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長崎ランタン祭り

2月16日長崎ランタン祭りを見物!
中華街で春節を祝う行事である。
湊メイン会場では大勢の観客であふれ、
赤蛇と青蛇が繰り広げるダイナミックな動きに
酔いしれた。

秋のおくんちの祭りでしか見られなかった蛇踊りを
何十年振りかで見ることが出来た。

明日、義兄の長女の結婚式に招待されたお陰で
この余禄に思いがけず預かり
大変良い思い出になりました。

ホテルニュー長崎にて

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元日のNHK中継で富士山から
長崎のカソリック教会が中継され、
久しぶりに懐かしい映像に接することができました。
特に外海町(そとめちょう)のド・ロ神父記念館の
橋口シスターのオルガンを弾くお姿が懐かしかった。

長崎市内ではシスターの姿は珍しくない。通学中には
いつも電車や通りなどで日常目にする。

マルコ・マリ・ド・ロ神父については長崎新聞で以下のような紹介がされています。

生き方教わった“父親” 外海(そとめ)を温かく包む人類愛

 「神父さまは技術だけでなく、生き方そのものも教えてくれた。この地域の父親のような存在」

 長崎市西出津町(にししずちょう)のド・ロ神父記念館で約二十年にわたり
案内役を務めるシスターの橋口ハセさん(89)は、
外海のために生涯を尽くしたフランス人宣教師、マルコ・マリ・ド・ロ神父への思いをこう語った。

 地元の人から「ド・ロさま」と慕われる神父が初めて外海の地を踏んだのは、
禁教の高札が撤廃されてから六年後の一八七九年。主任司祭として出津に赴任した。

私財を投じ振興

 当時の外海は道路も整備されていない「陸の孤島」で、
山と海に挟まれたわずかな土地での半農半漁の暮らしは貧しかった。
神父は地域の窮状を救うため、私財を投じて産業を興し、
医療、教育、福祉など多方面で外海の振興に尽くした。

 「とがさえなければかんころよろし かすりも絹も着たることなし げのためよろこべ げのためなり」

 橋口シスターが幼いころに母親から聞いたという歌を披露してくれた。

 「この歌は神父さまが作られた歌で、『かんころ(サツマイモの切り干し)のような食べ物を食べ、
粗末な着物を着る暮らしであっても心さえよかったら幸せと喜びなさい』という意味です。
歌いながら楽しく仕事をしていたんです」とシスターは笑顔を見せた。

 日本の社会福祉事業の先駆けともいえる授産施設「救助院」は、
夫に先立たれた女性らに機織りやそうめん製造などの技術を伝え、自立させるための施設だった。
橋口シスターの母親も神父から製粉技術を学んだという。

受け継ぐ進取性

 神父のフロンティア精神を受け継いでいこうと活動する女性がいる。
地域活性化グループ「フェルム・ド・外海」代表の日宇スギノさん(60)=西出津町=。
出津に生まれ育ち、クリスチャンでもある日宇さんにとって、神父の存在は常に身近にあったという。

 日宇さんは「私は母のおなかの中にいるときから、
神父がフランスから取り寄せたオルガンの音色を聴いているんですよ」とほほ笑む。

 日宇さんらはフランス語で「外海の農家・農園」という意味の
「フェルム・ド・外海」を一九八三年に立ち上げ、
田舎体験希望者の受け入れや国際交流などに取り組んでいる。
今年五月には二つの市民団体とともに、
世界遺産ノミネート記念のチャリティーコンサートを出津教会で開いた。

 日宇さんは「信者にはそれぞれ使命がある。私にできることは神父の功績を次の世代に伝え、
世界遺産の意義を多くの人に知ってもらうこと」と語った。

 フランス・ボスロール村に貴族の子として生まれ、二十八歳で来日したド・ロ神父。
以後一度も故郷の土を踏むことなく、約三十五年間、外海の人たちとともに歩み続けた。
亡くなった今もこの地に眠っている。

 神父がフランスから取り寄せたというオルガンは、今も記念館に残されている。
橋口シスターは十三歳で地元の修道院に入り、
神父ゆかりのオルガンを半世紀以上にわたり奏でている。

 きょうもオルガンの優しい音色が訪れた人たちを出迎える。
「外海の太陽」とも称されるド・ロ神父が身をもって示した深い人類愛は、
今も外海を温かく包んでいる。オルガンの音色はそんな気持ちにさせてくれる。


文・蓑川裕之
写真・吉田利一


信仰が深く地域に密着している。
長崎には禁教になって以来、離島や陸の孤島などに
隠れキリシタンの里が多く存在し、県内に175もの教会が今も存在する。

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大学の同窓会誌「瓊林」第110号が送付されてきた。

明治38年(1905年)創立の長崎高商から現在の長崎大学経済学部まで

102年の伝統校である。「瓊林(けいりん)」は長崎港が鶴の港、

瓊の浦(たまのうら)と呼ばれていたことに由来する。

当時大学進学志望は今ほど多くはなかった。

家庭の経済的余裕はなく、地元で現役合格すれば

何とか行かせてもらえるぐらいであった。

たまたま運よく合格できて今日に至るがあまり勉強はしなかった。

思い出は北海道や四国、紀伊半島、京都などの旅行である。

今なら海外旅行を目指したかもしれない。

夏休みの北海道は友人と2人旅、

1ヶ月の均一周遊行券共予算15,000円で済ませた。

当時家庭教師のアルバイトで貯めたものである。

四国、紀伊半島、京都は春休みの一人旅、京都では京大の百万遍の

学生寮に3,4日泊まった。新宮ではキリスト教教会、尾鷲も紹介で教会

へ泊めてもらい、お礼に庭の清掃などやらせてもらった。

旅行先に友人宅があれば平気で訪れ、泊めてもらったりもした。

若いということは何にでも挑戦できるのが特権である。

初代校長の「隈本有尚」さんは漱石の「坊ちゃん」に

出てくる山嵐のモデルになった人物だそうです。

大学は各地から優秀な人間が集まる。

よく飲みに行ったのは大分や福岡、愛媛などの友人である。

金がないと夏休み前に布団一式を質屋へ持っていくと金を貸してくれる。

学生の必需品は流すということはないので貸してくれるのだ。

私は地元でそんな友人達の軍資金で飲みに行った事が懐かしい。

当時は男子中心で紅一点の160人の学部ではバンカラスタイルが

持てはやされたが、今は3割を女性が占めるらしい。

時の流れを感じます。

(瓊林の表紙絵は長崎のオランダ坂を学部1期卒業生の

松岡眞男画伯がえがかれたもの。

瓊林の題字は高商4期生の故小曽根均治郎氏によるものです。)

訃報

遠く故郷を離れていると
訃報への対応が大変である。

今日朝出かける前に妹の義父が86歳で亡くなられたとの訃報があった。
寡黙な人であったがとても優しい人であった。

91歳で亡くなった親父と気が合う人で、近所の公園などの
草刈も黙々とやっておられた。
子供の遊び場を少しでもきれいに、安全にと思って・・・

そんな人の長男と結婚した妹である。
お父さん譲りの人の良さとやさしさが頼りになる。

長崎までは今回は帰らずに弔電を送った。
今日の日を忘れないようにブログに記録しておきたい。

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今朝の毎日新聞朝刊の余禄を読む。
懐かしいわが母校(県立長崎西高校)の名が出ている。
http://www.nagasaki-nishi.ed.jp/modules/intro1/index.php?id=12

耳あかは乾型と湿型にわかれる。
その決定遺伝子はたった一つの遺伝子であると
長崎大グループは今年その問題の遺伝子を突き止め論文発表した。
日本人では乾型が渡来人、湿型が日本古来の縄文人と
考えられるそうです。
それにより母校が全国の高校に呼びかけ、
耳あか型の遺伝子地図作りに乗り出した。

これを通じて遺伝子解析、日本の歴史、などが学べるし、
いろんな興味がわいてくる取り組みだと考えられる。

ちなみに私の耳アカは乾型で渡来系になります。

写真は1959年の卒業アルバムからです。

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