大村知事、河村市長「共和国」構想に不快感http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120613-OYT1T00463.htm愛知県と名古屋市が協議を進めている「中京都構想」を巡り、河村たかし市長が人口400万人規模の大都市「尾張名古屋共和国」構想の実現を軸に県と協議する考えを示していることについて、大村秀章知事は12日の定例記者会見で、「昨年2月の知事、市長選で県民に示した共同公約と(共和国構想は)異なる。公約は守らなければいけない」と不快感をあらわにした。 大村知事は、河村市長が主張する共和国構想について、「周辺自治体との合併なのか、広域連合なのか分からない。何をするか詰めないと単なるお話で終わる」と述べ、構想の内容を具体化するよう求めた。 さらに、6日の市議会大都市・行財政制度特別委員会で、市総務局が「県市それぞれの考え方があるが、市としては共和国構想を念頭に置きたい」と市長の意向に沿った見解を示した点にも、大村知事は「何をするのか、市役所ももっと勉強した方が良い」と批判した。 「日本国」というものをなんと心得るのか聞いてみたい政治家が多すぎる。 少なくとも今、革新を唱え、現在を否定する人々は過去に歴史を変えた「革新」というものがどんな覚悟で行われたか理解していないのではないか。 あなたは死ぬ覚悟をしているか。(流行の「政治生命なるちんけなものじゃなく」) 既存の体制の中で生きている人々にとって生き方を変えろ、というのは耐え難い。耐え難いというよりも生きていけない、受け入れることが出来ない。 平安時代の終焉然り、鎌倉時代の終焉然り、戦国時代の終焉然り、江戸時代の終焉然り 無血で終わることはほぼない。体制を変えていこう、変えるべきだと動きの先頭に立った人物は革新のプロセスの中で戦死することだってある、暗殺されることだってある、返り討ちにあってしまうことだってある。 そんな覚悟はあるか。 問題は自分だけの生き死にだけでは終わらない。無数の民草の生命財産を危険にさらすこともある。自分の理想の名の下に傷つくことも、奪われることも、そして死ぬことも当然望まない人々の犠牲を伴うことだってある。不平不満の名の下に反乱に近いことだって起こりうる。 それらを完全に納得させて平定することができるか。その起こりうる犠牲を国内外で正当化できるか。 政治体制を変えるということは単に変えてしまえばいいというものではない。変えるだけでは終わらない。むしろ既存の体制を打ち倒した後こそが革新の本領がわかるというもの。そこまで本当に考えているのかな。 今、動いているシステムを完全に狂わせることで生じる混乱の責任を取れる人物はいるのだろうか。 今脚光を浴びている政治家、官僚崩れ、環境活動家の中にいるとは思えないのだが・・・ |
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