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昨日、新潟市へある研修会に出かけました。
ちょっと、難しい話でしたが、私なりにためになったと感じたのでご報告。
講師は「新潟大学名誉教授の真壁伍郎氏」
講演では、「貝原益軒の養生訓」引用され、手術や薬に頼る現代医学に対し、もっと大切なものがたくさんあることをご講演されました。
流行のスローフード、スローライフにも繋がるお話で、最新の技術にばかりに頼る事への戒めと感じました。
また、貝原益軒の時代にもストレスはあったのだなと感じるところもあり、ストレスは必ずしも、現代病ではないということも知りました。しかし、昔の人は現代人より、病気と付き合う方法を経験として知っていたのだ、とも感じました。
貝原益軒の養生訓から
〈内なる欲望と外なる邪気〉
養生法の第一は、自分の身体をそこなうものを除去することである。身体をそこなうものとは、内から生ずる欲望と外からやってくる邪気とである。前者は、飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、言語を欲しいままにする欲や、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の欲をいう。後者は、風・寒・暑・湿の天の四気をいうのである。
そこで内から生ずる欲望をこらえて少なくし、外部からくる邪気を恐れて防ぐことができれば、たえず健康で元気はつらつとして、病気にかからず天寿を全うすることができよう。
〈薬・鍼灸よりも予防〉
およそ薬や鍼灸を使うことになるのは、やむをえない下策(へたな手段)といわなければならない。それらを用いる前に、飲食・色欲を慎み、規則正しく寝起きして養生をすれば病にはかからない。腹中が使えて食欲がないひとも、座りつづけたり寝つづけたりしないで、朝夕散歩し、ほどよく運動して身体を動かすと、薬や鍼灸を使用するまでもなく、腹の中のつかえる心配はない。これこそ上策というべきであろう。
薬はことごとく気に偏らせるものである。鍼は、ありあまった気を除くが気の不足を補わない。薬と鍼灸とはこうした利害があるので、ただ専心、養生の術をたよりとすべきであろう。
〈病気にあった治療法〉
何ごとでもあまりよくしようとしてあせると、かならずわるくなる。病気の治療も同様である。病気に罹ったからといってあわてて医者を選ぶことをせず、やたらに医者を求めたり、薬を用いたり、また鍼灸をやたらにすることは害になることが多い。
〈完全無欠を求めるな〉
すべてのことに完全無欠であろうとすると、自分の心の負担になって楽しみがない。
さまざまな不幸もこうした考えから起こる。また他人が自分にとって最上につかえてくれることを求めると、他人のたらないことを怒りとがめるんで、心の苦痛になる。
そのほか日常の飲食、衣服、器物、住まい、草木なども美しく非のないものを好んではいけない。多少でも気にいったものでよい。完全無欠によいものを好んではいけない。というのは、これも気を養う工夫であるからである。
(養老 心を楽しく)
老後は若いときの十倍に相当する早さで日月が過ぎていくのだから、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年として喜楽し、むだな日を暮らすようなことがあってはいけない。つねに時間を惜しまなければならない。心静かにして従容として残った年を楽しみ、怒ることなく、欲を少なくして、この残っている身体を養うべきである。
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