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宮沢賢治のメルマガよりhttp://why.kenji.ne.jp/
山の晨明(しんめい)に関する童話風の構想
の下書きの紹介がありました。
下背に日の出をもつ山に関する童話風の構想
一九二五、八、一一、
つめたいゼラチンの霧もあるし
桃いろに燃える電気菓子もある
またはひまつの緑茶をつけたカステーラや
なめらかでやにっこい緑や橄欖〔オリーブ〕の蛇紋岩
みやまつりがねにんじんの青い花には露がきらめき
ブリューベルの花きらめくきらめく
みやまうゐきやうの香料から
蜜やさまざまのエッセンス(には)
碧い眼の蜂〔すがる〕もふるふ
そこには碧眼の蜂もふるふ
むかし風の金米糖でも
waveliteの牛酪〔バター〕でも
またこめつがは青いザラメでできてゐて
さきにはみんな
干した葡萄がついてゐる
こいつがみんなほんもので
きみたちに上げられるならどんなにいゝか
もっともぼくはさっきから
そのうちいまにあすこの岩の格子から
まるで恐ろしくぎらぎらに熔けて
光焔〔ハロー〕をあげた青い宝珠がでてくるか
それともそいつが巨きな銀のラムプになって
まっ白な雲の野原をころがるか
さうだとすればあるひはいゝかも知れないな
【三七五 山の晨明に関する童話風の構想 下書稿(一)】
(『明滅する春と修羅』より「春と修羅」第二集 1928年初夏構想)
「春と修羅」 第二集 より
山の晨明に関する童話風の構想
宮澤賢治
つめたいゼラチンの霧もあるし
桃いろに燃える電気菓子もある
またはひまつの緑茶をつけたカステーラや
なめらかでやにっこい緑や茶いろの蛇紋岩
むかし風の金米糖でも
wavelliteの牛酪(バター)でも
またこめつがは青いザラメでできてゐて
さきにはみんな
大きな乾葡萄(レジン)がついてゐる
みやまうゐきゃうの香料から
蜜やさまざまのエッセンス
そこには碧眼の蜂も顫える
さうしてどうだ
風が吹くと 風が吹くと
傾斜になったいちめんの釣鐘草(ブリユーベル)の花に
かゞやかに かがやかに
またうつくしく露がきらめき
わたくしもどこかへ行ってしまひさうになる……
蒼く湛えるイーハトーボのこどもたち
みんなでいっしょにこの天上の
飾られた食卓に着かうでないか
たのしく燃えてこの聖餐をとらうでないか
そんならわたくしもたしかに食ってゐるのかといふと
ぼくはさっきからこゝらのつめたく濃い霧のジェリーを
のどをならしてのんだり食ったりしてるのだ
ぼくはじっさい悪魔のやうに
きれいなものなら岩でもなんでもたべるのだ
おまけにいまにあすこの岩の格子から
まるで恐ろしくぎらぎら熔けた
黄金の輪宝(くるま)がのぼってくるか
それともそれが巨きな銀のラムプになって
白い雲の中をころがるか
どっちにしても見ものなのだ
おゝ青く展がるイーハトーボのこどもたち
グリムやアンデルセンを読んでしまったら
じぶんでがまのはむばきを編み
経木の白い帽子を買って
この底なしの蒼い空気の淵に立つ
巨きな菓子の塔を攀ぢやう
この詩を読むと
「注文の多い料理店」の序文を思い起こす。
賢治は
《悪魔のやうに きれいなものなら
岩でもなんでもたべるのだ ・・・》
といっているが私には賢治が仙人に見えてくる。
賢治は自然の中の美しいものすべてが
美味しい食べ物として存在する。
その美味しい食べ物の一つ一つが物語として
あるいは詩として紡がれているように思えます。
自然の中にいろんな感じを見出す楽しみは
賢治がみんなに伝えたいことでもある。
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