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前年のメキシコW杯で優勝し、その後のセリエA86/87シーズンでもナポリに初のスクデッドをもたらしただけではなく、コッパイタリアも制したマラドーナ。まさに全盛期ですね。
あのマラドーナの正確なトラップとキック、当たりの強さとドリブルが現代サッカーの中でどれだけやれるかは想像の世界でしか語る事はできませんが、一瞬のヒラメキと一瞬で相手をかわす緩急は今のサッカーを見慣れた人でも秀でたものだと感じられる事ではないでしょうか。 ぼくは、マラドーナ世代なのでダーティーなイメージよりも、倒されても倒されても立ち上がるマラドーナの方が印象的です。(最後に暴力や薬に手を出しちゃダメダメなのは解っちゃいるのですが・・・。) その他の所属選手 カレカ フェラーラ デ・ナポリ データ ノンタイトル
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ユニコレ
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言わずと知れた、神の子ディエゴ・マラドーナの全盛期、86メキシコワールドカップ アルゼンチン代表のユニフォームです。
大会前に当時25歳のマラドーナはビラルド監督に「怒るな」と言うメッセージと共にキャプテンマークを託されます。 大会が始まると、大方の予想通りマラドーナは、82年大会と同様に激しくマーク、ファールを容赦なく受ける事になります。この当時、今とはファールに対する認識も違っていて、ファールで止めるのも技術の内でした。伝説の5人抜きゴールが生れたのも、そんな風潮の中でのイングランドのフェアプレーがあったからこそ生まれたものでもありました。 結局この大会、最後には皆さんもご存知の通り、「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナの為の大会」と言われ、マラドーナは5得点の5アシスト(決勝のスルーパス含)のMVPと優勝を成し遂げました。 僕の中では、どんなに世界最高レベルのCLで活躍したとしても、世界最高の桧舞台であるW杯で活躍しなければ真のスーパースターだとは言えないと思っています。 その他の所属選手 バルダーノ ブルチャガ データ 86メキシコワールドカップ 優勝
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90年イタリアワールドカップのブラジル代表のユニフォームです。
黄金の中盤が一人も居なくなって、MFの人材不足が囁かれていた頃のブラジルです。 チームを引っ張っていたのは、日本の柏レイソルにも来た当時29歳のカレカです。 チームはカレカとのツートップを誰と組ませるかと言う事で、本大会が開幕してもなお決めかねておりました。 ジーコの後継者とも言われていたベベト、86年のW杯、サンパウロFCとコンビを組んでいたミューレル、 オリンピック得点王のロマーリオ 結局、パートナーの座を勝ち取ったのは、ミューレルでした。 頻繁に見せる二人の息の合ったプレーは、興奮しました。たったの二人で相手DFをかき回して、混乱させていきます。 今は当時と戦術、技術共に大きく変わりはしましたが、今でも僕の中では理想のツートップの姿の一つです。 所属選手 カレカ ミューレル ロマーリオ ベベト ドゥンガ アレモン ジョルジーニョ データ 90イタリアワールドカップ ベスト16 おまけ。
86年メキシコワールドカップのカレカ(当時はカレッカ)とミューレルも好きでした。 この時のミューレルは、まだまだ若くレギュラーでは無かったけど、随所に活躍してて 4年後のツートップのカレカとの活躍を凄く期待しちゃいました。 子供だった自分には9番と7番のツートップって言うだけでカッコ良かったんですよね。 ユニフォームのデザインが襟の部分が違うだけ?の様な気がしてて買ってません。。。
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1999年。小野伸二は、その才能とキャリアとででサッカーファンの期待を裏切らずに着々と成長してきました。
しかし、シドニーオリンピック予選で才能あるが故の悪質なファールを受けます。 この時、今後の選手生活に大きな影響を及ぼす程の大きな怪我をしました。 所属チームの浦和レッズが2部降格したのも、この年です。 その翌年2000年に過酷なリハビリを経て復帰するものの、シドニーオリンピック本大会メンバー落選を致します。 そして2001年の日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップで復活の準優勝を果たし、それを手土産に01/02シーズンよりオランダ・ビッグ3の一つフェイエノールトへ移籍し念願の欧州挑戦となったのです。。 フェイエノールトではレギュラーで活躍し、遂には01/02シーズンのUEFAカップで優勝をも果たします。日本人として初のUEFAの主催大会での優勝でもあります。 写真は、リーグ戦用のユニフォームです。UEFAカップ用はUEFAの規定で胸のスポンサーの大きさがやや小さめで背中のスポンサーは無いらしいです。 その他の所属選手 ヨン・ダール・トマソン(デンマーク) ピエール・ファン・ホーイドンク(オランダ) ロビン・ファン・ペルシ(オランダ) データ 01/02UEFAカップ優勝
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バッジォがユベントスからACミランに移籍して最初のシーズンのユニフォームです。
左足の天才サビチェビッチ、リベリアの怪人ウェアと共に魅惑の3トップを形成する予定でした。 しかし、成績不振の原因がバッジォにあるとされ、次第にベンチを暖めることとなります。 そして、バッジォは94年のワールドカップに続き徐々に戦術の犠牲となって行きます。 チームの成績も上がっていき、最後には、このシーズンのACミランは優勝を果たします。 でも、優勝を決定付けたPKを決めたのは、バッジォです。 コーナーポストに走って行き、ユニフォームをコーナーフラッグで高く突き上げたシーンは思い出深いです。 その他の在籍選手 サビチェビッチ ウェア デサイー ボバン アルベルティーニ パオロ・マルディーニ フランコ・バレージ データ 95/96 リーグ優勝
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