城(国宝)

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 城の中でも、国宝である姫路城、松本城、彦根城、犬山城は、特に歴史を感じさせるとともに、とても大切にされており、どの城もきれいです。
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松本城

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 戦国時代の永正年間に、松本平の信濃府中(井川)に居を構えていた信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。
 後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。
 武田氏滅亡後の1582年、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。
 1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。
 代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
 その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。
 大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能。
 水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。
 1727年には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。

松本市丸の内4-1
拝観料:600円( 8:30 〜 17:00 )
休館日:12/29〜1/3

彦根城

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 近世にあたる江戸時代に滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城である。
 山は「金亀山」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。
 多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。
 徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。
 佐和山城は石田三成が改築した後は「三成に過ぎたるもの…」の一つともいわれたが、直政は、中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していたが、関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年に死去した。
 その後直継が家督を継いだが、幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して彼の遺志を継ぎ、1603年琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に彦根城の築城を開始した。

彦根市金亀町1-1
拝観料:600円(8:30 〜 17:00)
休館日:年中無休

姫路城

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 現在の姫路城は、1601年から8年の歳月をかけ池田輝政が建てたものですが、一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男、貞範(さだのり)です。
 当時播磨国上郡で勢力を誇っていた父則村は、鎌倉幕府を倒そうとする後醍醐天皇に加勢し、千二百騎の兵を現在姫路城のある姫山に集結させ、京都に向かい大きく貢献しました。
 そしてその13年後の1346年に父の意向を受け二男の貞範が姫山に山城を築きました。
 これが姫路城の始まりとされています。
 しかし、その後、羽柴秀吉が三層の城を築くまではほとんど大きな動きはなく、姫路城は小さな山城でしかありませんでした。
 秀吉は信長の天下統一のため、中国討伐の拠点として1580年からおよそ一年がかりで姫山の城を三層の本格的な天守閣に改築をします。
 しかし、それも19年後の関ヶ原の戦いにより徳川政権が始めると、家康の二女督姫を妻とする池田輝政が城主に選ばれ、また改築をすることになります。
 池田輝政が姫路城の城主になったのは、徳川政権を脅かすかもしれない西側の諸大名をけん制するためでもありました。
 そのため、家康は池田輝政に過大とも言えるほどの禄が与えられ、督姫との子、二男忠継に備前国二十八万石、三男忠雄に淡路国六万石を与え、姫路の五十二万石とあわせ八十六万石、しかし実質は百万石をほこる西国大名として徳川幕府の西の要になることが求められたのです。
 この要求に応えるべく、池田輝政は、のべ二千四百万人もの人員を動員し8年がかりで江戸城にも匹敵するほどの現在の天守を作り上げました。

姫路市本町68
拝観料:600円(9:00 〜 16:00)
休館日:12月29〜30日

犬山城

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 国宝指定四城の一つ、犬山城。
 犬山城は、1537年、織田信長の叔父である織田信康によって造営され、尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。
 戦国時代の小牧・長久手の合戦(1584年)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。
 江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となりました。
 しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで、日本で唯一、個人所有の城でした。

愛知県犬山市北古券65-2
拝観料:500円(9:00 〜 16:30)
休館日:12月29〜31日

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