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元興寺(がんごうじ)界隈散策
朝目のさめるような快晴
とりあえず街へ出ることにしてサザンで難波まで
そこから京都?奈良?
いつもの行き当たりばったり!
脚は近鉄難波駅へ向かう。
近鉄奈良駅に着いて案内地図を見る。
元興寺が世界遺産のお寺だったことを思い出し、
ついでにその界隈を歩いてみたくなった。
奈良は京都よりも更に古い都
元興寺は奈良遷都に伴って法興寺(飛鳥寺)を
奈良へ移したお寺である。
元興寺の寺地は平城(なら)の飛鳥と呼ばれたそうだ。
僧坊の屋根瓦は1400年前の瓦が今も混ざって
葺かれている。
蘇我馬子が娘の婿(聖徳太子)と共に
排仏派の物部氏を破り、日本の仏教受容の道を開いた。
大化の改新で蘇我入鹿が殺され、蘇我氏の氏寺だった
飛鳥寺は衰退するが、奈良へ移築され、法興寺は
元興寺と改められた。
その資金や主人公ははっきりしない。
官寺として仏教の盂蘭盆会、潅仏会等
すべての仏教行事はこの寺から始ってる。
平安末期には中央の権力が弱まると共に
元興寺他の官寺と共に衰退していく。
その崩壊の過程で命脈を支えるもとになったのが
智光の遺した智光曼荼羅でした。
法隆寺の僧坊の一部が聖徳太子を祀る精霊院が
造られた頃、智光曼荼羅を祀る極楽坊が成立。
折から澎湃として起こる浄土信仰の波に乗って、
この一画が極楽坊、極楽堂と呼ばれ、
南都系浄土信仰の中心となる。
その頃になると政府でも貴族でもなくて、
庶民が支えるお寺となって行く。
このお寺の遺構から掘り出された庶民信仰資料や
仏像等は二棟の収蔵庫に収められている。
これらの貴重な資料の整理と調査保存のため
寺内に元興寺文化財研究所があり、
全国の文化財保存、修復、調査を手がける
民間唯一の研究機関となって、地道な活動と
実績を上げている。
さて元興寺を出ると格子戸のある元興寺町、
奈良町を通って帰る。
黄色い鮮やかな直垂(ひたたれ)装束の氏子が
神輿を台車に載せて練り歩き終えた後、
御霊神社の冠位束帯の神主による
祭りの神事が行われてるところに出くわし、
タイムスリップした感じでした。
御霊神社は各地にあるがここは井上内親王・橘逸勢他
8体の怨霊を祀る神社である。
午後7時頃帰宅すると十五夜の月が煌々と照らしていた。
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