福島氏が山本太郎氏と組む!?統一会派結成を要請社民党の福島瑞穂党首は25日、参院選東京選挙区で脱原発などを掲げて当選した無所属の山本太郎氏と国会内で会談し、統一会派結成も視野に、国会活動での連携を要請した。山本氏から返答はなかったという。 ま、沈む船同士さっさと結びついたほうがいいよ。判断するほうもとても判断しやすい。社民党や共産党は主張は立派だが中身がどんな党なのか知らない若者も多い。
山本太郎氏もそうだ。言うことは立派だが、彼を支援している人々がどんな人で選挙中何を言っていたか冷静に判断すればいい。すぐに化けの皮が剥がれると思うよ。
なんたってこれまで市民運動からのし上がった政治家がどうなったかはよくわかってるしね。社民党にしても民主党にしてもね。
それとね。大衆というのは無慈悲なものでね。ブームが去るとさっさと引いてしまうんだよね。さて、社民党にしても山本太郎氏にしていつまで国会にいられますかね。
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さて、500万両の借金を背負ってしまった薩摩藩。ここで収入の50倍の借金を背負う元になってしまった
宝暦の御手伝普請について少しだけ書いてみます。
まず、幕府が全国の大名たちに荒れ狂う河川の改修や本人に関係のない神社仏閣の修繕にお金を出させた理由は、日本史でも勉強しますが単純に大名たちの力を弱めるためです。また全国の大名たちに江戸にやってくるように義務付けた参勤交代もそうですが
武備に費やすような余裕を持たせないため参勤交代にしてもそうですが、単に物見遊山のように江戸にだらだらやってくればいいのではなく大名の規模や身分によって当然ながら威厳が必要で、必要な格式がありました。何人のお供が必要だとか何日の旅でどこどこの宿に泊まるだとか・・・
これが結構負担だったんですね。この御手伝普請と参勤交代がもしもなかったとしたら大名たちは領国で幕府を倒すべく力を蓄えたに違いないでしょうから。
さて、薩摩藩は幕府からすればいつ歯向かってもおかしくないような大藩でしたからその警戒心も一通りではなかったでしょう。そこで薩摩藩に突き付けられたのが
美濃・尾張・伊勢の川を整備しなされ
この時の薩摩藩の借金はおよそ50万両〜60万両。すでに経常収入の6倍の借金を背負っていました。この上にまた御手伝普請とは・・・幕府の意図は明らかです。完全なる薩摩いじめ、薩摩潰しです。ここで薩摩隼人の心意気を見せるべしという太平の時代にあるまじき結論
幕府と一戦に及ぶべし!徳川討つべし!破産して恥をさらすのなら一戦に及んで意地を見せようという意見が続出。
あいやまたれい。落ち着きなされ。
と冷静になった人物がいなければ戦争になってしまったに違いないでしょう。結局、薩摩藩はこの御手伝普請を受けることになるのです。暴発寸前になった家中を抑え、薩摩藩から東海地方に派遣されたのが、おそらく東海三県で生まれ育った子どもなら誰でも知ってる人物
平田靱負正輔、いわゆる平田靱負です彼は薩摩藩士を引き連れて今の岐阜県にやってきます。彼は当時から洪水被害の多かった木曽三川を抑えるための工事の指揮を執りました。しかし難工事です、そう簡単にはいきませんし、費用も嵩んでいきます。その上薩摩藩を苦しめたものは荒れ狂う河川や費用だけではありませんでした。それは・・・
幕府による妨害です
わかっているだけでも次のような妨害がありました。
費用はすべて薩摩藩もちこれは当たり前として
堤防工事に通じた職人は一切雇ってはならない
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さて、今日は大河ドラマで悪者になっている薩摩藩について書いてみようと思います。
薩摩藩は長州藩と一緒に新政府軍の主力となって江戸幕府を打ち倒すんですが、それにはそれぞれの藩に深い深い因縁があったんですね。特に薩摩藩は江戸中期から慢性的に財政破たん状態にありました。通史では単純に藩主が桁外れに浪費してたとか藩の経済政策がまずかったからといえばそれまでなんですが、これは単純にそうではないのですね。それが・・・
御手伝普請御手伝いといいますが、これは幕府のやるべき仕事を大名が幕府への忠誠の証として強制的に押し付けられた「公共事業」とでも言いますかね。各地の河川・山林・神社仏閣・城の改修・災害復旧、朝鮮通信使の接待費用まで・・・自分たちに関係のない事業を自費でやるように押し付けられたわけです。結構これがきつくて大変だったようです。ま、幕府も幕府で
全国から税金を集める仕組みがなかった(これほんと)
天領からしか収入のない中で全国の事業を取り仕切っていたわけで実際には仕方ないことだったんですが、この御手伝普請が単純な公共事業ではなく政局になっていたんです。
当然出費を強いられる御手伝普請の押し付け合いの始まりです。いかにこの責任から逃れるか、どうやって他の大名に押し付けるか
これが大名たちの関心事でした。
薩摩藩は、この政局に足を取られてしまいます。江戸中期の老中、田沼意次と松平定信の争いの中に巻き込まれてしまうのです、これは後々幕末に至るまで尾を引くことになるのですが・・・
薩摩藩は政争に敗れ、次々と「御手伝普請」を押し付けられることになります。最初に言っておきますが、時代によって差はありますが江戸時代の薩摩藩の収入は支出を差し引いて10万両です。
ところが、薩摩藩は押し付けられた御手伝普請によって宝暦時代に60万両の借金を背負うことになります。もちろんこの借金には利子が毎年つくわけですからその負担は推して知るべしです。そして何やかんやで40年後の薩摩藩の借金は
120万両
収入の10倍の借金です。勿論利子は別です。もちろん収入をそのまま借金の返済に費やしてしまっては生活ができないので薩摩藩は借金の返済と同時に金策に走り回ることになるのです。それが悪循環となってしまい、薩摩藩は破たんへ突っ走っていくのです。
しかし、そこで薩摩藩は一つのたくらみを思いつくのでした。開き直ってしまえばいいじゃないか
利子を負けてもらおうか、ないもんは払えない債権者(大商人)にこう宣言するのですが、一つ大事なことを忘れていました。
金貸してんのは誰なんだ?
当然薩摩藩は行き詰まります。120万両の借金を背負っている現実からは逃れられません。どうにもこうにもならないので、窮余の一策。最終的な結論を出すことになったのです。
踏み倒しちまおう薩摩藩は練りに練った計画の中で「一切借金は払えない」と宣言するのですが、結局これにも失敗。状況はさらに悪化していきます。そこで痛恨の一撃
またもや御手伝普請。金を出せ
これが決定的な一撃になって通常の商人ではもうお金が借りられなくなってしまったのでどんなに利子が高かろうがどんなに怪しい貸主であろうが必死になって金策に走るのでした。最終的にわかっている薩摩藩の累積債務は
500万両
年収の50年分の借金を背負うことになってしまうのです。もとはといえば政争に敗れた結果、幕府から押し付けられ始めた御手伝普請によって薩摩藩はほとんど天文学的な借金を背負うことになってしまうのです。そういう流れの中で幕末を迎えて、そして「八重の桜」の時がやってくると思えばまた違った歴史の側面が見えてきますよね。 |
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最近、脱原発、脱原発とさかんに叫ぶ人がいるが、私はそんな事を脱するよりもまっさきに提唱したいのが
脱・携帯電話チラ見!
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自分の都合の悪いことは「民意」じゃないってか?どう考えても変。おたくら民主党が政権を詐取した時、どんな事言ってたか覚えてるか?
低投票率だから自民党の圧勝は民意じゃない、民意とねじれてるってか?
脱原発を掲げていた政党はどうなった?何議席取った?構造改革を前面に掲げてそれ以外に何もない党の議席は何議席だった?憲法改正反対を前面に掲げてた政党は何議席取った?おたくらが全プッシュだった主張を極端に掲げてた政党はどうなった?低投票率だろうが何だろうが、正式に問われた選挙での結果。投票に行かなかった人は、法律や制度によってなんとか投票できるようになっている選挙権、保障されている選挙権をやむにやまれずに行使できなかった人や本当にわからなかった人もいるだろうが、そういう人には申し訳いなし、何とか救済方法を考えないといけないと思うが
それよりも多かった人は
意図的に、自ら望んで投票しなかった人面倒くさいから?
誰がやっても同じだから?
よくわからんし、用事があるから?
そうだよな。それも有権者だからそれも選択。
期日前投票も、不在者投票も、海外にいても、目が見えなくても、字が書けなくても、病院に入院していてもできる選挙に参加しなかった
のもそれはその人の選択。でもそんな人は今後政治の影響で生活がどうなろうが喜ぶ権利も抗議する権利もない。あくまで他人の選択であって自分の選択ではないから
同じく芸能人だから、元芸能人だから、有名人だから・・・みたいに選んだ人も同じ。結果がどうなろうとそれはあなた方の選択だ。
今回に限らず選挙は、自分の意思を示したいと思った人々の「民意」の結果。どうしてもいけなかった人は除いて意思表明をすすんで放棄した人の事などはっきり言って関係ない、どうでもいい。白紙委任を出した人の事など意に介す必要はないと私は思い始めた。民主党が圧勝しようが、自公が圧勝しようが結果がすべて民意なんだ。そしてそれが日本人の民度なんだ。
いい意味でも悪い意味でもね
ま、完全に勢いと風と人気投票になりかけてる日本の選挙も実は嘆かわしいんだけどね。そして怖いんだよね。
とりあえずねじれ国会が解消されて、今度は国民との民意のねじれが云々ほざくどこかの新聞社は恥を知ったほうがいいと思うよ。
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