法要も終わって、墓参のため佐賀へ佐賀市内の浄土真宗安楽寺にある
久しぶりに訪れた私の先祖の墓です。
先祖の墓の前にある
先祖の一人を顕栄する碑です。
およそ150年前のものです。
左右後面に碑文が刻まれています。
右側面碑文はかすれて読めません。 亡き父から聞いていた先祖は
鍋島藩剣道指南番です。
門人400余人と刻まれています
この故人は文政6年(1832)に師範を継いで、文久2年(1860)に何らかの賞をいただき、萬延元年(1862)当時に烈士を排出させたようです。父の話ではその頃、 大隈重信(1838〜1922)も門人としていたとのことです。
上の碑文の一部を拡大したもの
後面の碑文の一部を拡大。 直新影流の文字もあります。
墓参をすませ、博多駅へ向かう。のぞみ26号16番車両は先頭車両でしたから撮ってみました。往きは飛行機、復りは新幹線でした。
広島駅に入る前、「可部線が終日不通」の文字が流れ、思わず外を見たが被災地は過ぎていました。多くの亡くなられた人々へ手を合わせご冥福を祈りました。帰った翌日、可部線開通のニュースが流れ、復旧第1歩を感じました。
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故郷
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詳細
コメント(10)
義兄の1周忌と義母の13回忌の法要で帰省晧台寺(こうたいじ)本堂
江戸初期建立の曹洞宗の寺です。
ここで法要が行われた。
寺町には晧台寺、大音寺、興福寺(黄檗宗)等
中国や日本の寺がいくつもあり、
そのお墓が風頭(かざがしら)山頂付近まで続く。
この周辺は子供の頃の遊び場でした。
崇福寺は崇玄住職が
代表を務める、福建省出身者が建てた支那寺です。
ここで行われる支那盆は豚の頭料理等が並ぶ等
全国の華僑が集まる盛大な行事で知られています。
聖壽山 崇福寺(黄檗宗)の扁額は
興福寺(日本最古の黄檗宗の寺)へ
入山した中国の高僧
隠元(いんげん)禅師が書いたもの。
法要も終って、
この近くで長崎の卓袱(しっぽく)料理をいただく。
ほろ酔い気分で街中を歩くと
なつかしい茶碗蒸しの老舗、吉宗(よっそう)の前に出た。
法事やお祝い事の出前料理によく利用される店です。
ホテルで酔いをさましたあとは港へ散策。
昨年の
義兄の葬儀のため長崎へ あれから1年あっという間でした。
今回も紹介されましたので バンクのお散歩2(バーニーズマウンテンドッグ)で
長崎の街をお楽しみください。 |
9月4日、関空開港20周年開港の日は長女の結婚式でした。
8月21日に格安航空券をネットで予約したが、
メールの連絡が来ない
古いアドレスのまま予約したのが原因で、
新しいアドレスに変えて無事予約完了して
代金を振り込むと予約番号のメールが届いた。
8月29日、出発は午後1時45分
初めての第2ターミナル搭乗で、早めに関空へ行く。
予約番号を入力して、搭乗券発券手続きをするも
エラー続き、窓口担当に問い合わせると
出発1時間30分前からしか発券できないとのこと
その時間に再び発券手続きするも
再度エラーが出る。
窓口では”その予約番号はキャンセルされています”
金も振り込んでるのに何故???
斡旋会社に騙されたか!と慌てる。
すると窓口担当が個人名で検索すると
私と妻の名前で予約されているが、
予約番号が違っているとのこと
個人を証明するものがありますか?
免許証と妻の健康保険証を見せ、やっと
搭乗券が発券された。
原因は新しいメールの予約の時
古いメールの予約はキャンセルされ、新しい予約番号が
あるにもかかわらず、古い予約番号を
メールで知らせたことによる。
飛行機は予定通り飛び、定刻通りに長崎空港へ着いた。
第2ターミナル行きバス乗り場への連絡道
第2ターミナルから帰ってくる人と
これから向かう人が交差するエスカレーターです。
第2ターミナル行きバス乗り場、無料です。
第2ターミナルフロア
手前が国際線、奥が国内線搭乗手続きフロア
ピンクのモニター付き搭乗発券機が何台も
設置されている。
搭乗口にあるこの日の飛行予定時刻表
トラブルを経てやっと登場手続きを済ませ、
待合室でくつろぐ。
これを見ながらいつか北海道、沖縄・・にでも
観光旅行がしてみたくなる。
1列6人掛けの約40列ほぼ満席の飛行機でした。
予定通り午後3時に長崎空港到着。
雨上がりの長崎空港は関空同様
大村湾を埋め立てて出来た空港です。
大村湾と雨雲がたなびく山並み
空港から約1時間後に長崎駅前に到着
きょうはここまで・・・
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長崎歴史文化博物館
辛亥革命の孫文とそれを支援した
梅屋庄吉夫妻の像が正面にある。
中国と日本の関係は仏教伝来の遥か昔から、
近代に至るまで交流の歴史がある。
今や、領土問題で危うい関係になっているが、
これまでの交流の歴史をたどれば
解決できないことはないとお互いに
感じているはずです。
朱印船によるアジア進出の日本人街と
寄港地を示す。
対馬藩が担う役割と朝鮮通信使
雨森芳洲肖像絵
滋賀県出身の儒者で対馬藩に仕え
日本と朝鮮、中国との交流に努めた。
朝鮮通信使一行の上洛図
中国人がもたらした祭祀
媽祖信仰の馬祖とは福建省に起源をもつ、
航海安全を守る女神のこと。
長崎県には石組の有名なアーチ橋がある。
その施工風景を示しています。
長崎出島と港の屏風絵
長崎の平戸焼、波佐見焼等の焼き物展示と
出土した焼き物の欠片が
床下にも展示されている。
日本人絵師が描いた当時のオランダ人
オランダのお抱え医師として
日本へ来航し、西洋医術を日本へもたらした。
オランダ出島の館長として来日し、英語翻訳や
辞書編纂に関わった人たち。
上野彦馬が使った写真機
実際に使えるようになっています。
カメラの前で15秒静止!すると
こんな風に写ります。
少し動いた為ぶれています。
彦馬が撮った有名人
坂本竜馬、大浦慶、シーボルト
火縄銃から新しい銃への変遷が見れる。
上段のスナイドル銃は後装式で前装式の
ゲベール銃に比べ、連射性に優れた銃です。
戊辰戦争時に会津白虎隊を打ち破ったことでも
知られている。
今年の大河ドラマは銃に注目してみるのも
興味深いことです。
奉行所のお白州です。
ここの有名奉行
左衛門尉、遠山景晋(かげくに/かげみち)も
勤めていた。
ロシアのレザノフ事件に関わった人で、
かの遠山金四郎の父親にあたる人です。
遠山左衛門尉家中の石柱
左衛門尉は役職名です。
坂本龍馬の写真から作られた
龍馬の立体像
最古の地球儀
博物館の資料を全て紹介できません。
ご興味のある方は
是非長崎まで脚をお運びください。 |

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長崎のランタンまつりは旧暦の正月を祝う中国人居留地で行われていた
春節祭が街をあげて行われるよになったものです。
結婚式の9日が前夜祭で10日から24日まで続きます。
8日長崎駅に到着後観た
ランタンまつりの開催をもりあげる光のディスプレイ
到着した夜はこの冬一番の冷え込みだったようです。
翌朝の長崎駅前の道路は車と市電が占有し、
人は立体跨道橋へ上がり通りを行きかうようになっています。
そのため階段以外にエレベーターもある。
跨道橋と言っても上は立体広場になっていてそれぞれ目的の
場所へ通じるスクランブル交差点となっている。
式は午後2時30分から始まる。
10時前にチェックアウトし、荷物をコインローッカーに預け
近くの歴史文化博物館へでかける。
長崎奉行所の遺構が発見され、それを復元し
平成17年11月に長崎歴史文化博物館ができた。
長崎奉行所は港を正面から見る丘の中腹にあったことがわかる。
石段の遺構が見つかった場所からこの奉行所の
全体が把握されて、復元された。
右側は長崎の伝統工芸品の製作、作品が見れ、
ギャラリー兼工房となっている。
この奥に広場がある。
ステンドグラス、ガラス工芸品、べっこう細工等のギャラリー、工房
ここは旧制長崎中学があったところです。
長崎中学跡地、明治天皇行幸記念碑、サンタマリア教会跡地の
石碑が並んでいる。
ここで見つけたイソヒヨドリ
紅梅が咲きほころんで、
まわりに梅の香がただよっています。
この博物館は平成17年11月開館し、まだ8年目、
乃村工芸社が指定管理者として運営にあたっている。
長崎の海外交流にかかわった資料が集められ、
興味深いものが多数展示、映像化されている。
長崎犯科帳は時代劇作品のネタにもなっています。
江戸時代海外を知る唯一の場所であった長崎詣での数は
有名無名を問わず数知れません。
この博物館を観ながら、歴史遺産は素晴らしいですが、
その遺産を受け継ぐ街の活気はもうひとつ冴えません。
歴史遺産を活かした新しい文化の発信が待たれます。
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ご心配をお掛けしました。ペコリ
