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2011年10月14日
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御来訪感謝申し上げます。 今日11日で東日本大震災発生から7ヶ月目になります。 当地でも、毎月11日になると「ああ今日で、もう○ヶ月目になるんだね」という会話が必ずなされます。 「もう○ヶ月・・・」の言葉の背景には震災発生日を絶対に忘れられないという思いと、あれからこんなに月日が経っているのに一向に進展を見せない復興状況を嘆く思いが重なって、やりきれなさが募る一方の感情があるのだと思います。 先月(9月)の時はちょうど半年目だったので、「もう半年も過ぎてしまったのか」という時の流れの速さに驚いた気持ちが強くありました。 そして、また1ヶ月が経ちました。 1ヶ月経っても、特段変わり映えしない被災地の現状です。 相変わらず道路や施設は地震や津波の爪痕を残したままです。 当地須賀川市は市役所庁舎が外見でははっきり分からないのですが、内部は地震のために壁や柱に亀裂が入ったり、天井が下がったり、窓ガラスが割れたりと修繕不能で建物ごと建て替えないと使い物にならない状況です。また、町の中心部にある市の施設がやはり地震のために使用不能となり、そのまま放置されている状態です。 市内でも建物を修繕したり、新たに建て替えたりしているのは皆民間の建物や個人の民家です。つまり、民間や個人が自助努力で復興させているものばかりです。 お役所は「予算が無い、インフラの修繕費用で手一杯でとても市の施設までは賄えない」と言います。 県に支援をお願いしても、報道でご存知のとおり、福島の災害基金は底を突き、国からの援助を待っている現状です。しかし、国は国で「復興のための財源がない」ということで復興財源を名目とした増税政策を打ち出してきています。 ということは、国は未曾有の大災害による復旧・復興を「財源がない」からと国民の負担で行おうとしている訳です。 これなら、不肖敬天愛人でも総理大臣が務まります。否、誰でもできるでしょう。 これまでも何度も申し上げてきましたが、国は民間とは違うのです。 民間は通貨発行権を持っていませんが、国は通貨発行権を持っているのです。 だから国なのです。それもお隣韓国のように国内でしか通用しない子供銀行券レベルの通貨ではなく、国際間の決済に使える国際通貨である立派な『円』という通貨の発行権を持っているのです。 増税とはインフレギャップが起きた時に国内に流通している貨幣を回収し、インフレギャップをデフレ傾向に調整するために行うものなのです。 今の日本のようにデフレギャップに悩まされている時に増税をするということは、ますますデフレギャップを拡大させるだけなのです。デフレギャップが広がれば、さらにお金も物も流通しなくなり、それこそ税収が減っていくばかりなのです。 税収が減れば国の予算も減るということなのです。国の予算を減らしたくなければ、結局はいわゆる赤字国債を発行して補うしかなくなるのです。 優秀な官僚や政治家のセンセー方なら、そんなことは簡単に想像出来るはずなのにデフレ下での増税を遂行しようとしています。 たとえば、期間限定的に復興国債や政府紙幣を発行しろという意見が出ると、通貨の信認がどうのこうの、ハイパーインフレがどうのこうの、国債が暴落するとかの反論が出ます。 それなら、現状の超円高傾向において日銀が市場介入を行なっても、所詮「焼け石に水」で、何の効果も現れていない現状をどう説明するのか。先月も日銀は約2兆円の単独介入を行いましたが、一瞬、円安にブレたかに見えてもすぐに更に高い対ドル価格となってしまいました。 日銀が円売りドル買いの介入をする時は、政府の短期証券を発行して資金調達をして賄うのですが、これだって一種の国債ですから、官僚の言い方を借りると「国の借金」です。 つまり、国の借金2兆円を使っても水泡に帰したわけです。 これほどの無駄遣いはないだろう。仮に2兆円を復興費に回せば、どれだけ復興が進んだかと素人の田舎オヤジは考えるのです。 今の円高を見ていると、海外は「当然日本政府が災害復興のために多大な投資をしてくるはずだ。そうすれば日本政府の円需要が高まる」ことを見越してユーロやドルを売って円をかき集めているのです。ところが一向に日本政府は復興投資をする気配が見えない。 そればかりか、その投資資金を増税で賄おうとしている、いわば常識では考えられないことをやっているわけです。しかし、そんな非常識が通用するわけがない、必ず国債を発行するか政府紙幣を発行して円資金を調達しようとするはずだ。ということで、日本政府の動向に注目し、期待して円買いを行なっているのです。 現在のデフレギャップの状況では紙幣を増刷したからといって、簡単に通貨が暴落することはないことを海外の投資家は知っているのです。 それなら、その期待に応えるのも政治の役割ではないのか?と言いたくなるのです。 今、史上最高値の円高の時だからこそ、復興に向けた多大な投資をする絶好のチャンスなのです。 現在の民主党政権や財務省の考え方では、残念ながら、被災地の復興は無理でしょう。 来年の3月11日、一年経っても何も復興は進んでいなかった、むしろ、状況はますますひどくなるばかりだった、ということになりそうな気がしてなりません。 今日は、無知蒙昧な経済のド素人が生意気なことを申し上げたことをお詫び致します。 ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。 下記クリックのご協力をお願い申し上げます。 https://blog.with2.net/in.php?687099
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みなさん、こんばんわ。例年の私の恒例行事になっている鹿児島参りの一部を紹介しましょう。しかしながら最初の数日は毎年同じなのです。一泊目は温泉に浸って嘉例川弁当と食べつつ、そして翌日知覧に向かう・・・同じなのですが二日目の知覧は毎年お参りしても何故か足りないような気がします。不思議です。何度感謝とお詫びをしても足りません。何粒涙を流しても足りない気がするのです。 しかし、今回は私の行いが年間を通じて悪かったせいなのか、日本の政府与党に対する忠誠心が足りないからなのか大変な有様でした。いつもなら私が鹿児島空港の到着ロビーに着いた瞬間に青空が広がるはずなのに・・・この日。 台風直撃! 嘘つき。。。。天気予報だと曇り、もしくは晴れだったじゃないか。 しかし、時々こんな瞬間も 嵐の合間に見た唯一の晴れ間でした。後にも先にも青い空を見たのは鹿児島滞在中、この瞬間だけ。でもいいのです。あいも変わらずここの温泉はいい。ご飯も美味い。温泉と料理をひとしきり楽しんだのち、私たちは「はやとの風」で鹿児島中央駅に向かう。そして「はやとの風」の中で九州一美味しいお弁当を買う。 ここまでは良かったが、私は台風の行方のことが心配のあまり弁当を食べる事ができないまま、お弁当のふたを開けることなく、中身を見ることもなく 開かずの間ならぬ食べずの弁当・・・ こんな桜島を見れば誰だって凹むはずなのです。 私たちの知っている桜島 私たちが見た桜島 杉野はいずこ、杉野はいずや、、、ならぬ桜島はいずや・・・? 麓しかみえませーん(号泣) 結局、桜島も錦江湾の青い姿も見ることなく意気消沈したままの中央駅到着でした。ここからはいつもなら一日に数本しかない知覧行きのバスに乗り込むはずなのですが、時間的なことや行き先のこともあってレンタカーで知覧に向かう事になるのです。 バスだと2時間近くかかりますが、車ですと知覧まで1時間少しくらいで着いてしまいます。バスよりも時間が短い事からやはりお弁当を食べる事はできませんでした。 そして私たちは毎年の如くここに到着するのです。 特攻観音、遺品館、武家屋敷、そして城跡のある町、知覧 嘉例川弁当は冨屋旅館のスタッフさんにあげてしまいましたとさ。 今回はレンタカーで移動の自由が利くので知覧の街中を縦横無尽に走り回ってみる事にしました。今までじゃタクシーやバスやそして徒歩で見て回っていましたが、案外知覧の町と言うのは狭い町なのだな(実際には南九州市知覧)と思いました。町は狭くとも歴史や思いは深い。 特攻隊員たちが知覧の町の土手に寝転がり、深く碧い空をを眺めながら、こう言ったそうです。 「空は俺たちの墓だよ」 と。こう言った後も深い空をずっと眺めている隊員の姿があったそうです。冨屋旅館の近くにある酒屋さんの奥さんが教えてくれました。隊員たちから「母」と呼ばれたのは鳥浜トメさんですが、この町の人々の歴史の中にも今でも特攻隊員の最後の姿があるんだなと思いました。 燈籠のひとつひとつに遺族や特攻隊員の思いが深く刻まれています。特攻観音まではおそらくここに来た方ならばお参りすると思うのですが、皆様、特攻観音の脇にはこの地区から出征した人々が眠る 「護国神社」 があることを忘れないで下さい。そしてお時間があれば少しだけ・・・少しだけ・・・ 今回もじっくりと特攻遺品館(私は特攻平和会館という名称がどうしても好きになれぬ)を見学して写真の一つ一つに手を合わせました。 やはり自分自身が日本国を死んでも護るという覚悟と決意を持った男はかっこいい、美しい、そして悲しい。 今年は自由が利くので以前はタクシーを待たせたまま急いで走り回った特攻隊員の出撃にまつわる場所をゆっくりと車で改めて回ってみることにしました。 特攻機発進線から 見送りの指揮所から 指揮所ではこんな情景があったのです。ちなみに特攻機で出撃間際に女学生に敬礼している隊員は「知覧からの手紙」の穴沢少尉です。 特攻機を隠した掩体壕跡 特攻隊員が最期の夜を過ごした三角兵舎跡 本当は基地を敵機から守っていた山野砲陣地跡もあったらしいのですが時間がたりませんでした・・・ 私は特攻隊員にまつわる場所の一つ一つに手を合わせました。今度からはお線香とろうそくを、できれば知覧でお花を買ってお供えすることを心に誓いながら。 ちなみに三角兵舎から冨屋旅館まで、あるいは基地まではめちゃくちゃ遠いです。隊員たちはやはりタフなのですね。あ、言い忘れましたが最初に登場した知覧城は戦争中、一応「工廠」だったそうです。そういえば一昨年は水道塔や弾薬庫跡にも行きましたっけ。 毎年毎年新しい発見と出会いのある知覧なのでした。(続く) |
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