たんぽぽの咲く庭で

今年の夏は 暑すぎる〜!(;゚Д゚)!

化膿性髄膜炎のこと

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チビのこと(8)

チビの主治医は小児科のドクターですが

今回の手術の執刀自体は、脳外科の先生がしてくださっていました。

脳外科のドクターが2人、小児科のドクターが2人、それに麻酔科のドクターと

大勢のドクターがチビの命を必死で救おうとしてくれていました。

主治医は

『今回、このチューブを通って頭の中の膿が外へ出てきてくれることを期待しています。

ただ、このチューブも感染の危険が非常に大きいので(直接脳に入れてるため)

5日間が限界です。それで小さくなってくれるといいんですが』

小さな身体に大きなチューブのチビは、見ていても可哀想でしたが

これで治るんだ

そう思って、毎日を見守っていました。



そして5日後、チューブを抜く日がきました。

『もう、あとは回復していくんだ』そう思っていたのに・・・



それから2日しか経っていない日、チビの面会に行くと主治医の先生が

『至急、お父さんにも来てもらえますか』と

かなり急いでる様子です。

その頃、主人は何かあったときのために携帯を持っていたので

すぐに連絡を取り、仕事場から駆けつけてもらいました。

私達の前で主治医は

『チビちゃんの膿ですが、今は何箇所もできていて・・・特にかなり大きくなっているのが

あって、至急処置をしないと。今回はチューブよりも確実な方法をとりたいと思っています。

頭の左右に穴を開けて、そこから膿を掻きだします。とにかく時間との闘いになりますので

すぐに手術に取り掛かりたいと思います。同意できますでしょうか。』

今回は急な事だったので、さすがに動揺していないと言えば嘘になりますが

やはり『チビが助かるため』の手術をお願いしました。

すでにその頃は夜の7時を回っていましたが・・・

私達夫婦は、そんな時間の流れもわかっていませんでした。

10時を回った頃、手術を終えたチビが帰ってきました。チューブもなぜか左右2本

頭についていました。

その後、脳外科のドクターから説明を受けました。

『まず、チビちゃんの脳の状態ですが・・・膿が溜まっていた部分は、脳が腐っている状態です。

そして今回、それを可能なかぎり掻きだしました。大きいものはほとんど掻きだしましたが

その結果、前頭葉がありません。他の部分も無数に小さな膿の溜まった袋があって

これは取りようがありませんが、そのうちに自然となくなっていくでしょう。

でも、その部分の脳も当然ありません。なので、スポンジのような状態の脳でしょう。

後遺症についてですが・・・脳を失った部分からみて、この子には知性も理性も感情も

ありません。身体の障害についても・・・はっきりとは言えませんが何かしらは出るでしょう。

とにかく、私が診た髄膜炎の患者の中で『最重度』ですから。

これから彼がどういうふうに成長するのか、わかりません』

この言葉は、主人にとってかなりショックだったようです。

私も結構辛いものはありましたが

『これでもう、快方に向かうのかな』と・・・

今にして思えば、かなり楽天的に考えていたようです。

この日が12月7日。チビが生まれて、まだ1ヶ月も経っていないときでした。

チビのこと(7)

このときの主治医は、まだ26歳くらいの女の先生でした。

ちょうどチビが生まれる瞬間にも立ち会っていて、それからずっとチビの担当になっていました。

先生が重い口調で話を切り出しました。

『実は・・・髄膜炎の菌が、脳のほうへと進行して

チビちゃんは脳が炎症を起こしている状態です。先ほどCTで確認したところ

脳に数箇所、膿が溜まっているのが確認できました。・・・脳膿瘍です。

この、膿が溜まっている袋のようなものが破裂してしまうと

脳全体に菌がいきわたり・・・おそらく助からないでしょう。

なので、その溜まっている部分にチューブを入れて

中の膿を出してしまう手術が必要になってきました。

・・・同意していただけますか?』

その頃はもう落ち込むという気力も、そういう感情もなかったのかもしれません。

『チビを助けなくっちゃ』

その思いだけでした。

『お願いします』

そう答えると、主治医は早速翌日に手術の予約を入れていました。


翌日、朝の8時には病院へ来るように言われていたので

早朝の電車で、主人と2人病院へ向かいました。

『チビちゃんの体力も考えて、一番暖かい手術室で』と言う主治医の言葉で

その手術室が空くのを

ずーっと、救急救命のベンチで待っていました。

お昼を過ぎても、夕方になっても連絡はありません。

夜の7時過ぎに、やっと『手術室に向かいます』との連絡があり

それから約2時間後

チビは頭の右側にチューブをつけた状態で帰ってきました。

チビのこと(6)

私が退院して・・・たしか2日後くらいだったと思います。

『チビちゃん、NICUからICUのほうへ移動しようと思います。向こうの方が

何かあったときにすぐに対処できるし、お母さんも面会に来やすいでしょう?』

そうドクターからの説明を受けて、チビは1階にある救急救命の隣のICUに移されました。

状態は相変わらずで、一向に良くなっているようには見えません。

私はといえば、毎日30分くらいの面会時間に

家から片道1時間ほどかけて、毎日通っていました。

『いつかは飲んでくれるかもしれない』

そう思いながら毎日搾乳して冷凍させた母乳を持って。

でも・・・後で判ったことですが、その頃のチビは

いろんな合併症とも闘っていました。

抗生剤を入れるためのルートからの感染、肺炎・・・

輸血も幾度となく行われました。

面会の時、時々は目を開けてバタバタと動いている時もありました。

突然、火がついたように泣き出す事も。

あの頃、チビはどんなキモチだったんだろう・・・


1度だけ、保育器の中のチビの額を指でさすりながら

(面会の度にそうして話しかけていました)

『チビ、もうしんどかったら闘わなくてもいいんだよ。

でも・・でもね、もっと生きたいって、そう思うのなら

お母さんも一緒に頑張るからね』

そう話しかけたことがあります。

・・・チビはきっと

『ボク、もっと生きていたい!』きっとそう思ったんでしょうね。

その後の辛い治療にも、チビは小さな身体で耐え抜いたんですもんね。

その翌日、私達は夫婦で主治医の先生に呼ばれました。

チビのこと(5)

時が過ぎるのも曖昧なまま、チビが生まれて1週間が経とうとしていました。

チビが生まれた病院は、普通だと産後1週間目が退院の日になります。

私の身体自体は、特に異常もなく順調に回復はしていましたので

退院の許可が出ました。

その頃は、上の2人の子供達も中学1年と小学6年生。

1人でできる事は多いとはいえ、まだまだ手も目も要ります。

チビのことはもちろん心配でしたが・・・

私が病院に残っても、何もしてあげられることはないし

それに・・・

幸せそうなお母さんの中で過ごすのは、正直私にとってとても辛いことでした。

『とりあえず退院しよう』そう決めて、チビのいるNICUへ面会に行くと

突然、1人の看護婦さん(その頃はまだ看護婦さんと呼んでいました)が

『お母さん!チビちゃんが1人で頑張っているのに・・・退院するんですか!

どうして一緒にいてあげないんですか!』と

すごい剣幕で怒り出しました。


・・・確かに、私だってチビを残して退院するのは辛い。

だけれども、事情が理解できずに家で待っている2人の子供も心配だし・・・

それに・・・抗生剤の効き目も怪しくて、寝たきりの状態のチビに

私が何をしてあげられるって言うんだろう?

こんな状態で、何も思わずに何も苦しまずに退院する親なんて

いるわけないじゃない!

そう言いたかった。そう叫びたかったけど

『退院します』とだけ告げて、NICUを後にしました。

その日は、娘の誕生日でした。

私達は家族で娘の誕生日と、チビが生まれてきてくれた事を心からお祝いしました。

夜遅くまでかかって、チビの名前を決めました。

誰よりも強い運を持って生きていくような、そんな名前を。

チビのこと(4)

それから、何日後だったのかは

本当に記憶がありません。

翌日だったのか、翌々日だったのか。

わたしたち夫婦は、また小児科の副部長に呼ばれました。

『チビちゃんの原因菌が判りました。Citorobacter diversus という

大腸菌の1種です。ただ、今まで使っていた一般的な抗生物質はこの菌には効きません。

すぐに違う抗生剤に切り替えました。が・・・

最初の数日間が、効かない抗生物質を使っていたため

かなり容態としては良くないです。

感染経路ですが・・・

恐らくお母さんの産道を通ってくる途中での、経口感染だと思われます。

・・・まぁ、運が悪かったと思って。』

ドクターの言葉に、私は本当に地獄の底に突き落とされたような衝撃を受けていました。

『チビの感染は、私のせいだったんだ』

その後、私の膣の中から菌が出るかの検査を受けさせられましたが・・・

結果は(−)でした。(それでもドクターは「日にちが経ってるから出なかったんでしょう」と)

だけれども、この時の言葉は

今でも私の心の中で、重く深く突き刺さっています。

チビはというと、この頃は何本もの管が その小さな身体につながれ

度重なる大きな痙攣を止める為に、たくさんの、そして何種類もの薬を投与されて

こん睡状態で、呼吸器によって生きている状態でした。

NICUに入っていたので、面会時間は限られています。

面会を終えて、自分の病室に戻ると・・・

周りは出産を終えて、幸せそうなお母さんたちばかり。

その中で、思いっきり泣くこともできず

私も限界に来ていたのかもしれません。

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