙に演出され編集された悪意の映像は、
園児をひどく傷つけた幼稚園教諭の蛮行を明快に提示していた。
違う、違う!そんなんじゃない!これは誰かの悪意よ!
「違うんです。人差し指と中指でペシッって。手の甲を軽く…」
「叩いたんでしょう?」園長が言い放つ。
「あんまりにも毎日、わたしと手をつなごうと、シンちゃんが…。
だからわたし、他の子の手前もあるので…」
誰がこんなことを?!
明らかにわたしを陥れようとしている。その意図のある映像だ。
しかも幼稚園名まではっきりと…。
作為的にでっち上げた映像をYouTubeに上げるなんて…。
一体何のためにこんなひどいことを?!
その場で3日間の自宅謹慎を告げられた。
臨時の会議を招集して、今後の対応を話し合う。
わたしの正式な処分はその後に決められる、とのことだった。
アパートに帰る道すがら、わたしは死人のように青ざめて
思考停止の状態に陥っていた。
滝山信二くんの言葉が頭の中に繰り返し再生される。
いつもぶつんだよ。
好きなのに。
手を繋ぎたいだけなのに。
動画は悪意に満ちたものであり、でっち上げだ。
しかし、わたしがシンちゃんを傷つけてしまったのは事実だろう。
手を繋ごうとした先生から拒絶された。
そのやり方がどうであろうと、これが幼児にとっては
大変なショックを感じる出来事であったことは確かのようだ。
その日1日は部屋で鬱々と過ごした。
パニックに陥りそうなショック状態は、午後になって少し治ってきた。
悪意ある映像をネットに上げた人物には心当たりがある。
わたしの元恋人、薙尾修輔。
映像の声では気づかなかったが、おそらく声色を使っていたのだろう。
東京に来てから数ヶ月後に付き合い始めたが、彼はこの春、
やっとの事で就職したIT企業を辞めてしまった。
元々堪え性のある性格だとは思っていなかったが、一方的に会社を罵り、
自己肯定を繰り返す彼を見ているうちに、
わたしの気持ちはすっかり冷めてしまった。
自省することなく相手ばかりのせいにする。
わたしの最も嫌いな一面を見せつけられてしまったから。
実家で自堕落な生活を続ける修輔に、
はじめは再就職を促すこともしたが、いつしかそれも諦めた。
そして一度は結婚まで考えた相手だった彼に、
わたしから別れを切り出したのは半年ほど前のことだ。
プライドが高いから、異を唱えることはなかったが、
彼の表情には落胆と、一方的に拒絶されたことへの憤りが滲んでいた。
1年半ほどの付き合いだったが、わたしにしても喪失感は大きかった。
できれば心を入れ替えて、社会人としての自覚を取り戻して欲しかった。
もう一度やり直せるならそうしたかった。
でもわたしは、彼の甘ったれた性格をどうしても許せなかったのだ。
彼はあの映像を撮るために、どれだけの時間と労力を使ったのだろう?
もしかしたら何ヶ月も前から、毎日のように物陰からカメラを構えて
わたしの行動を追っていたのかも知れない。
ストーカー行為。出会った頃には考えられなかった。見抜けなかった。
しかし、それを誘発したのはわたし自身なのかも知れない。
肖像権、人格権、誹謗中傷…。動画を削除する方法はあるだろうが、
弁護士に相談するなどして、面倒な手続きが必要だと聞く。
まだ若い母親たちの噂の拡散は早いから、
多くの関係者に、わたしの園児へのでっち上げの“暴行事件”は
すでに知れ渡っているに違いない。
少なくとも、幼稚園教諭としてのわたしの将来は断たれたに等しい。
そして3日後に、わたしは幼稚園から解雇通告を言い渡された。
山形の実家に戻り、数ヶ月に渡って心のリハビリに取り組んだ。
子供が好きで、東京の生活に憧れ、意気揚々とスタートした
幼稚園での教諭生活を奪われた喪失感は底知れなかったが、
地元の友人たちとの交流や、一人娘への両親の優しい気遣いもあって、
わたしは少しずつ元の健康な心を取り戻していった。
高校の時の同級生の紹介もあって、地元の保育所で
保母さんとして働けることになった。
小さな子供たちとのふれあいが、ますますわたしを元気づけてくれた。
懐かしい人たちや風景の中での暮らしが、
大学で幼児教育を学んでいた頃の純粋な気持ちを呼び覚ましてくれた。
あの動画事件では、とても嫌な思いをしたけれど、
結果としてわたしは成長することができたと思う。
元々、自分は子供達と接する仕事がしたかったのであって、
華やかな東京暮らしは副産物でしかなかったはずだ。
恋人ができたり、都会生活と一人暮らしの自由さに慣れるにつれて、
わたしは本来の自分らしさを見失っていたのかも知れない。
故郷に帰ってから3ヶ月ほど経った頃、
東京の滝山信二くんのお母さんから電話をもらった。
あの事件の後、わたしはシンちゃんとご両親に謝りたくて、
幼稚園にお願いしたけれど聞き入れてもらえなかった。
園の存続のための様々な事後処理が優先ということだったが、
恐らくわたしを解雇することで、早々に事を収めたかったのだろう。
あくまで一教諭の不始末であり、
幼稚園側は適切で速やかな対応を取ったという印象を与えて、
世間の風評の広がりを抑えたかったというのが本音だと思う。
いわゆるトカゲの尻尾切りだ。
どんなお叱りの言葉を受けることも覚悟していたけれど、
滝山さんはむしろ恐縮した風な、意外な言葉を口にした。
「白河先生、すみませんでした。信二のことで大変なことに…」
言われている意味が理解できなかった。
「え?滝山さん、謝らなきゃいけないのはわたしです。
本来ならあれからすぐにお宅にうかがって謝罪したかったんですが…」
「いえ、あの子は、信二は、嘘を…」
え?………。
「あの動画の投稿者に言われて、嘘をついたって…」
シンちゃんが嘘を?そう言ったの?何だか頭が混乱した。
「あ、あの…。いえ、いいんです。言葉巧みに騙されて、
大人に頼まれて言わされたんですから、信二くんに罪はないです」
5歳の幼児だ。大の男に脅されれば逆らえるはずがない。
「違うんです。信二は分かっていて嘘をつきました」
「なぜ、そんなことを?」
もういい。こんな話は聞きたくない。もう忘れたいんだ。あんなこと。
「先生に嫌われた。大好きな先生に嫌われた。居なくなっちゃえばいいって。
だからカメラの前で嘘を言ったんです。大変なことになると知っていて…」
やめてよ、もういい。信二くんはそんな子じゃない。
「ごめんなさい。ただ、ひと言謝りたくて…」
電話を切ると、全身が重くなるようなやるせなさを覚えた。
無邪気に笑い、友達と駆け回っていた信二くんの姿が、
何かと言うとわたしのそばにくっついていた信二くんの笑顔が頭を過ぎる。
先生大好き。そうだ。あの日、信二くんはそう言って手を差し出してきた。
手の甲をペシッと軽く打った時、彼の表情は確かに変わった。
驚いたように後ずさると、後ろの園児集団に紛れてしまった。
以来、彼の態度はハッキリと変わったと思う。
今思えば、わたしを何となく遠ざけていた気がする。
一度、気になって、下駄箱のところに一人で居たシンちゃんに声をかけた。
「シンちゃん、何だか元気ないね。大丈夫かな?」
その時、何も言わずにわたしを見つめた信二くんの顔には…。
そう。
別れを切り出した時の薙尾修輔と同じ表情が浮かんでいた。
了
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