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姪の結婚式

ふるさとの結婚式に招かれて
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長崎の港をバックに結婚式が執り行われました。
 
昨年11月父の13回忌法要の時
このおめでたい話を知り、是非にも出席したいと
妹に言っておいたものですから、
すぐに招待状が届きました。
2月9日は連休初日で、
うかつにもそれを考えもしないで
準備ものんびり構えていました。
 
いざホテルの予約をしてみると
8,9と続けて予約が取れず、違うホテルで
やっと確保できました。
 
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妹夫婦の一人娘の結婚式です。
私が年長でありますが、貫禄では負けています。
素晴らしい夫婦です。
 
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お互いにすばらしい伴侶を得られたようです。
 
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彼女は職場ではIT担当
ふたりのこれまでの経緯をスクリーンに
写しだし、分かりやすくまとめてくれていました。
 
人生最高の時です。
つい自分の時を思い出します。
どうかこれからの生活に幸あれと祈るばかりです。
 
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たくさんの参列者の祝福を一斉に浴び、
とても幸せそうでした。
 
 
 

長崎西高校歌



長崎西高校歌「眉秀でたる若人よ」

作詞 - 風巻景次郎(国文学者、当時北海道大学教授)
作曲 - 長谷川良夫(作曲家、当時東京芸術大学教授)
野球部が夏の甲子園に西九州代表として出場したのを機に、1951年(昭和26年)12月に制定された。
歌詞に校名が出ない母校の校歌です。
それがとても新鮮で好きになった校歌です。

英語教師ターマンに率いられた野球部はのちに早稲田に進んだ
美貴投手の健闘によりベスト4まで勝ち上がったが、
未だにそれを越えていない。

観光の街、長崎の風景をバックに歌詞と吹奏楽の演奏が流れます。
久しぶりに口ずさみながら、半世紀前の母校を懐かしみました。

港を見おろす稲佐山の麓の街は原爆で消滅し、死の荒野と化した。
その一角に建てられた新生の母校です。
坂を駈け登ると校門があり、その”遅刻坂”も写っています。
再建された浦上天主堂、港、平和公園、グラバー園から見る稲佐山、
オランダ出島跡のカーブした川、龍馬像等も・・・

この動画は吹奏楽が2004年、コーラスが2009年に撮られているようです。

父の13回忌

長崎帰省三日目は父の13回忌
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民宿たんぽぽ
ここに三泊しました。
朝食付きで3800円
二人で前金22800円を払っています。
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民宿「タンポポ」は
この活水高等女学校の裏にあります。
県立西高からいつも眺めていました。
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夜景を見た稲佐山が近くにあり、
 
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右の山の斜面に稲佐山温泉「ふくの湯」が
4年前にできていました。
市内の各所から送迎バスがここまで
運んで来てくれます。
稲佐山の夜景見物のあと妹に
連れてきてもらいました。
夜景を露天風呂から眺められ、
いろんな風呂があってゆっくりできます。
利用者が多いようです。
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この岩屋山(475m)は友達とよく登った。
 
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浦上川もきれいに整備されています。
左のビルは九州電力
川を渡ると市民グランドがあります。
正面は昔の大橋球場、今県営の
「長崎ビッグNスタジアム」です。
高校野球の母校応援で行った球場も
新しく生まれ変わっています。
 
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長崎国体が2年後に開かれます。
施設の整備も進み、
スポーツへの関心が高まっているようです。
 
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テニスコートも全天候型になっています。
他にはプールもあり、
平和公園もすぐ近くにあり、便利なところです。
 
ここへ妹夫婦と娘が迎えに来てくれて、
弟宅へ父の13回忌の法要へと向かいました。
 
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兄弟5人の家族が総勢20名も集まった。
お墓のある佐賀の浄土真宗、安楽寺より
住職を迎えて
11時より約1時間半お経と講話があり、
無事終わりました。
 
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住職は所用のため会食には
お呼びできませんでしたが、
久しぶりの再会にみんなご機嫌で
ごちそうに舌つづみを打っています。
この中には私の母校(長崎西高)の
物理の先生もいて、来春、講師から
本採用に決まった娘もいます。
広島大学教育学部を卒業しても
教員採用の道は大変なようです。
 
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会食後再び帰ってきて2次会が始まり、
孫やひ孫たちが仏さまの前で
高跳び、リンボー遊びに夢中です。
さぞ仏さまも微笑んで眺めてくれたことでしょう!
 
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この法要が済んだ翌日に佐賀のお墓参りをして、
大阪へ無事帰ってきました。
 
 
 

長崎帰省二日目

長崎帰省二日目
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正面の山が前夜、夜景を見た稲佐山です。
ここは義兄の一族のお墓があるところで
朝一番に墓参に訪れたところです。
この後、近くに住んでおられる
義兄(84歳)のお宅に寄り、
久しぶりにご夫婦と顔を合せました。
この春から義兄は体調を壊し、一時は
食事も満足にとれないと聞き、心配でした。
それが今は快復され、隣にある
介護施設のお世話になる暮らしですが、
話も弾み、一安心でした。
お迎えの介護施設の職員が来られたあと、
しばし奥さんのここまで回復させた
苦労話を聞き、お別れしました。
 
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旧丸山遊郭入口にあるカステラの老舗です。
ここから遊郭に沿って坂を上った
隣町に住んでいました。
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正面が龍馬が通った遊郭「花月」です。
くんち祭りの前夜祭としての
「庭見せ」に魅入った懐かしいところです。
 
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義兄宅を辞して町を歩いた後、
浦上駅近くに住む義姉夫婦(86歳と82歳)に
次義兄夫婦と共に昼食のもてなしを受けた。
こちらはお二人とも背が曲がっていますが、
小笠原まで船で旅行されたばかりでした。
次義兄は上さんの4つ年上、
小さいころから将棋やソフトボールなど
一緒に近所の連中と遊んだ仲です。
その次義兄が前立腺がんの手術と
持病の不正脈が悪化して、ペースメーカーの
手術も受け、二か月以上の入院から
退院したばかりでした。
 
あれこれ気がかりなことを見届けるのも
この帰省の目的でもありました。
 
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会食は昔話に花が咲き、お互い
元気な様子に安堵しました。
食後みんなと別れ、夕方まで時間もあり、
近くの原爆資料館と平和祈念像のある
平和公園まで歩きました。
 
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このドームの下が資料室になっています。
 
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資料室の入り口には
 
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一枚の長い紙で造られた連鶴が
ドームのスロープに飾られています。
 
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半世紀前の資料室は現在の資料室ほど
十分なものは整っていなかった。
見覚えのある資料と言えば熱線に溶けたガラス
投下時刻を示す柱時計、原爆に破壊された
街並みと人間の悲惨な姿でした。
 
今や単なる原爆の悲惨な資料室から、
新たな核廃絶の起点となる役目を果たす
資料室へと変貌しています。
 
核の保有国と保有する核弾頭の数が
示されています。
 
核拡散の現状は致命的です。
いつ核の使用が起きても
おかしくはありません。
 
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長崎に投下されたプルトニウム型原爆
ファットマンの模型です。
 
これを見ていると恐ろしいほど
簡単にできそうな構造です。
 
一瞬にして町を吹き飛ばし、そのあとに
目に見えない放射能汚染をばらまき、
苦しみにあえぎ亡くなった
人々が続出しました。
今もその苦しみを抱えた人々がいます。
 
その生の苦しみと核廃絶を訴える語りべの
映像音声資料も永く後世に受け継がれるよう
願いたいものです。
 
今や広島や長崎だけではなく
世界中の核実験場や原発の事故が
人類に同じ苦しみを与えています。
 
世界中の核廃絶と平和を訴える
起点になって欲しい場所だと思います。
 
 
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浦上天主堂のレンガと石像の残骸です。
 
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平和祈念像に向かう途中の公園には
初めて見るモニュメントが多くの国から寄贈され、いくつも建てられています。
 
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地元彫刻家北村西望氏の有名な
この平和祈念像です。
この頭上500mの上空で爆発したことを
指で指し示した像です。
 
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今もこの像を目当てに訪れる人が絶えません。
 (クリックで拡大して見てください)
ビキニの水爆実験は長崎の原爆の
千倍もの破壊力を示した。
日本の漁船員が千Kmも離れて、
操業していたにもかかわらず
水爆の放射能を浴び、
被ばくを認定されないまま、
癌により多くの船員が亡くなっています。
第五福竜丸以外の実験当時の
漁船乗組員への聞き取り調査が、
最近、大学の先生により行われ、
新たな犠牲者の実態が
明らかになりつつあります。
 
帰省のたびに訪れる機会はいくらもありましたが、
あまり近づきたくない気持ちの方が強かった。
広島で被爆した元プロ野球選手の
張本氏もそう感じた一人でしたが、
最近は原爆の悲惨さを繰り返したくない
気持ちの方が勝ってきて
積極的な姿勢が目立ってきました。
 
今回ここを訪れて良かったと思うと共に
帰省の機会があればまた訪れて
心を新たにしたい場所です。
 
 
 
 
 
 

長崎帰省第一夜

長崎帰省第一日目
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父の13回忌法要のため8日に帰省
鳥栖(トス)駅の車窓から見た
サガントスのホームスタジアム
 
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新鳥栖駅から見た鹿児島へ続く九州新幹線
 
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新鳥栖駅は在来線の新駅で
九州新幹線鳥栖駅への乗り継ぎ駅
 
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在来線鳥栖駅は鹿児島本線と長崎本線の
乗り継ぎ駅です。
背振山方面の山並みが見えます。
 
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米どころ佐賀平野は稲刈りが済んで
これから熱気球のバルーンが見られます。
 
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小学校へあがる前に疎開していた町です。
 
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湯江は有明海に面した町で、今は
諫早干拓の水門が近くに立てられています。
 
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長崎に着くなり宿まで訪れた妹が
連れて行ってくれた稲佐山の
展望台からの夜景です。
香港、モナコ、長崎が世界の新三大夜景と
地元では囃されていました。
 
疲れて早めに寝ようと思っていたら、
SONGSで
山本潤子の特集を見始めたら
眠れなくなりました。
 
卒業写真、中央フリーウェイ、スカイレストラン
・・・

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