今日のお題であります。タヌキの勤タマ画像を用意できなかったので2年前の北京五輪予選の際に使用した画像をどうぞ。コメントを見る限り福岡の女中さん以外は見たことがないと思われます。 当時の代表監督の「勤タマの勝負だったら負けていない!」という戦いを前に燃える思いを表現したと思われる意味不明のコメントから作ったものです。 ことの発端は http://blogs.yahoo.co.jp/rmppp474/GUEST/30200284.html ここでの“相手にあわせた”バカなやりとりから生まれたもです。 わざわざリンクに飛ぶのはめんどくさいでしょうから、簡単に言うとダチョウの卵を勤鳥の卵と間違えたことから始まり、幼いころに耳にした「たんたんタヌキの勤タマは風もないのにぶ〜らぶら」の歌の続きについて何気なく聞いてみました。漠然と続きがありそうな気もしたが本当に続きがあるとは思いませんでした。たにとも地方ではぶ〜らぶらまでしか歌っているのを聞いたことがなかったからです。なのに返ってきた答えは。 そ〜れを見ていた親だぬき勤タマ抱えて屁をこいた〜♪実はこんな下品な続きが隠されていたとは驚きでした。ただ聞いたことがないので、その場で勝手に続きを作ったオリジナル曲なのかもしれないと「たんたんたぬき」で検索をかけてみました。すると、地域によってさまざまな続きが存在することが分かりました。それを見ていた 親だぬき おなかをかかえて わっはっは そ〜れをみていた 子ダヌキは 「とうちゃんいいもん もってるね」 そ〜れをみていた ブルドッグ いきなり○○○に かみついた そ〜れをみていた 子ダヌキは 「僕も欲しい」と 泣き出した それを見ていた 親狸 縮めて伸ばして ふうせんき とうちゃん いいもの 持ってるね おまえもあるから 出してみろ とうちゃん ぼくのは 毛がないよ おまえも もうじき はえるだろ そ〜れをみていた 子ダヌキも 親のまねして ぶ〜らぶら その他に福岡の女中さん(東京時代かもしれません)の周りでは そーれを見ていた子狸がとーちゃんといっしょにぶーらぶら♪ 嫁(福島県白河)に聞いてみたら そーれを見ていた子供らが自分で腰振ってぶ〜らぶら だそうです。ちなみに屁をこいた下品なバージョンは横浜市保土ヶ谷区のものです。どうやら続きがないのは自分の周りだけのようです。チビ弟子に聞いてみたらやはり続きがありませんでした。 広くいろいろなところでいろいろな歌詞で歌われていることはわかりましたが、そもそもタヌキの勤タマを見たことのある人はどれくらいいるのでしょうか? http://blogs.yahoo.co.jp/tani_tomo1125/56721636.html 自分はタヌキ自体はちょこちょこ見かけることはありますが、だいたい警戒心が強くじっくりと観察することはできないし、それに尻尾が邪魔で見ることができません。 ホークス小にも続きは自分が知らないだけであるのではなかろうかと思い調査することにしました。調査方法は朝の登校時の見守り隊の時に聞いて見ることにしました。ただ自分がやると何か問題になりそうなのでエロ弟子くんに助けをかりました。 エロ弟子くんと一緒に立ち、エロ弟子くんに児童がやってくると歌ってもらいました「たんたんタヌキの勤タマは風もないのにぶ〜らぶら」。聞かせてからこの続きを知っているか聞いてみました。エロ弟子くんは20回くらい歌ってくれました。男の子に聞けというのになぜか彼は女の子ばかりを呼びとめて歌います。返ってくる答えは「初めて聞いた」がほとんどで「聞いたことあるけど続きは知らない。」「・・・・」の3パターンでした。やはりこの地域では続きはないようです。 昼間に電話がかかってきました。年賀状を書こうと思ったけど住所がわからなくなったと。大学時代に通っていた銭湯の番台のお姉さんでした。もうおばちゃんになってますが。ついでなので聞いてみたら、たくさんのバージョンを知っていました。親子で銭湯に来て歌っているのをたくさん見てきたそうです。自分が続きがあると漠然と感じていたのもひょっとしたら銭湯で親子の歌うのを聞いていたからかもしれません。 ひょっとしたらタヌキはちょっとポチャリしたお父さんの比喩的存在で、父と子のほのぼのとした情景を歌うことからこの歌が始まったのかもしれません。今でこそ太めはメタボという言葉で否定的な扱いで切り捨てられやすいですが、昔は少し親しみをこめてタヌキのおじちゃんと言っていたような気もしないでもない。 親子のきずなが薄れた現代、この歌もじょじょに歌われることがなくなってきているのかもしれません。 昼に散歩に出たら夜勤帰りの1つ年上のユタカくんに遭遇。彼が小学校のころまでは時々遊んでいました。で、聞いてみると続きはあるよと言って「それを見ていた〜」と教えてくれました。彼もずっとK市のM町に住み続けているからどうやらホークス小界隈にも続きがあったようです。これはどういうことだと金物屋のおじさん(12年上)、電気修理屋(4つ年上)にも聞いてみたら同じように歌います。どこで覚えたのかを聞くと2人ともたぶん年上の人や友だちが歌っているのを聞いて覚えたとのことでした。小中学校でバッテリーを組んだ板金屋(2つ年下)に聞いてみたら続きは聞いたことがないと言います。 自分の同級生にも聞きたかったのですが自営業でもないので時間的に聞けず、同い年のキミちゃん(小学校の時から高校の時までたにともに恋をし続けふられ続けた)に家庭訪問して聞いてみました。結果は続きは知らないでした。あったような気もするが歌ったことも聞き覚えもない。みんなぶ〜らぶらまでで終わっていたと思う。とのことでした。 そしてキミちゃんから重要な証言がありました。 「あれはタニキをからかう用の歌だったんじゃない?」 いろんな思い出話をずらずら3時間語りつくしているうちに見えてきたことは・・・・ 自分は小学校低学年の時に演じたカチカチ山における名演技でタヌキと呼ばれることがたまにあった。あだ名はいろいろありジロー、たにやん、がメインだったが小4くらいからはガキ大将的地位にのぼりつめていたためアニキと呼ぶ子分ができ、そこからタニキが派生するように生まれたが、敵対する勢力(主に女子)や自分の支配に苦しめられていた子分が陰でタヌキと呼ぶことがあった。そして小学校のグラウンドを独占するかのように野球をする自分たちに対して、はじに追いやられた女子が打席に入っている自分に向かってよく歌っていたと。言われてみてからバッティングポーズをとるとなんとなく勤タマメロディが聞こえてくるような気がします。ヤジるためだから後半の歌詞は必要がなく省略されたのではないかと。小4のころからほぼ校庭を支配し続けていた。その歌ヤジはなくなることなく少なくとも3年間はホークス小の校庭にしょっちゅう響き渡っていたから、それを聞いた後の世代にも前半部分だけが継承されていったのではないかと。 夜、小中とキャッチボール相手だったらゴリラくんに話したら「ああ、そうだね。たにやんをヤジるための歌だった。でも応援ソングくらいにしかとらえてなくてそれを聞いて怒ったこととかなかった。たんたんたぬきの打つ球は風がなくてもホームランに変えて歌ったりしていた。」との証言が得られました。板金屋にそれを改めて聞いてみたら確かにそれは聞きおぼえがあるとのことでした。自分用にアレンジしたホームランの歌がみんなあったとも。 最後に歌っていた中心人物に直撃してみた。ハナさんの時にちらっと登場した女医がそうだろうということで聞いてみた。「ああ歌ってたような気がする。やめなかったのはなんでかわからない。ただあの頃は『幸せならおしりたたこ』といっていつも叩かれていた、それを怒ると『みっち〜みちみち○ん○たれて〜』と歌ってくるので反撃してたんじゃない?」とのことでした。そんなことしていたようなしていないような。 今朝の見守り隊で昨日声をかけた子が家で聞いた結果を教えてくれました。親子代々ホークス小という家庭ではやはりきっちりとたにとも世代で続きのあるなしが分かれていました。知らない親というのはありませんでした。この歌は基本的に親子で伝承されるのではなく先輩後輩で伝承されるもののようです。最近はタテのつながりが少なくなって来たのでしょうか。 ちなみに我が家のエロ弟子くんは教えた覚えがないのになんで知っているのか聞いてみたら、「小さい時にともちゃんとお風呂に入っているときに教えてもらった」とのことでした。。。。。続きは知らないとのことでしたが。たぶん5歳より前の時の話。ともえお姉さんは何を教えとるのじゃ。
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野球に関する履歴書
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あっちゃこっちゃいろんなところをうろつくといろんな人に出会うが、思わぬところで思わぬ人に出会ったりすることもある。 アリゾナで小中学校が同じだった友達のキミくんに出会った。 彼はハンサムで体も大きく運動神経抜群だった。 ◆キミくんとの関係◆ ・小3〜6まで同じクラス。名簿順は彼の次が自分。小4から運動会で男子は全員が名簿順に1周走るレースがあったが彼が他の2クラスを抜き去るか、ぶっちぎるかで自分の見せ場は3年間なし。 ・始業前、2回の20分放課のドッジボールは強い者同士だから常に敵チーム。勝負は互角。 ・月曜〜金曜はクラスのメンバーで毎日授業後は野球の試合。強い者同士だから常に敵チーム。クラス対抗試合になるとバッテリー。彼は外野を4人で守ったりシフトを敷いても常に思いっきり引張る。自分はサードが極端に下がればセフティーバントもした。やや試合の勝敗は自分が上だったのでは。クラス対抗試合はゴリラの1組にもお寺4人衆の3組にもずっと負けなかった。 ・野球の試合で負けた方の代表がクラスの女子(ミッチー)のスカートをめくることになった。キミくんにめくられたミッチーはしゃがみこみはずかしそうに廊下を走っていった。翌日、自分が負けてめくることになった時、情報を先に入手していたミッチーのスカートの中はブルマだった。そして女子が5,6人束になって大声で自分を追いかけてきた。男子トイレの個室に逃げ込んだが上からバケツの水を浴びた。必死の思いで窓から外に逃げ出したがその時に花壇のチューリップーを踏みつぶした。そのことを担任に告げ口されて強烈なビンタを食らった。3発目をよけた。空振りした担任は肩を脱臼してそのまま病院に行った。その日の午後は先生不在の自習だった。女子は勝手に男子の人気投票を始めた。20対0でキミくんの完勝。 ・市の陸上大会で自分が総合優勝をした。彼は3位だった。担任が「キミノリも幅跳びのファウルが無ければ優勝できたかもしれない」の一言で女子の間ではK市のキングはキミくんにすりかわった。 ・自分たちが二宮金次郎を金色に塗った時は警察がきて、ワイドショーがきてボコボコにいろんな人に殴られた後でお寺にいれられたが、キミくんが小便小僧のチンチンにイタズラをした時は「あれは○○たちにそそのかされたのじゃないか?」で終わった。 ・自分は何の脈絡もなく「医者の子のミッチーと結婚するには医者にならないとだめだけどキミくんの頭じゃ駄目だろうな」と突然彼に言ってみたりした。 ・彼がバク転をするのを見て夜中に布団をひいて必死でバク宙の練習をした。 ・体格、パワーで勝る彼に対抗するためにお寺の柔道の稽古では返し技と関節技の練習に励んだ。 ・彼の誕生日会に呼ばれたがプレゼントとして家の前の畑の土を『甲子園の土』と言って渡した。彼は感激していた。「なんか根っこがあるな〜?」「そりゃあ芝生の根っこ」 (小4の4月20日。彼の誕生日は4月15日だったが。) ・水泳のタイム測定で負けそうになったのでわざとコースをはずれて彼にぶつかった。 ・写生で彼がトイレに行っている間に牛の絵の上に茶色をこぼした。 ・彼の上履きの中に弱って死にかけた蝉を入れた。そして「さっき女子がこのあたりでたむろしていた。あやしいなぁ。」と話した。 ・彼に渡してと頼まれたバレンタインチョコを自分で食べた。 ・彼に渡してと頼まれたラブレターを書き換えて渡した。 ・勝手に彼の名前で手紙を書き、他のクラスの失礼ながら不人気な女子に配りまくった。この頃から手紙をたくさん書くようになった。 ・卒業文集で彼は一番の親友に自分の名前を、将来の夢をプロ野球選手(たにやんと同じチームの)と書いた。 中学では同じクラスになることはなかった。 ・自分も彼も1年の4月から野球部のレギュラーになった。 ・丸刈りになった彼の女の子人気は下火となっていき、不良ぽい方が持てる時代の到来とともに中2で形勢逆転。 ・自分宛のラブレターを彼が届けることが何回かあった。たぶん書き換えはない。 ・PL学園のセレクションを自分は結果が出る前に辞退(関西のノリが不愉快だから嫌だを表向きの理由にしたが全国準優勝の自信がシニアで硬式慣れした連中の前で揺らいだのが本音。不合格にされるのはプライドが許さなかった)、彼は特待生合格した。ただ彼も結局は地元の私立に野球で進学した。自分たちが加わらなかったために前年に春夏連覇したPLも自分たちの世代は甲子園出場もかなわなかった。 ・卒業式で彼に頼まれて100メートル競走をした。たぶんお互いの高校での活躍を誓いあったと思う。 高校は別々。自分は弱小公立高校で入学直後から試合に出た。お寺時代から一緒のメンバー4人も試合に出た。常にベスト8以上には食い込んでくる強豪私立に進んだ彼は違った。1年、2年と彼の学校と試合をしたが彼はベンチにも入っていなかった。試合は自分たちが勝った。会話をする機会は一切なかった。3年の春ベンチに彼が入ったという噂がどこからともなく伝わってきた。最後の夏の大会、開会式直後の囲み取材を受けている時にユニフォームではなく制服姿の彼の姿を見た。お互いに手をあげて合図をしたが会話はなし。 20年ぶりに出会い3時間くらい話し込んだ。 キミくんは高校卒業後に野球を辞め専門学校に進学し今は実家のタイル屋を継いでいるらしい。 ほとんど自分が話していたが高校の話はほとんどしなかった。唯一、彼が「高校の一番の思い出は篠田から右中間に二塁打を打ったこと」と話した。『自分は本塁打を打ったことがあるよ』と言おうと思ったがやめた。一緒にまた野球やらないかと声をかけて別れた。 10日くらいして彼から電話が入った。 「シノダ(自分たちが卒業した年のダイエーのドラ1左腕)から打ったという話は嘘。たにちゃんやケイがシノダから打った話を大垣商業との試合前にうちの監督から聞いて知っていたから見栄を張った。小学校の頃はホント信じられないくらい楽しかったな。自由にひたすら野球を楽しんで。よく陰でイタズラされたけど。下駄箱にいろんな虫が入ってたり知らない女の子からいきなりわけのわからん話をされたり。全部犯人わかってたけど。じゃあかんばれよ。予選の決勝の時も嫉妬しつつひそかに応援しとったよ。本物の甲子園の土を持って帰ってもらおうと。」 大変素直でやさしい性格のキミくんはイタズラの犯人が自分だとは気が付いていないものとばかり思っていたがどうやらすべてわかっていたようだ。もう少しそのことが早くわかっていれば自分のイタズラ好きの性格も変わっていたかもしれない。自分が変わればその遺伝子を引き継ぐ者の性格も。 アインシュタインはゆうこさんの携帯で「今すぐ吉祥寺に来て」とメールした本当の人物を知っているのだろうか? アインシュタインはアクエリアスを飲んで塩水に差し替えた人物を知っているのだろうか? アインシュタインは弁当を食べて箱の中に手のひらサイズの巨大蜘蛛を入れた人物を知っているのだろうか? アインシュタインはバイクのヘルメットの中にヒキガエルを入れた人物を知っているのだろうか? アインシュタインは1万円で買い取ったいびつな形の湯呑の作者「瀬戸のとある巨匠」の正体を知っているのだろうか? フリー素材です。金の成る木と梅。ご自由にお使いください。 |
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かなり久々の「野球に関する履歴書」 パソコンの前に久しぶりに座ったけど特に記事にすることも思い浮かばないけど、コメントの返事で 簡単に終わらせるのもなんなので記事にしてみた。 小4あたりで更新がとまっていたけど飛んで大学1年夏。 六大学と東都の新人が雑誌の企画で対談をしました。 明治からは自分とT選手。早稲田からはN選手とO選手。青学からはKKコンビ。この中で自分だけ 1年間入学と同時に休学しているので年が上。 春のリーグ戦では青学の片方のKはベンチ入り、早稲田のOは優勝投手。あと自分が試合に出ていた。 早稲田のN選手の強気な発言は鮮烈に印象に残っています。 ☆「ベンチ入りできなくてよかった。完全な準備、練習をできていないのにレギュラーになれるよう なチームでは自分を成長させることができないから」 ☆「何を考えているのかわからない。プレーにしてもそう」 (上宮の元木がダイエー入団を拒否してハワイに行ったことにたいして) ☆「兄がいくらすごい選手でもまったく意味がない。実際に甲子園にも出れていないし」 (青学の片方のKについて。こちらのKのお兄さんはお兄さんが当時西武の主砲で高校野球の歴史に おいても史上最強のスラッガーだった。) ☆「野球をよくわかっていない選手、金属バットと木製の違いをわかっていない選手が多い」 (大学野球のレベルについての発言) ☆「選手層の問題もあるのかもしれないが、中途半端になる可能性もありますね」 (これは自分が投手で登板し、登板しないときは野手で出場していたことに対して。両刀で話題にな っていたのにベンチ入りもしていないやつに批判されてびっくり) この対談の目玉は早稲田のO投手だったから虫の居所が悪かったのだろうか、記事に絶対に使えない ような発言をポンポンN選手はしてました。自分もかなり大口タイプでしたがカルチャーショックで した。帰りの電車で一緒だったから「どこからその自信は来るの?」と。 彼は高1から高3まで連続で甲子園に出場している。高1では青学のKのお兄さんに負けて準優勝、 高3時は主将だったが初戦敗退している。名匠と呼ばれる監督のもとで徹底的に鍛えられてきた自負 があるから言えるのだと言ってました。確かに彼の師事した監督は甲子園の采配ではマジックと称さ れたり有名だが、チームの主将に対しての要求が大きいことでも有名。主将交代がしょっちゅうある。 プレーだけでなくものすごく多くのものを求められる。厳しく言われ続けて誰にも負けないものを学 び努力してきたという自信があるから人に対してはっきりと言える・・・・ 自分もお寺で和尚に野球を教わってきて、信じられないくらい厳しい環境でやってきたことがいろいろ な場面でさせにはなってきた。だからって余計なことを言わんでもとは思ったけど、共感も覚えた。 ただの生意気ではなく自分のたどった道にこいつも誇りを持っているんだろうなと。 早稲田のO選手は野球部内の悪しき伝統のイジメが原因ですぐに退学ししばらくしてホークスに入った。 野手に転向したがもうすでに引退。明治のTはドラゴンズ→ホークスと打てない内野手として渡り歩き すでに引退。青学の片方のKはわからない。副将をやっていたがプロにはいかず。青学もう一人のKは 2年次から全日本入りし五輪も経験し、青学革命を起こし自主練重視の現在の野球部のスタイルをつく りホークス→ジャイアンツ→ホークスと渡り歩きタイトルも取ったが最近は怪我が多い。昔から筋トレ 好きだったがあれで体が硬くなって柔軟性を欠いてきているのではないだろうか?早稲田のNは日本 生命→ジャイアンツ→ベイスターズと流れている。大学4年時は主将で選手主導の練習、そして試合の 采配も選手がというスタイルを作った。早稲田の監督も高校時代の監督と比べられてしまったのだろう か?巨人原監督と比べたら確かに高校時代の監督のほうがなんとなく説得力がありそうだが。彼はつい でに早稲田伝統の甲子園のスターイジメが根絶された。というか自分に向けられていたであろう悪意を ぶっ飛ばしたのだろうか。 何気にNは元木ともKの兄貴ともタイトルホルダーのKとも同じチームでプレーした経験があるのだが 仲良くやっていたのだろうか?打撃がちょっといつも気になるけどとりあえず今年もがんばってもらっ て・・・嫁さんも、堀くん仁志くんと相変わらずなことだし。 眠くてへんな文になってしまった。
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地元の大学の野球部と正式契約をしました! |

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