強力伝に続く「凍傷」新田次郎著「強力伝」には「凍傷」「春富士遭難」「殉職」「新雪なだれ」の短編が
載せられている。
「凍傷」は富士山気象観測所設置に命をかけた佐藤順一(59歳)
とそれを支えた強力の物語である。
富士山頂の気象観測の歴史は概略は以下の通りです。
明治13年(1880年)から野中到らにより、ときおり富士山での気象観測が行われていた。
昭和7年(1932年)7月1日 中央気象台臨時富士山頂観測所が開設。 昭和11年(1936年) 常設の測候所富士山頂気象観測所として剣ヶ峯に移設。 昭和39年(1964年)9月10日 富士山レーダーを設置。 昭和40年(1965年)3月1日 レーダーの正式に運用開始。 昭和41年(1966年)9月25日 台風26号がすぐ西を通過し、最大瞬間風速の日本記録の91.0m/sを観測。 平成11年(1999年)11月1日 レーダー観測廃止。 平成16年(2004年)10月1日 無人化。(悪天候のため9月30日より延期。) 平成20年(2008年)10月1日に富士山特別地域気象観測所と名称を変更。 明治13年の野中到は私財を投じて夫婦で観測に取り組んだが、
脚気や病により挫折し、その後を受け継いだ佐藤は山階宮の
後ろ盾を得て、筑波山から富士山頂へ観測所設置の間際になって、
山階宮の急逝により、頓挫する。
それが復活するまで紆余曲折し、昭和5年の正月、
冬山の観測が人命にかかわりなくできることを証明するために
1月7日から1ヶ月間の観測に取り組んだ。
その苦闘の記録が描かれている。
頼りにしていたベテラン強力の発熱によるリタイア、
若い強力と二人だけの登頂は風と吹雪で難航し、山頂の小屋の
観測に入るが、ひと月分の備蓄の食糧が大方盗まれていたり、
今なら遭難としか考えられなかったアクシデントをひた隠ししながら、
1ヶ月の観測を終え,下山するが吹雪に見舞われ、予定時間をはるかに過ぎても下りてこない。
英雄を迎えるようなマスコミ取材陣もあきらめて帰る。
そんな中、発熱のリタイア強力の感は必ず下りてくるという信念で、
独り捜索に登って、声を便りに探し出し、
無事下山させることができた。
足指の凍傷の事もひた隠しし、マスコミに遭難、人命無視の
口実を与えないよう苦心したようすが逐一示されている。
その結果予算が通って無事観測所ができ、通年の連続観測が
始められるようになった。
今は気象衛星による観測がとって変わっているが、長年の記録を続けたことで精度の高い気象予報がなされるようになったし、
大きな災害も未然に防ぐことができるようになった。
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