日記

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霊界の父との対面

父は仏教を信じ、生きている間にお寺に3,000万以上の上納金を払い、毎月お坊さんを自宅に呼んで法要をし、朝晩30分以上もお経をあげる人でした。
父の葬儀にはお坊さんを12人も呼んで町一番の立派な葬儀をした。
この父が今どこにいるのか、あの世から私達の事をどう思っているのか、昭和57年11月20日に東京で北条喜久子さんにお願いして、父の戒名「しんこういんしゃくていりょう様おいで下さいまし」と10分ほど呼んでも出てきません。
北条さんが生きていた時の名前はと聞かれ、次に「谷口彦太郎」で呼んでもらったら、1分ほどで来てくれました。
父が最初に言った言葉は、「お前は隆か。お前には苦労をかけたな。お前は情が深かったので、お前ばかりを叱り飛ばして申し訳なかった。長兄だけを大事にして悪かったな・・・。」でした。
私「今どこにいるの?」
父「わしはまだガンの痛みが取れず、幽界地獄にいて一人孤独で淋しい所に居て、食べ物はなく毎日       砂を食べ ている。」
父「お前が気にかけて父を呼んでくれてうれしい。他の兄弟達は勝手なことばかりやっている。お前が母     さんを大事にしてやって欲しい。妻には苦労をかけ可愛がってやれなかったから、お前が2人で食事    でもして母さんを  大事にしてくれ。お前は一番情が深いから母さんを頼むぞ。
   おれはまだ反省期間が残っているから、それが終われば天上界に帰る事ができる。
   他の兄弟達もお前に頼むから、うまくまとめてくれ。」
その他10分ほど色々話して、あまり長くなると情が移って帰れなくなるからと帰って行きました。
この父との対面で世界に数ある宗教が死後の世界に)帰る人達にはあまり役に立たず、宗教にいくらお金を上納しても効果のない事を知りました。
また2回目の対面の時、兄が村一番の立派な墓を作ったけどお墓に)行きますか?と聞いたところ、「あれは長兄のエゴの塊や。夏は暑いし冬は冷たい、供物も1時間もすればまずくなる。あんな所へは行かん。お前のように死んだ父でも毎日思ってくれる事が一番うれしいのじゃ。」との返事。
父との対面以来、毎月1回北条さんの霊界研究会に参加していた時、同席者の方から高橋信次先生の事を聞きました。
その足で浅草のGLA本部に高橋先生を訪ねて行ったら、先生は1ヶ月前に天国に帰られたと聞きがっかり。
高橋先生が生前講演されたビデオテープや本を何回も読んだり見たりした結果、この教えが完璧で私の魂が納得しました。
それまで私は仏教、キリスト教、天理教、道徳科学、後には幸福の科学など色んな宗教で学びましたが、どの宗教も今の政治家と同じで、金を巻き上げる事ばかりで御礼を言うこともなく、何の見返りもご利益もありません。
高橋信次先生の教えは、大自然に感謝、すべての物や人、出来事にも感謝の毎日を送る事が自分の運命を良くすることである、人間は本来は天上界が自分本社と同じで、今世地上に生まれてきたのは、今までのカルマの修正をするためである、学校のテストと同じで今の人生を感謝して正しく生きれば天国に帰れる、会社で言う出張と同じで成績、成果を上げれば本社に帰って昇格されるが、成績が悪ければクビになる。死後の世界は良くない所に帰る事になるというものです。

宗教と霊界

私がまだ3〜4歳の頃、戦争前だったので、年に2回村の寺で法鬼講といって3日間ずつ有名なお坊さんが来て1日に1時間づつ3回講和があり、父と母は私を連れて必ず聞きに行きました。
1回話が終わると大きなお盆が回ってきて、その中にお金を入れるのです。
休みが10分あって、その時に出るおやつが楽しみで我慢して行っていました。
その時私は不思議に思ったのは、仏様はこのお金を何に使うのか知りたくて、お寺が閉まっている日にお寺に忍び込んで仏像近くに行き下から見ると、木で作ってあり生き物には見えない・・・・・・・なんだ人形の大きいだけか?とがっかりしました。
後で分かったのは、そのお金はお寺のお坊さん達が欲しがるのだということ。
神社に行くとまず先にお金を入れて礼をして参拝するのにも疑問を持ちました。
神様もお金を欲しがるのはなぜか、神様はどんな人だろうと思って、大小数ヶ所の神社に忍び込んで一番奥の中心を見ると、神社はどこも丸い鏡しかなくてお寺のような人形はなかった。
こんな鏡をなぜ人間はお金を払って参拝するのか不思議に思いました。
この頃に父親から霊界の話を聞いたことがあります。
人間は死んだら地獄や極楽に行くことになるから、悪いことをしたらあかん・・・・。
トンネルを多く掘ったり、電線を多く引く頃には地球が作り替えられるなど色々と聞かされました。
これが私が霊界に興味を持つようになったきっかけになったと思います。
母からは愛の実践を実行して私達子供に教えて下さいました。
今思えば、おしんの何倍も苦労しながら10人の子供を育てて下さったその姿はマリア様と同じくらい愛を実践して私達子供に教えて下さっていました。
言葉で言わず見せて教える、素晴らしい母でした。
私が3歳の時に5歳の兄が死亡、2ヶ月後に2歳の弟が死亡しました。
父親が死体の箱を首から胸に白い布を掛けて墓場に行列で行ったのは覚えています。
この二人の納骨の為に、4歳の時京都に行ったことも覚えています。
私が30歳の時、父親が胃ガンで死亡、62歳でした。
この時は私は大阪に出て5年、お金に余裕が出来たので、人が良いという事は何でもしましたがダメでした。
父の死を見て、人間の生命は医者や薬品によって長くすることは出来ないと知りました。
父は仏教信者で朝15分、夜30分かけて家族中、大声でお経を読まなければ一日が終わらない、又その読経に同席しなければものすごい剣幕で叱られました。
毎月お坊さんを呼んで先祖の供養をし、お寺で行事があればいつも手伝いに行き、何百万も献上していました。
だから私がそのお寺に行った時、お菓子やごちそうをもらったのを覚えています。
その父が死んで20年近く孤独地獄に入っていました。
父の死後10年ほどして霊界に関心を持っていたので、父の霊と話してみたいと思っていたら、東京に元女優だった北条きくこさんが霊能力が強く立派な方だと聞き、早速会いに行きました。
父の死後20年後に霊界の知h氏と対面、人間死んで終わりではなく、死後も魂は残り、霊界での生活があることを実感しました。
この父との対面については次回詳しく書きます。
厚生省の育児方針が赤ちゃん本位でなく、病院や母親が得する方によっているのを、私は何度も正すように意見をしましたが、多くの業界とのからみがあって正す事が出来ず、赤ちゃんコンクールだけやめたけど後は無理でした。
木下博士も天国に帰られたので、それを機に私は財団を退職して、私独自の育児文化研究所を昭和50年に設立して、東京表参道に10坪の3階建てビルを建築、1階をベビーショップ、2階を100人収容の教室、3階がベビールームと私のオフィスで、この教室で1ヶ月に10日間、午前午後計20教室をスタートしました。
場所が良いのと私がテレビ、ラジオ、週刊誌などマスコミで名前が広まったため、集客は多く、毎回定員100人の数倍の申し込みがあり大盛況でした。
同じ教室を大阪本社の5階に、同じく100人収容の教室をスタートしました。
名古屋は栄の中心に150人収容のビルを借り、5日間10教室を始めました。
九州は空港の近くに5階建て150坪のビルを建て、1階を事務所とショップ、2階を教室にして3日間6教室でスタート、仙台はパレス平安と県民会館を借り、2日間4教室でスタートしました。
毎月どの教室も満員が続きました。
財団を退職した時に、長年勤務していたベテランの保健婦さんが、谷口先生の方が育児方針がスケールが大きく赤ちゃんの未来を考えると谷口先生の育児法を指導していきたいので、ぜひ一緒に仕事させて下さいとの申し込みがありましたので、これを機に育児相談室を作り、大阪の本社に6名のスタッフで毎日数百件の電話や手紙での相談を受けられるようになりました。
なかでも難問は私が受けていました。
この相談室が出来て、お母さん達の悩み、心配事がその場ですぐに電話1本で解決できるので、病院へ行かなくても安心だと好評でした。
この相談室は4年前に閉鎖しましたが、今は私に直接相談してきます。
当時赤ちゃんだった子供達が高校生や大学生になり、進学や就職、結婚問題など色々な悩み相談も子供達本人から受けることが多くなってきました。
毎日10件近くは相談があります。
引退してから5年も過ぎた今でも私を頼りにしてくれる人がまだ居られることに、私も少しでも皆様の幸せの糸口を見いだせるお手伝いが出来る喜びを感じ、幸せに思っています。
人生巾広く生きてきた事が、皆様の心のゴミを受け入れられる事が幸せだと思います。
私が育児講演を始めたのは、結婚して4年目32歳でした。
今の皇太子殿下の幼少時、セーラー服で大ヒット商品を作り、だっこちゃんブームに鉄腕アトムのワンポイント、3点セット、ジャージのズボンなど次々と大ヒット商品を世に出し、会社名もキングベビーとしベビー業界では一目置かれる会社になり、ベビーネンネもデパート、スーパーでも飛ぶように売れ出しました。
私は歌手になったら、歌う前に30分ほど親孝行の話をするつもりでした。
ベビー業界で若造の私がこんなに成長させてもらったので、何か恩返しをしなければ、いくら税金を多く出しても政府は赤ちゃんの為にならない指導や母乳反対、予防接種、定期健診、添い寝だめ、抱き癖つけるなと赤ちゃんの心が悪くなる育児法が主流になっているのだ、何とか変えたい、その為にの育児指導をお母さん達にすることを考えました。
最初デパートでの講演会をした時、会場には3名でした。
テーマはしつけ・才能開発でしたが、私には何の資格もバックもありません。
思い悩んでいた時、木下正一博士の財団法人母子衛生の参与として入会してほしいとの話がきて、すぐに入団。
赤字1,500万円を母子手帳の副読本・赤ちゃんですぐに立て直し、厚生省をバックに私と木下先生で育児講演を日本各地で年150回行いました。150回のうち木下先生は3回で、ほとんど私がやりました。
厚生省をバックにしてからは平均500人以上の妊婦の受講生で好評になり、2年目からは先方からの依頼が多くなりました。
私は木下先生から、おっぱいは愛の泉だと教えられました。
愛の心を育てる面では一致していたので、私ものびのびと講演ができるようになりました。
テレビやラジオの番組の中に私の育児法が取り入れられるようになり、東京・日本テレビでは、私と中村メイコのお母さん1年生が1年間、文化放送で5年間育児なんでも百科など次々とテレビ出演も多くなり、体が3つくらい欲しくなりました。
東京の助産婦会からも依頼があって、自宅出産の必要性と利点について力説しました。
日本全国の高校の家庭科の先生を県単位で36県、夏休みに2泊3日の研修の講師に私が選ばれて、3年間で各県を回り、心の育児法、母乳の大切さや赤ちゃんの育て方の実践指導をしました。
国立市立の大病院の看護婦の指導も100ヶ所以上しました。
高校の生徒たちにも講堂で全校生徒に直接2時間の特別講演を、青森水産高校、北白川女子など10校ほど行いました。
広島女子大で最初始めた時には150人位いました。話し始めて20分程したら次々と教室を出ていく生徒が出始め、30分後には半分になって、今まで私の話で途中で帰る人はほとんどいなかったのに・・・?と思っていたら、1時間後には400〜500人に増えていました。
学長が以前湯川博士が講演された時は最初1,000人で満員だったのが、1時間もしたら半分以下になり最後には50人ほどだったと言われました。
博士の話は難しすぎて・・・・・・・。
私の話は中卒でも高卒でも、大卒ならもっと理解できる、自分をよく見せるのではなく、相手が理解できるように言葉を美化しないように心掛けています。

以前私の講演や本を読んだりテレビを見ていた人、主人がラジオの私の放送をよく聞いていた人達から、最近電話や手紙をいただいています。
当時は一般の指導内容と反対の事が多かったので、自宅出産や裸育児なんか家族の反対も多かったけど、無理して半分くらい実行しただけで、いま大学生、社会人と成長して、他の子供とは比較にならないほど立派になり、病気もせず、大家を大切にしてくれて、周りから貴女の子供さんはどんな育て方をしたのかとよく聞かれますといった内容です。






テレビコマーシャル

私は会社が小さいわりには高額な広告を早くからしてきました。
テレビ、新聞、ラジオ、雑誌、折り込みチラシなど色々やってきました。
テレビコマーシャルは制作にどのタレントを使うか、タレントにランクがあります。
タレントに1年15,000万〜1億円、フィルムの製作費20,000万〜1億、放送する時間帯も早朝と深夜は安く、夕方6時〜10時と土、日は特別にAタイムで高くなります。 このAタイムの場合は15秒1局1回が500万、30秒だと10,000万、タレントが毎回やる生コマーシャルは1回90秒で30,000万、1ヶ月に5回やれば1億5千万、1年続ければ18億もかかります。
最近のテレビコマーシャルで1日に何回も流し、各局にも放送している会社の場合、年間のコマーシャル代は何千億になります。
ラジオの場合はテレビの半分以下になります。
新聞は朝日、読売の場合、全一段5cm×40cmで50万、全半段で250万、全一面は500万で、2社で1回1千万です。
雑誌の場合、1面100〜150万でした。
ベビーネンネの宣伝費は20年間で100億以上使ったことになります。
今は民放の場合1時間に20分、10社以上のコマーシャルを流していますが、昭和40〜60年くらいは、1時間に5〜6回に制限されていましたが、今はどの局も無制限にコマーシャルを入れているから、ドラマを見ていてもストーリーが分からなくなるくらいズタズタに何社もの宣伝を入れるので、しかも同じコマーシャルを何回もやるのはちょっとどうか?と思います。
私がテレビに出ていた昭和42〜45年は、テレビで物を売る事は出来なかった時代です。
私がフジテレビのイレブン4という番組で15分間時間をもらって育児の話をしたなかで、少しだけベビーネンネの話をいれたところ、フジテレビに電話が殺到して物凄く売れましたが、後でこの事が国会で問題になりました。
まだ法律がなかったので、処罰はありませんでしたがテレビで商品を売ったのは私が初めてかもしれません。
当時テレビでは一番とか最高など多くの言葉がコマーシャルでの使用を禁止されていました。
普通の放送でも、ビートたけしやお笑いタレント達は何を言ってもOKなのに、局アナや真面目な番組の場合、ちょっと思った通りのことを言うとすぐに問題にされてその番組から降ろされることになる。
国会議員も同じで、国民に対して何が何だかわからないような発言はOK、私達が聞いてなるほどその通りだ、よく言ったというような発言をした場合はすぐに問題にされる・・・・・?
テレビ局等ががよくやっている世論調査?・・・あれは政府のバックがあるとしか思えない事が多いのはなぜ?
日本に本当の言論の自由は?
昭和30年代はスポーツやタレントはあまり良い職業ではなく、収入も少なかったと思います。
昭和40年以後高度経済成長により企業が大きくなり、国民もまだあまり物を持っていないし、企業は新しい物を大量に作り、多くの国民に知らせる為に、宣伝が必要になります。
なかでも見せる動く宣伝コマーシャルは大きな効果がありました。
私もそれを利用して成長してきました。
しかしお金を稼いで税金を多く払って、贅沢をしてもそれほど幸せとは思えません。
何か人の為に喜ばれるようなことをしたいと思っていました。
私は有名歌手になったら、コンサートオープン前に20〜30分間親孝行の話をしてから歌う事を計画していました。
これは実現できず、当社の商品を買ってもらった母親と赤ちゃんの為になる育児講演をすることを思いつき、何の資格もないのになんとか実行したいと思い、当時小児科産科の有名な木下正一博士の門下に入りました。

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谷口祐司
谷口祐司
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