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運命(職業について)

私は子供時代からずっと将来は歌手になり年配になったら作曲家になって社会の為に良い歌を作り、歌を歌い始める前に15分ほどは親を大切にする話をしてから歌う事を考えていました。
高校を卒業して東京に行き有名な作曲家・江口夜詩さんの所へ行く事を父に話した所・・・
父はお前をそんな流行歌手にする為に苦労して育てたのではない。もっと多くの人の為になる仕事をせよ。人間は多くの人の世話になって成長しているから、大人になったら多くの人達の為になる仕事をして、会社を作り多くの人を使ってその人たちの生活を守って、会社で作った品が買った人達の為になり喜ばれる商品を作る人間になる為に育てたと言われました。昔は芸人は下級に見られていました。
歌手がダメなら自動車販売をやると言ったら、父は自動車はだめだ、お前には向かないと反対。じゃあ何をしたらいいのか?
私は駅の近くに30㎡ほどの家を借り、洋品店を始めました。人口15,000人ほどの町に8店の販売店がありました。私の出店したマルミ洋品店は3年目には関ヶ原で一番多く売れる店になりました。
店の売り上げも多く人気が出てきたのでその店は長兄に任せて大垣に新しい店の出店を計画したら、長兄が大垣は自分がやるからお前は関ヶ原に残れと言いだし、父は父で長男は関ヶ原でお前が大垣に出ていけと言うし・・・・
その時点で私は大垣もやめて大阪に出る事にしました。昭和35年1月7日、関ヶ原発7時の汽車で大阪に発ちました。父は20kg程の漬物を持って行けと汽車に乗せてくれました。大阪都島に6畳二間の部屋を25万で買って、就職先を5社回りましたが入社不可。ミシン工場に月5,000円の謝礼を払い見習いに。5月に古い自転車を500円で買って大阪で商売を一人で始めました。自転車で本町まで行き生地を買ってベビー服を作る事の大変さ・・・・
仕事を引き受けてくれるミシン加工の工場を1ヶ月間自転車で探し回り、3ヶ所の小さな工場と社員も一人使い始めました。

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谷口祐司
谷口祐司
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