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さて。またつらつら書いてみる。
よく考えなくてもわかるが、反戦を訴える人、反米を訴える人、反核を訴える人、そして反原発を訴える人は同じ思想、同じ考えの人だと思う。これは思想の右左ではなく、私は
「必然の帰結」だと思う。それはそれとして理解しているつもりだ。
日本は雄雄しい戦争の末に敗れた。国外で無数の兵士が戦い、数多くの人々が戦陣に散り、無数の人々が戦火に追われ、数知れない人々が虜囚に成り果てた。アメリカはそんな日本に二発の新型核爆弾を投下し、無数の民間人が亡くなった。結果、日本は降伏した。結果として国内の産業も疲弊し、誰もがこう思った、いや思っているとされた。
「戦争だけはもうこりごりだ」「戦争は二度としてはいけない」「戦争屋の米国憎し」「核兵器廃絶は必然」
日本はこの経験から「軍」「軍人」「軍人」など「戦争」にかかわるすべての思想を放棄した。すべて「戦争は二度とごめんだ」という意味で。結果として、この時を境に現在に至るまで「軍は、戦争を引き起こすもの」という考えと「軍を持てば必ず先の戦争のような惨禍に見舞われる」という考えが深層にしみ込んでいる。
結果、日本は戦争で受けた惨禍から「戦争だけはだめだ、軍を持てば戦争になる」という観念で思考が停止してしまった。結果、戦前・戦中で培われた「国産兵器開発」の成長は止まってしまった。幸いにも最近はやや持ち直しつつあるが、50年止まってしまった進歩の空白というものがいまさらながら悔やまれてならない。
もしも日本があの時に「戦争はこりごりだ」ではなく「二度と戦争に負けない強い国を作ろう、国家国民を敗戦に追い込んだ要因をすべて改善しよう」という意識に芽生えていれば、今の日本はもっと違った国になっていたのではないかと思う。もしもあの時に戦争に負けることになってしまった外交・内政・軍事などの過ちを検証して、それを克服していれば圧倒的に脆弱な隣国どもにコケにされることなどなかったのではないか。
さて、そういう流れを汲んだ人々が今は東日本大震災から起こった福島原発の事故から端を発する「反原発」に傾倒している。それは「反戦・反米・反核」に至るまでにたどったプロセスと同じである。脊髄反射と言ってもいいと思う。
福島の惨禍を受けて、すべきことは嘆き悲しむことか?今すぐにすべてを投げ出して原子力というものを放棄してしまえばそれで問題は解決するのか?そうではないだろう。
私は女川原発で実際に目にしたのだが、女川原発は福島原発の事故を踏まえて改修工事を行っている。福島原発に何が足りなかったか、メルトダウン・メルトスルーを招いた施設の電源喪失をどうやって防ぐか、津波をどうするのかという問題点を検証して少なくとも福島原発と同じ要因では電源機能を喪失しないよう、安全に停止させるための措置が実際に施されている。
日本のエンジニアを見くびってもらっては困るのだ。
惨禍から学び、二度と同じ惨禍で苦しむことのないように原因を精査しさえすれば原発は怖くない。私は女川原発を実際に目にして心から思った。
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お久しぶりです。ツイッターの方が使い勝手がいいので、そちらのほうでつぶやきっぱなしでこちらのほうがおろそかになってしまってます。すみません、またおいおい記事を書きますのでお許しを。
で、いよいよ解散総選挙が決まりましたね。
それが決まると同時に民主党議員が離党したり、離党を検討したりしています。ま、これ自体は所詮政治家の選択なのでそれが本当にいいのかどうか勝手に有権者の審判を仰いでもらえればいいので、あーだこーだいうつもりはないですが、あくまで一般論としてつらつら雑感を書いてみましょうか。
戦国時代の末期の話になりますが、織田信長が武田勝頼を滅ぼすために美濃東部から信濃、甲斐へ攻め込んだ事があったのですが、この時武田氏は信玄没後、長篠の戦いで主力が壊滅して以来、勢力は日に日に衰えておりました。かつての武田騎馬軍団の最強伝説が終わりを告げたことは身内も重々わかっていたようで、
そろそろ潰そうかね?
と思ったきっかけも武田氏親類の木曽氏が寝返って道案内をすることになったからなのですが、信濃・甲斐に攻め込まれてなお、家臣団の寝返りが続きます。結局信玄が
「人は城・・・」と言ったものの、人は残らなかったのですね。切羽詰って敵が攻め込んできているというのにまともに抗戦するような戦いはなかったらしいです。ちょうどこの時に後に本能寺の変のどさくさに巻き込まれてしまい命を落とすことになった穴山梅雪も寝返っています。おもえば罰が当たったのでしょうか。
それは別にして、攻め込んできた織田軍に組織的抵抗ができなかった勝頼は、新府城という最後の抵抗拠点を放棄し、とりあえず逃亡しました。そこで手を差し伸べたのが、
小山田信茂という武将でした。信茂は逃げてくる勝頼を受け入れるよーということで使者を出して勝頼を喜ばせました。必死の思いで追撃を逃れてやってきた勝頼を信茂はどうしたか?
受け入れるといった言葉の端が乾かないうちに結局彼を領内に入れませんでした。結局、勝頼は行き場を失って山の中をさ迷っている中、天目山で追いつかれ、自害に追い込まれてしまいます。
さて、間接的か直接的か、武田氏を滅ぼすきっかけとなった小山田信茂、戦後、織田氏に従うために自分の事子どもとともに織田軍に出頭します。ここでさぞかし恩賞を与えられたかと思えばどうなったか。
「土壇場で主家を裏切る不忠者!こやつを斬れ!」
ということで結局降伏することすらできずに殺されてしまいます。
当然ですな、切羽詰ったときにこそ人間の真価が問われます。ここで組織を裏切るような人間が、たとえ唾棄すべきアホな組織であったとしても次の組織にとって利益をもたらす存在であるはずがないと思うのですよ。私はね。
民主党を今頃離党する人々が、迎える新しい組織にとって果たして利益をもたらす存在になりえるのかな?国のために民主党を捨てるのであれば、もっと早く、もっと別のタイミングで捨てることができたはず。でもそれをしなかった。それをせず、納得できない組織について弁護し、支持し、民主党を批判するものたちに対して自分の信条に反していようがいまいが擁護し続けたのです。
そして
彼を支持する人々を欺き続けた。もしかしたら彼らの人生を狂わせたかもしれない。政治家の活動に真剣に取り組んだために本来ならあったはずの選択肢を離党者が奪っていたのかもしれない。その罪は偽善だとか欺瞞だとかそういうレベルではないと思いますな。
そもそも
そんな人間が信用できるはずがない。信用されるはずがない。私はそう思うのですよ。
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人生でもそうだと思うけど、最高最高で選ぶと疲れると思うよ。だって所詮
「理想的な政治家」ってのは所詮理想であって現実は違うだろう。政治である以上薄汚いこともしてるだろうし、人の知らないところで相当危ないところを渡っていることもあるんじゃないかな。以前、衆議院議員の運転手をやってた人も言ってましたね。
「墓場まで持って行くような秘密もあります」
もちろん、時折表面に出てくる政治とカネをめぐる事件もそういった人々がぽろっと漏らしたものもあるんじゃないかな。たぶん、そういうの表に出さない政治家ってのが偉大な政治家ってのもあるかもしれない。そもそも秘密が外にばれてしまうようなようでは人は駄目ですわ。
特にプライベートが・・・だからプライベートが外に漏れてしまうような政治家は閣僚になってはいけないのではないかと。政治力とか能力とかまったく別にしてね。特にほにゃららが一番のうんちゃらの党首様。そんなのを他国の諜報機関に握られてしまったらもうその人はその国に逆らえないわけでしょ?
イスラエルの諜報機関モサドなんかはそうやって人のプライベートまで踏み込んだ諜報活動するらしいし。あのナチスの逃亡者アドルフ・アイヒマンなんかも身内から所在がばれてつかまってしまったんだと。
平和な時代にこそえげつない闇の死闘があると思ったほうがいいかも。
だから政治家は最高じゃなく、この人だったらましかもで選んだほうがいいね。たぶん。たぶんちょっと怪しい面もあるけど、それを自分の致命的な失点にはせず、むしろ「キャラ」程度に世間を利用しているような政治家の方が頼もしい。
そんな気がします。
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みなさん、こんばんわ。お久しぶりです。ツイッターの使い勝手がよすぎてこちらの全国40人の読者の方のことをおろそかにしておりました。
さて、いまのところ最善ではないでしょうが、次善の党であり、次の総選挙ではおそらく政権奪還を果たすだろう自民党総裁に安倍晋三氏が選出されました。政権を失って以後の日本よりはたぶんましな国づくりをしてくれると信じていますが、
私は正直心配です。
というのもこの総裁選の最中、私はツイッターの中でのツブヤキを見ていましたら、多くの人々が「#安倍晋三」というタグをつけて、これまで安倍政権が成し遂げた政策的成果、これまでの安倍氏の言動を挙げながら
安倍晋三しかいない!
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『大東亜戦争終結ノ詔書』原文(昭和20年8月14日)
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
(御名御璽)
昭和二十年八月十四日
[以下、内閣総理大臣・鈴木貫太郎はじめ、十六名の閣僚、連署] *現代語訳:
『余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた
そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。
そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。』
67年前の今日、この日、この時間、どんな気持ちで日本人はいたんでしょうね。この放送を聞いた方は督戦の詔だと思った方もいたそうです。
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