神社

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

函館護国神社

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 箱館戦争で散った政府軍兵士を祀る、函館護国神社です。
 現在は縁結びの神様として親しまれています。
 1869年に箱館戦争が終結し、当時の兵部省は王政復古に尽くした新政府軍志士の霊を祭る目的で、神道式による招魂場を造営しました。
 境内には「招魂場」の字を刻んだ石碑が残されています。
 1939年に函館護国神社と改称しました。
 社殿の右奥には、新政府軍戦死者の墓50基ほどが並びます。
 函館山の緑を背景に建つ社殿は、1942年に建てられたものです。
 流れるようなカーブを描いた屋根が特徴の美しい建物です。

函館市青柳町9

太田山神社

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 太田山神社(おおたさんじんじゃ)は、北海道本土で最も西に位置する神社であり、また道南五大霊場の一つであるとされている。
 地元では太田神社または太田の神社とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る。
 旧社格は村社(太田神社)。
 当神社は太田山の中腹にあり、社殿までの道程は急勾配の階段を始め、両側に設置されたロープを使わなければ登れない、降りられないほどの山道である。
 北海道道740号北檜山大成線沿いに最初の鳥居が建っているが、そこからは平均45度の斜度を持つ急峻で長い石段が現れる。
 それを過ぎると草木の生い茂る獣道にも似た山道や足場が続く。
 付近一帯はヒグマ、ブヨ・蚊・ハチやマムシに遭うことがあり、注意・対策が必要である。
 途中には仏像が置かれた大石や女人堂があり、山道の最後に高さ7mはある北尋坊の崖がある。
 そこに設置された鉄輪とロープを使って登ったところに太田山神社の本殿が建っている。

久遠郡せたな町大成区太田7番地

靖国神社

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 本殿は1872年に尾張の伊藤平左衛門設計の下に造られた。
 桁行3間梁間6間の大規模な神明造で、前面に1間の向拝(こうはい)が付く。
 屋根銅板葺で棟には千木・鰹木を有す。
 本殿の両側には廻廊が接続し、その廻廊が前方に屈曲して拝殿の両側面に連絡し、本殿前庭を囲繞する。
 本殿後方には1972年に建てられた切妻造平入銅板葺の霊璽簿奉安殿が建ち、神霊を合祀する際に用いる和紙で作られた霊璽簿(神霊名簿)を保管する。
 なお、本殿は老朽化の為に1986年から1989年にかけて解体修理が施されている。
 拝殿は1901年竣工の建物で桁行7間梁間5間の入母屋造平入屋根銅板葺。
 前面に3間の向入母屋造で軒に唐破風を構えた向拝が付く。
 拝殿前方に中門鳥居、更に前方に神門と続く。
 中門鳥居は2006年に建て替えられた素木鳥居。
 埼玉県産の檜が用いられ、以前は1975年に奉納された台湾産の檜が用いられていた。
 さらに以前には扉が付いており、元々は門として機能していた。
 神門は三間三戸の切妻造銅板葺で高さ6メートル、檜造り。伊東忠太の設計により1934年に完成した。 中央間の扉には直径1.5メートルの16弁の菊花紋章が付けられる。
 この中央間を戦前は儀仗兵が列姿を乱すことなく潜れたという。
 本殿南の廻廊外に元宮と鎮霊社が並び建つ。
 元宮は幕末期に京都で造られた小祠を1931年に移祠したもの。
 靖国神社の前身との意味から「元宮」と称される。
 鎮霊社は1965年7月に当時の筑波藤麿宮司の発案で、嘉永6年以降の戦争や事変で国に殉じたとされながらも本殿においては合祀対象外となった御霊と、諸外国の戦没者の御霊の2座を祀る為に創祀された。
 かつては両社は一般には公開されておらず、参拝もできない状態が長く続いていたが、2006年10月12日に拝殿脇から参道が設けられ、一般参拝が可能になった。
 なお、鎮霊社に関して靖国神社では「鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが、御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象」としており、本殿祭神とは差をつけている。
 神門外の参道には第二鳥居(青銅大鳥居)と第一鳥居(大鳥居)の2基の鳥居が建ち、また参道脇には石鳥居も建つ。
 境内入り口を標示する第一鳥居は1921年に「日本一の大鳥居」として建てられ、石松秋二作詞の「九段の母」(1939年)に「空をつくよな大鳥居」と歌われもしたが、風雨による損傷の為に1943年に撤去され、その後、1974年に鋼管製で再建された。
 柱の高さが約25メートル、笠木(上の横木)の長さは約34メートルあり、重量は100トン。
 第二鳥居は1887年の建立で、大阪砲兵工廠で鋳造された青銅製。
 現存の靖国神社の全4基の鳥居の内では最も古いものであり、また青銅製の鳥居としては日本一の規模である。
 石鳥居は1933年に奉納されたもので、石製鳥居としては京都の八坂神社のものと並び最大級とされる。

東京都千代田区九段北3丁目1番1号

浅草神社

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 浅草神社は、東京都台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社です。
 通称に三社権現、三社様があります。
 5月17日の例大祭は三社祭といいます。
 浅草寺の草創に関わった土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。
 檜前浜成・武成の他のもう一柱の主祭神については諸説あったが、現在では土師真中知であるとしている。
 この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになった。
 社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。
 兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。
 その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。
 これが浅草寺の始まりである。
 土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。
 実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。
 ご神体として一般の人間(漁師と僧侶)を祀っている為、神社の格としては江戸一低いといわれている。
 明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。
 社殿は浅草寺の本堂の東側にある。
 現存の社殿は徳川家光の寄進で1649年に完成したもので、昭和36年に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定された。

東京都台東区浅草2丁目3-1

守綱神社

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 守綱神社は、渡辺守綱を祭神としています。
 1880年9月に、渡辺家旧家臣及び地元関係者283名が寄付金を募り創立しました。
 渡辺守綱は渡辺綱の後裔で徳川家康に従い、各地で戦って武功をあげ、「槍の半蔵」と呼ばれました。
 1610年に尾張徳川家の家老としてこの地に封ぜられ、1万4千石を領有しました。

豊田市寺部町1丁目

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]


.
ダッシュ
ダッシュ
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(15)
  • 倉次郎
  • 橙武者
  • きみ
  • 郁華
  • 栞
  • しゅうちゃん
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

登録されていません

Yahoo!からのお知らせ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事